2009年7月 8日 (水)

シルクロードの旅その9(敦煌Ⅱ)...莫高窟&楡林窟

私がウルムチを訪れたのは5月中旬だったが、街は一見平穏そのもののように感じた。まさか、こんな暴動が起きるとは思いもしなかった。前にも書いたが、新疆ウィグル自治区は中国であって、中国でないところであることは我々旅行者でも直ぐに感じることだ。
異なる民族が同じ場所に住むことの難しさ...簡単に解決はできないだろうが、なんとか大事に至らないよう心から祈っています。

さて、今回はこのツアーの最大の見所〝莫高窟〟について報告しよう。
敦煌郊外には、莫高窟、西千仏洞、安西楡林窟、水峡口窟の4つの石窟群があるが、このうち莫高窟と楡林窟を、1日半かけて見た。

《莫高窟》
鳴沙山の東麓の大泉河の断崖に沿って1600mにわたり、上下数段に、約600の洞窟が掘られている。このうち歴史的・芸術的価値のあるもの492窟に番号が振られている。これらの洞窟の大半に絢爛たる壁画が描かれていて、その総面積は4万5千㎡、全てを横に並べると30kmにもなると言う。
なによりも驚くのは、破壊や盗掘を免れ、保存状態がとてもよいことだ。敦煌という場所が東西文化の辺縁の地にあったのがその理由だとの説もあるようだ。

見学は、莫高窟のシンボル、〝九層楼〟=96窟から始まった。ここには高さ35.5mの大仏様が坐す。午前中は148、249、329、16、17、428,427の一般窟を見た。
午後は有料窟3窟、45、57、275窟を見る。
撮影禁止だし、たとえカメラを持っていても暗くて撮すことは出来ないだろう。懐中電灯で照らしながら見る訳だが、とても美術館での鑑賞のような具合にはいかない。部分的にはその素晴らしさをかいま見ることができても、全体としてどうなっているのかはなかなかつかみにくい。したがって写真集の購入は必須である。
幸いここには美術書としても価値の高い写真集〝敦煌石窟の珍品〟が存在する。
以下、有料窟の写真を引用させてもらう。

45窟
S莫高窟は古くは366年から掘り始められ、約1000年続いている。この迦葉、菩薩、天王の三尊塑像は初唐~盛唐のもので、敦煌石窟塑像の代表作とされる。





57窟
S_2この洞窟は一名「美人洞窟」。
それは、南壁中央の壁画「説法図」の中の観音菩薩が「美人」と呼称されていたからだという。これも初唐期のもので、莫高窟を代表する壁画だ。






275窟
S_3この洞窟は北涼期に掘られた最も古いもののひとつだ。奥深い正面にこの大きな(3.4m)塑像〝交脚弥勒菩薩〟が坐している。
壁画も、月光王の興味深い物語等が描かれている。




敦煌では珍しくも雨に遭った。聞けば今年3度目の雨だと言う。雨や砂嵐だと見学中止になるとのことで冷や冷やしたが、ちょうど昼食時間だったので、見学には支障がなかった。
S_5S_6左;莫高窟の立地状況が分かる
右;サイトへの入り口




S_7S_8左;莫高窟のシンボル〝九層楼〟...この中に大仏様が坐す。






《楡林窟》
楡林窟は敦煌の街から東へ160kmの所にあり、楡林河の断崖に掘られた洞窟が42窟確認されている。
一般窟6、12、15、17、19、23、有料窟25、2、3、4窟を見学。
S_10S_11 
これは3窟の壁画。〝玄奘取経図〟と呼ばれる。右図は左図の左端中央部を拡大したもの。三蔵法師が天竺から戻る場面で、菩薩に向かって手を合わせている。水墨線による朦朧・神秘的な全体的な雰囲気の中に斧で切り裂いたような崖の表現が印象的だ。


S_1215窟の天井に描かれた〝笛吹飛天〟
飛天とは『浄土の空中を飛びながら天の花を散らし,あるいは天の音楽を奏し,あるいは香を薫じて仏を讃える天人』のこと。西洋のエンジェルみたいなものだろう。
莫高窟にも多数の優雅な〝飛天〟が描かれている。

S_13S_14楡林窟もまた、谷沿いの崖に掘られている。







S_15S_16右は管理棟。





前回の玉門関、陽関、今回の莫高窟、楡林窟、次回の鳴沙山など、敦煌近郊の観光ポイントを示すマップです。
S_17
楡林窟は実際にはこの絵から遙か右へ外れた位置だ。



S_18S_19これは前回の追加分。 
陽関近くの村のレストランで昼食を取った時のスナップ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

シルクロードの旅その8(敦煌Ⅰ)...漢詩に詠われた〝玉門関〟〝陽関〟、そして美しき砂漠

ウルムチから敦煌までは国内線航空機で1時間半ほどだった。敦煌もまた砂漠に囲まれたオアシス都市のひとつだが、ここはもう新疆ウィグル自治区ではない(甘粛省)。ここから東は古くから漢民族の支配地域であり、言い換えれば敦煌がいわゆる〝西域〟との接点である。
先ずは、漢の時代に築かれた関所「玉門関」「陽関」、それに「漢長城」の址蹟を見る。いずれも砂漠の中に、かろうじて痕跡を留めている、と言う状況であり、観光ポイントとしては見栄えはしない。しかし、その場に立てば、やはり想像力が働くし、歴史の重みも感じてくる。
それは別として、砂漠の風景というのは、全く非日常的と言う意味で、インパクトが強い。〝何もないのが砂漠〟と思っていたが、その〝何も無さ〟が面白いのだ。緑溢れる日本に帰ってきた今、何処を見てもなんだか詰まらなく見える。砂漠中毒になったのかもしれない。

S_2S_3右;ウルムチ空港離陸直後
左;朝日とボゴダ峰(天山山脈東部の最高峰5445m)
  この山懐に前回報告の天池がある。




S_4S_5敦煌上空に到着。田畑が広がる。一見、水田のように見えるが?オアシス特有のポプラ並木が影を落としていて面白い風景だ。右は敦煌機場にて。

《玉門関》
S_9S_10残っているのはこの方形の城壁のみ。25m四方、高さは10m。


   
S_23S_24近づくと... 
孔のように見えるのは当時の出入り口。素朴な造り。

「玉門」と言う名は、ホータンで産出される〝玉〟をこの門を経て都へ運んだ故だという。



S_8ここに来て、この王之渙の詩を朗ずると、玉門関とは当時、どういう意味の場所だったかが実感できる。
  『黄河遠く上る白雲の間 
   一片の孤城萬仭の山
   羌笛(きょうてき)何ぞ須(もち)いん揚柳の怨
   春光は渡らず玉門関』
【 終わりの2行の意;
羌族(=遊牧民族)の笛がなんで柳をうらんで〝折揚柳(別れを謡った笛の曲〟)を奏でるのか。遠く離れたこの玉門関には、都を照らす春の光は届かないし、まして柳が芽を吹くこともないのに 】

《漢の長城》
S_11S_12玉門関の北側を東西に漢代の長城遺跡が延びている。約2千年前のもので、素朴な造りが印象的だ。


《陽関》
SS_2陽関址蹟への入り口。
このお爺さんが通行手形を書いてくれるという。



S_3S_4右;当時の関所の様子を再現したセットがあり、遙か向こうに遺跡が見える。



S_5S_6左は烽火台。当時の址蹟としてはこれのみ。
右は観光用の施設と思われる。ここまで歩いていく。



S_15これは、北の玉門関と南の陽関の間を結ぶ道路沿いに、点々と配置されている烽火台のひとつ。


S_25S_22タマリクス。花がとても美しい。
砂漠の貴重な燃料でもある。漢代の烽火台用にも使われたと言う。
数は多くはないが、このツアーではあちこちで見かけた。日本でも栽培されているが、この砂漠地帯が原産地だ。




S_7
S_18砂漠そのものが面白い。






S_10〝美しき砂漠〟
遠くにオアシスの緑と青い水面が見える。



陽関もまた、漢詩の世界だ。唐の詩人、王維は次のように詠った。

渭城の長雨 軽塵をし
客舎青青 柳色新たなり
君に勧む更に盡せ一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば故人無からん

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月24日 (水)

シルクロードの旅その7(ウルムチ)...〝楼蘭の美女〟〝中国のスイス-天池〟

ウルムチ(烏魯木斉)は新疆ウィグル自治区の区都で、人口230万人の近代的な大都市だ。これまで報告したホータン、カシュガル、トルファンといった(少数)民族色の濃い、ひなびた地域とはまるで違う。中心部には高層ビルも林立している。

ウルムチにはツアー行程の都合上、第1~2日目と、9日目の2回訪れている。
ここでの主な観光は、「新疆ウィグル自治区博物館」「天池」「バザール」だった。正直言ってホータン、カシュガル、トルファンと言った我々の日常感覚から大きく外れた、驚きの多い土地と比較すると印象が薄い。
中国のスイスと言われる「天池」にしても、「カラクリ湖」を見てからでは、地味な風景にみえてしまうのです。それでも、背後の万年雪を被った天山山脈と静かなエメラルドグリーンの湖面を見ていると、心が静まり、ずっとこのまま居たいと言う気がしてくる。穏やかだが雄大、そんな印象だった。なお、天池(テンチー)は、天山山脈東部の最高峰ボゴダ峰(5445m)の中腹(1980m)に位置した、面積4.9平方kmの湖だ。

「新疆ウィグル自治区博物館」の見ものは、何と言っても〝楼蘭の美女〟だ。
タクラマカン砂漠の真っ直中の楼蘭遺跡で、1980年に発掘された。1992年に上野の国立博物館で展示されて話題になったですね。〝楼蘭の美女〟という呼び名はその時に献上されたものです。
たかがミイラ、美しいと言っても知れているだろう、と実物を見ていない私は思っていた。しかしウルムチの博物館で対面した時、その考えは改めざるを得ませんでした。確かに美しい。白人系の整った容貌がはっきりと確認できるのです。
さらなる驚きは、このミイラが埋められたのは紀元前19世紀、つまり約3800年前だということ。
なお、写真撮影は禁止なのが残念だった。パンフの写真や、インターネット上の画像では万分の一も実態が伝わらない。

Photo_5新疆ウィグル自治区地図


Sトルファンからウルムチへは約180km、バスで移動。
途中の景色も良い。天山山脈を背景に列車が行く。

S_2S_3途中に膨大な数(数百基)の風力発電サイトがあった。



S_4S_6大都会ウルムチ




S_7ホテル近くの交差点にあるシンボリックな像


 

S_8S_9泊まったホテル「環球大酒店」 
かなりの高層ホテルだから展望が効く。小高い丘はウルムチの名所の一つ紅山公園。


S_10「新疆ウィグル自治区博物館」
ここで〝楼蘭の美女〟を見る。


S_11写真がないのでパンフのコピーを。これでは美女かは分からぬ!
インターネットでは、こちら→でも見られます。


《中国のスイス〝天池/テンチー〟》
S_12
〝天池〟の大きな表示。中国人も多く訪れる観光地だ。



Dsc_4559s360度素晴らしい展望だが、これが天池のベストアングルだと思う。



PhotoPhoto_2「森を抱えた/雪を被った山、青空、雲」のコンビネーション が素敵。


S_13S_14右;斜面に「王母・・・」の文字が。
美しき女神〝西王母〟は天池の湖面を鏡としたという。

Photo_3Photo_4この辺りには遊牧民のカザフ族が多数住み着き、独特の住居パオも見られるようだが、この写真のパオは多分、彼らが経営するホテルだ。






S_15S_16花二題。




《バザール》
今回のツアーでは、行く先々の街でバザールを訪れた。ツアーの一環として、また自分勝手に。
ウルムチのバザールの一端を。夜の部と昼の部がごっちゃになっていますが。
S_17 
夜市の賑わい。これは夕食を提供する店が集まったエリア。
食事は基本的に外食と思われる。


Dsc_3741s_2S_18屋台も〝食べる〟がまず最初。




S_19S_20肉屋さんに串屋さん。








S_21これは鶏を買った人。まだ生きている!




3753sS_22どちらもいい男!




S_23いろいろな穀類を売る店。




R0015657sS_24狭い所ではオート三輪が活躍。




S_25何かが動いた!漠然と見ていたから全く気がつかなかった。
店番やってるの?



 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月20日 (土)

シルクロードの旅その6(トルファンⅡ)...〝交河故城〟と〝高昌故城〟それは土色一色だが、ロマンを感じさせる空間でもあった

トルファン(吐魯番)は地理学的に面白いところだ。先ず、世界で最も海から遠い地点なのだ。北は北極海、南はインド洋、東は東シナ海などからほぼ等距離(それぞれ3000~4000km)、内陸の奥の奥に位置する。
それでいて、信じられないことに世界有数の「低地」でもある。トルファン市域のかなりの部分がマイナス高度で、最低位はトルファン郊外、アイディン湖の-154m。そもそも〝トルファン〟とは、ウイグル語で〝低い〟〝くぼんだ所〟の意味だという。
そんなこともあって、暑さは半端じゃないらしい。夏の最高気温は38~40度、これまでの最高は49度と、ガイド書にはある。

トルファンでは二つの古い城址遺跡を見た。〝交河故城〟と〝高昌故城〟である。これら二つは世界遺産候補になっているとの説明があった。
〝交河故城〟の方が古く、前漢代(1~2世紀)に存在した車師前国の都だったとされている。二つの河の交わる高台にあったことから、この名がある。全長1600m、幅300mの葉っぱの形をしたエリアに日干し煉瓦で作られた多数の建築物の名残が見られる。一部を除いて保存状態は良くなく、ちょっと見にはただの土塁にみえるかもしれない。それでも古さを考えると、やはり偉大な遺跡だ。

〝高昌故城〟は元は漢族の砦としてトルファンの東側に築かれたのが始まりで、499年には漢人・麹嘉(きくか)が建てた高昌国の王都となった。高昌国そのものは640年に唐に滅ぼされるが、その後ウィグル人がここを都とする国を建てたりして、この地は1000年の長きにわたり栄えたという。
〝高昌故城〟は〝交河故城〟に比べて遙かに規模が大きい。周囲5km、外城、内城、宮城の構造が確認できる。
玄奘(三蔵法師)がここに2ヶ月ほど滞在し、説法を行ったと伝えられる寺院遺跡を見た。この遺跡でもっとも目立つきれいな円形の建物だった。その建物にはいる時、何か、ジンとするものを覚えた。

トルファンでのその他の観光カ所は、アスターナ古墳群、ペゼクリク千仏洞、火焰山など。火焰山はかの有名な西遊記に出てくる場所だ。山は「赤い」と言うにはほど遠い、くすんだ色だった。火焰山を見晴るかすとてつもなく広々とした野(草は生えていない)に三蔵法師が孫悟空、猪八戒,沙悟浄を引き連れた大きな像がポツンと置かれていた。何かがなければ、この茫漠たる空間を前にして、距離感も大小の感覚も麻痺してしまうから、これは必須のアイテムなのだ、と思った。

《交河故城》
S交河故城遺跡への入り口




Dsc_4467sDsc_4468s見学者用の板敷きの通路を行く。




Dsc_4463sDsc_4478s右は「東城門」 




Dsc_4495sS_2大佛寺の正面と表示板拡大




S_3Dsc_4498s左は大佛寺内部 
右は寺から振り返ったところ



《高昌故城》
PhotoPhoto_2 高昌故城入り口の表示プレート
遺跡は広大だから見学にはロバ車を使う。



Photo_3Dsc_4396故城址を行く
ロバ車との比較で構築物の大きさが分かる



Dsc_4397徒歩で施設址を見学




Photo_4玄奘(三蔵法師)が説法を行った寺院




Photo_6Photo_7入り口と内部の様子




Photo_9Dsc_4407_2いろいろな施設の址








とにかく土色一色の世界だ。朝夕の太陽高度が低い時には、光と影が写真を面白くするかも知れないと思った。単調な風景と言えばそれまでだが、しかしおびただしい廃墟に囲まれたこの不思議な空間に一定時間滞在していると、そこはかとなくロマンチックな気分になってくる。

S_5小さな村で葡萄栽培農家を訪ねる。 
水を見るとホッとする。右は村の雑貨店。
SPhoto






Photo_11Photo_12干しぶどうの試食。ここで土産に500gほど買った。
右は桑の実。


《アスターナ古墳群》
Photo_2Photo_3アスターナ古墳群の入り口に設けられたモニュメンタルな施設。鎮魂の意味だろうか?



Photo_4この古墳群は高昌国の貴族や住民達の墓で、227~778年まで間に造られ100以上存在する。このうち三つが公開されている。
中にはミイラが安置されていた。







《ペゼクリク千仏洞》
火焰山北麓にある仏教遺跡。川に沿った断崖に仏を安置した洞が多数並んでいる。現存するのは83窟。最盛期は1200年前頃。ウィグル人達が造った。
〝ペゼクリク〟とは、〝装飾された家〟の意だが、大半の壁画は探検隊によって剥がされてしまった、と言う説明を聞くと悲しくなってしまう。
ここでは代表的な5窟を見る。立派な仏像やかろうじて残された装飾が素晴らしかった。
Photo_5Photo_6 
左;立地状況がよく分かる。
右;20窟入り口





Photo_7帰り頃には砂嵐が!




《火焰山》
Photo_8Dsc_4453_2背景の山が火焰山。高さは500m、東西に約100kmも続く大きな山脈なのだ。これは南麓の風景。



Photo_9Photo_10左は温度計。現在温度30度。トルファンとしては涼しい方だ。
右は大きなモニュメントに戯れる家族。何故かこの風景が心に焼き付いてしまった。





Photo_11こちらは火焰山北麓の風景。
ラクダまで居て、絵葉書的風景が撮れる。



Dsc_4446Photo_12こちらにも〝ご一行様〟の像があった。やはり孫悟空はかっこいい。



S_2「トルファン賓館」



   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月15日 (月)

シルクロードの旅その5(カシュガル→トルファン)...南疆鉄道で22時間、天山山脈を縫って走る

カシュガルからトルファンまでの移動は、〝南疆鉄道〟を利用した。鉄道路線としての距離は約1500km。7日目15時20分発、8日目12時47分着、約21時間半かかった。珍しいことらしいが、「定刻」に出発し、予定時刻より「30分早く!」到着した。
南疆鉄道は天山山脈の南山麓と言うか、天山山脈を縫って走る。標高は高いところでは3000mに達している。1984年にトルファンからコルラの東部分が開通、残りのカシュガルまでの区間は1999年12月に開通した。
現在、カシュガル~トルファン~ウルムチの全線を通しての運行は、快速列車と普通列車それぞれ1日1往復だけだという。我々の乗ったのは快速の軟臥車(寝台車)。2段ベッドの4人一組のコンパートメント式だった。

南疆鉄道に乗るのもこのツアーのうたい文句のひとつだった。素晴らしい景色が車窓から見られるというのだが、ガラスを通してではあまり期待できないな、と内心思っていた。以前、インドで鉄道に乗った時は窓ガラスが汚く、ほとんど外の景色は見えなかったことを思い出す。
今回の南疆鉄道は窓ガラスは比較的綺麗だったし、おまけに途中駅に停車の折に、我々の添乗員が一生懸命、外からガラスを拭いてくれたので、それなりに楽しめた。
確かに列車は凄い山岳風景の中を走る。近くの山や谷は荒れて赤茶色だが、後ろの高い山は白く雪を被っている。標高が上がって、周りが全て雪景色となることもあった。
路線中、最大の見物はトルファン側に近づいた巴侖台と魚児溝の両駅の間にあるハルダハト大橋(標高2500m橋長600m)で、この間には路線中の最高点3000mと最長トンネル、ループ式トンネルもある。
パンフレットには列車とハルダハト大橋が一緒に写っている写真(車窓からのように見える)があるのだ。これに何とか挑戦しようと思った。しかし、この地点を何時通過するのかについては諸説紛々。現地ガイドは夜明け前で真っ暗だと言う。一方、添乗員は夜明け直後で見えるはずだと言う。
早朝外が僅かに見えるようになった頃から、列車の最後尾へ行き、カーブで先頭車両が撮れるかどうか確かめたり、そわそわしていたが、既に通過してしまったのか、まだなのか分からずじまい。結論は、朝食後の8時半頃(=北京時間→実際の太陽高度から言えば7時ぐらい)だった。長い長いトンネルを通過したのでその予感がした。しかしもう遅い。中程にある自分のコンパートメントの窓から覗くしかなかった。それでも線路が大きなS字を描いているので、橋そのものは綺麗に見えたし、一応写真も撮れた。

22時間近くも列車に乗るのだからさぞ退屈するだろうと思っていたが、コンパートメントの中で話をしたり、食堂車で食事をしたり、強烈な風景を眺めたり、夜は寝なければならないし、とりわけ翌朝は「ハルダハト大橋騒ぎ」などで、あっという間に過ぎてしまった。本など全く読む暇もなかった。

Photo_6新疆ウィグル自治区地図
南疆鉄道のルートも大体分かる。駅名はほとんど載っていないが。

PhotoPhoto_3カシュガル駅にて
駅名の表示も漢字(喀什)とウイグル文字の両方で。



15Photo_4この車掌さん、なかなか愛嬌があった。各車両の入り口に1名ずつ並んでいるのが見える。
列車の行き先表示。ウルムチ行きとハミ行きがトルファンで分かれるようだ。





Photo_5ディーゼル機関車




1616時30分頃の車窓からの風景。砂漠の中を走っている。朗々とした景色が続く。


207204020時37分、アクス駅に到着。駅周辺の風景。まだ明るい。



Photo_6740 翌早朝7時過ぎ、まだ薄暗かったが、列車最後尾へ行って様子を見る。ここからなら、列車の先頭部分がハルダハト橋を渡っているところを捉えることが出来そうだった。(望遠倍率の低いコンパクトカメラだったので列車がとても小さく写っている)
740_2740_37時40分、駅を通過。




7427時42分のショット。 近景には草をはむ馬、中景に列車の先頭部分、遠景に雪を被った山々。薄暗くてボケボケだが、それなりに良い写真だと思いませんか?


Photo_7Photo_88時、朝食をとりに食堂車へ。その頃から車窓は雪景色に変わる。高度が上がってきた証拠。




824Photo_118時20分、長いトンネルを抜けた後に、ついにハルダハト大橋が見える。前評判通り雄大かつ美しい橋だ。



Photo_10線路が大きなS字を描いているので、長い時間楽しめた。この写真ではハルダハト大橋の全体像が掴める。



Photo_12ハルダハト大橋は遙か遠くに。別の列車が橋にかかっているように見える。逆方向ではなく、我々を追いかけているように見える。だとすると何処で追い抜いたか?



Photo_13Photo_14 10時、魚児溝駅に到着。ホームへ降りてみる。いつのまに機関車が水色に変わったのか?



141106機関車増結。




Photo_17 緑の谷。




SS_2夢か幻か?遠くの山裾に列車が走っていくのが見える。トルファンから分岐してウルムチへ向かう路線だろうか?



Photo_1612時47分、トルファン(吐鲁番)駅に到着。トルファンの街は駅から数10km離れている。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月10日 (水)

シルクロードの旅その4(カラクリ湖)...7000m級の山々を見ながらカラコルム・ハイウエイを行く

カシュガル滞在二日目、ここを足がかりに、タジキスタン国境に近いカラクリ湖まで往復400kmの遠出をした。走った道路の名は「カラコルム・ハイウエイ」。タジキスタン国境沿いを南下し、パミール高原からパキスタンに入る道路だ。
Photo
カラクリ湖位置図。
カラクリ湖は今回のツアーの目玉の一つだが、「地球の歩き方」にはほとんど情報がない。一方、「るるぶ シルクロード」には大きく取り上げられていた。この差は何だろうか?
この地図は〝るるぶ〟より拝借。


その名からも想像がつく通り、この道路は4000~7000mの山々の間を縫って行くので、素晴らしいというより〝壮絶な〟景色の連続だった。残念ながら走行中のバスの窓からではとてもまともな撮影はできなかったが。
カシュガルの標高は1200m、目的地のカラクリ湖は3600mだ。高山病の恐れもあるので、希望者は酸素マスクを用意した。また、気温も相当低いことも予想され(悪天の場合は氷点下にもなりうる)、しっかりとした防寒具も携えて行った。

カシュガルから1時間ほど走ると、最後のオアシス、オパール村がある。そこを過ぎると以後は険しい谷間の道路が続く。
途中、オイターグ山、別名「カシュガルの火焰山」というところで休憩、写真を撮る。なるほど赤い!ホンモノの火焰山より赤いことが、後ほどトルファンで確かめられた。
さらに行くとゲイズ検問所があり、パスポートチェックが行われた。パキスタンとの国境が間近に迫っているからだ。トラックや四輪駆動車が数台検問所を通る。それから馬に乗ったウィグル族と思われる男性が単騎、パキスタンの方向からやって来た。

カラコルム・ハイウエイから分かれて30分ほど進むと、世界百名山の一つ、ムスタグ・アタ山(7546m)と、ゴングール山(7719m)の二つの山のふところに抱かれたカラクリ湖に到着した。バスから降りて、レストハウスまでの少々の登りで、息が弾み、なんとなく頭がふらーっとした。「これは自分は高山病に弱い質だな」と、思い当たり、以後無理をしないように留意した。

到着当初、湖の向こう側に見えるはずの二つの山は雲に覆われ、ほとんど確認出来なかった。ガイドからもなかなか綺麗に見えることがない、と聞いていたから、そんなものかと特に落胆もしなかった。そんな天候状況だから予定を変更して昼食を先にするという。
それが良かったようだ。昼食が終わりかけた頃から急速に雲がとれて、ムスタグ・アタの雄大な姿が見えてきた。とても素晴らしい、の一言。
青空も覗いてきて、これは待てば待つほど視界が良くなると思われたが、滞在時間に制限があり、小一時間で湖畔まで行き、写真を撮る。
案の定、後になるほど条件が良くなり、ムスタグ・アタはすっきり見えるようになった。しかし、残念なことに、ゴングールの方はここでは最後まで雲を被っていた。

カラクリ湖に別れを告げ、バスが少しずつ下り始めた頃、広い谷に面したところで素晴らしい光景を目にし、バスを臨時停車させた。これがゴングール山だというのだ。
結局のところ、7000m級の両山の、素晴らしく晴れ渡った中での勇姿を記憶に収めることが出来たのでした。

Photo_2有名なトルファン郊外の火焰山より 赤いオイターグ山。広々とした河原に面している。


Photo_122しばらく進むと、落石事故の復旧作業で足止めされてしまった。これはその時の写真。



Photo_3Photo_22 ゲイズ検問所。本当は写真撮影禁止? 




Photo_5Photo_6パキスタンから馬に乗ってやって来たようだ。これぞシルクロードの風景!
右は検問所前の売店。






Photo_10Photo_11カラコルム・ハイウエイを行く。









Photo_8Photo_9左;広々とした谷を見下ろすと昔の旅宿〝キャラバン・サライ〟の址が見えた。隣接地では羊たちが草を喰んでいた。


R0015342R0015378以下、車窓からの壮絶な風景の一端をどうぞ!
(スケール感は伝わらないと思うが)



R0015358R0015359




R0015368R0015370




Photo_13カラクリ湖のちょっと手前に小さめの湖があり、背景の山々が雪化粧して綺麗だった。ガイドによれば「砂山が雪を被っている」 という訳。景色が良くてみんなが車を止めるから、土産物屋が店開きしている。


Photo_14カラクリ湖畔のレストハウスに到着。



Photo_16Photo_17左がゴングール山(7719m)で右がムスタグ・アタ山(7546m)。湖面は3600m。実際の配置もこんな感じ。とにかく広々とした風景だ。


Photo_18ムスタグ・アタは、湖を離れる直前が最も美しかった。
 







Photo_19Photo_20湖畔には観光客向けに乗馬サービスをやっている。目をこらして遠くを見ると、羊か何かの放牧場らしきものも見える。
右はレストハウス脇に居た不細工だが可愛いロバ 。放し飼いのようだった。
Photo_21どうしても雲がとれず見えなかったゴングール山が、帰路途中にその素晴らしい姿を見せてくれた。これでパーフェクト! 


これまで、7000mを超える山をこの目で見ることが、私の生涯にあろうとは全く思っていなかったから、天候にも恵まれたこの日の体験は大きな感激でした。
このツアーを申し込んだ時点では、カラクリ湖なんぞ付録だと思っていたが(=「地球の歩き方」の影響?)、考えてみれば、シルクロードは元々このような超高山帯を難儀しながら抜けて行く道なのだから、〝山〟を見るのも〝シルクロードの旅〟の重要な要素だったと再認識した次第です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 7日 (日)

シルクロードの旅その3(カシュガルⅡ)...ウィグルの人たちとの距離感が縮まる

カシュガルはタクラマカン砂漠の西端、すなわち中国の最西端に位置する都市だ。古くからシルクロードの要衝であり、東西文明の十字路と言われてきた。実際にこの地で〝西域南道〟と〝天山南路〟が合流し、さらに西へ・・・インドや中央アジアへと道は続いて行く。
この〝シルクロード十字路〟と言われる地点に実際に行ってみた。どうと言うこともない交差点だった。
古くからいろんな民族の支配下に置かれたが、現在はウィグル族が80%近くを占める。文化・宗教の面から見ればイスラム系であるから、中国であって中国でない、異質なところだ。

カシュガルには三泊したが、市内では、新疆最大のイスラム寺院「エイティガール寺院」、イスラム教の著名な指導者の墓「アパク・ホージャ墓」、元シルクロード交易場所でもある「大バザール」、木工、金工などの職人が集まる「職人街」を見た。
これらはまさにカシュガル観光の定番、目玉であるが、私としては、ことのほかウィグル族の居住地を歩く機会が多くあったことが嬉しかった。特に、〝老街〟と呼ばれる旧市街地に入り、実際にある住居の中を見せてもらったこと、また夕食もあるウィグル族民家で手料理を頂くことが出来たことが感慨深かった。
以下写真で...

Photo〝シルクロードの十字路〟と呼ばれるカシュガル。実際にこの交差点で天山南路(写真奥)と西域南道(同右手)が合流している。交差点手前の道路はパキスタンへ、左手の道路はキルギスタンに通じている。

《エイティガール寺院》

SS_2左右のミナレットは18m。建物全体を覆う黄色が印象的だ。入り口扉の上に掲げられた額の青地の装飾とミナレットの青い色の装飾がポイントになっている。この額の上には白い鳩が三羽居るのに気づいた...何かの象徴か?
S_3S_4入り口を入ったところには装飾の美しい窓があり、中庭が見える。
静かな中庭を進む。





S_5S_6通路の両側には、1日5回の礼拝の合図を送るエザンの台なる施設がある。さらに行くと礼拝堂への門があった。

S_7S_8S_9左は礼拝堂前面に設置された礼拝スペース。
礼拝堂内部にはいると、中央にミフラーブがあった。青い絨毯の四角の枠一つが一人分のお祈りのスペースだ。



Photo_2寺院前で会った感じの良い母と子。




《職人街》
エイティガール寺院周辺の路地には〝職人街〟と呼ばれる工房兼売店がたくさん連なっている。木工、金属関連が多いが、その他にアンティークやアクセサリー、生活用品、ナンやシシカバブなどの食べ物を造り、売る店が並んでいる。 
S_10S_12
このイスラム風瓢箪は気に入ったので買いたかったが、かさばるので止めにした。今から思えば...

S_13S_14帽子屋が数軒。左は男性用、右は女性用。ウィグル族の男性は必ず帽子を被る。






S_15S_16S_17ウィグルの民族楽器の店。店の裏では楽器製造中。



S_18鍋作り工房の前では子供の職人?が仕事をしていた。








S_19Photo_34 さてこれは何でしょう?
答え;幼児用穴開きベッドと小便取り器具(細長い筒状のもの。正式名称不明)。
使い方は説明しなくとも大体想像がつくでしょう!

Photo_3S_21S_22シシカバブを焼く臭いはたまらない。
ナン製造販売所前の店番の爺さん。思わず「おいしそうですね」と声をかける。
籠の中の果実の〝緑〟がまぶしい。


Photo_4Photo_5羊の首... 気の弱い人はクリックして拡大しないでください。








職人街の賑やかな表通りから、路地裏へ入ってみた。以下はその時の写真。
S_23Photo_7

サッカー遊びは万国共通。






Photo_8Photo_9突然入っていったので意外なシーンに出遭うこともたびたび。 
ちょっと失礼!

PhotoPhoto_2この子供達は恥ずかしがりのようだ。純真で可愛い。






Photo_3女性達の服装はイスラム風が普通。







Photo_4Photo_5この2枚は別の小さなバザールでのもの。
とても美しいピンクの衣装に包まれた女性が行く。私だけでなく、街行く地元の男性も心惹かれるようだ。

《老街訪問》
観光の一環として旧市街「老街」の見学が組まれていた。路地を歩くとともに1軒の民家を訪問、お茶を頂く。
Photo_6
新市街と旧市街の境あたりで「老街」の方を見る。この外見写真だけを見ると誤解を招くかも。


Photo_8老街の中に入る。




Photo_9Photo_10目立つのが戸口に掲げられた〝平安家庭〟のプレート。政府が模範的家庭に対して認定するものらしい。






Photo_11Photo_12訪問させていただいた家はもちろん〝平安家庭指定〟。



Photo_13Photo_15素敵な応接間の飾り棚。 
ベランダからの風景。大きな川の向こうに新市街が見える。


SPhoto_18








Photo_17Photo_19 老街を歩くとこんな風に人々と出遭う。




《アパク・ホージャ墓・・・別称〝香妃の墓〟》
創建は1670年。新疆イスラム教指導者アパク・ホージャとその家族が葬られた墓だ。乾隆帝のウィグル人妃子〝香妃〟の墓と誤伝されていた経緯があり、今でも〝香妃の墓〟で通じているが、この美しい建物を見れば、誰でも納得する。
Photo_20
墓サイトへの入り口も素敵だ。






Photo_25Photo_26右は香妃の墓の全景。左はその部分をアップ。14色のタイルを使っていると言うだけあって、ビューティフル!ただし、写真での再現はとても難しかった。





Photo_23Photo_24墓の内部。列柱の装飾の美しさに目を奪われる。








《ウィグル族民家訪問...夕食をご馳走になる》
Photo_30
訪問民家。とても立派だったし、食事も美味しかった。



Photo_29
周りの家並み。比較的裕福なウィグル族の人たちが住む区域だ。



Photo_32Photo_33家の扉や服装の色彩が楽しい。土色一色の砂漠の中の生活で自然発生してきたものだろうか?




...続く...これ以降はもう少しスピードアップします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月31日 (日)

シルクロードの旅その2(ホータンからカシュガルへ)...砂嵐、青空トイレ、羊の競り、鍛冶屋バザール、刀匠の街

ホータンに2泊後、〝シルクロード西域南道〟に沿って中国の最西端の都市カシュガルに向かった。バスによる520kmの大移動だったが、道は良く、途中、葉城、ヤルカンド、イエンザギルなどの小さな街に寄りながら、21時30分頃にカシュガルの宿に着いた。
問題があるとすれば、砂嵐に見舞われること。出発後しばらくして空が薄暗くなり、遠くには砂の竜巻も見え始めた。舗装道路の上を飛砂が波のように押し寄せる。写真も撮ってみたが、これは動画の方が迫力があると思われた。砂嵐がひどくなると、見通しがまったくきかなくなり、バスも大幅に遅れることになるが、幸い大事に至らず、というか砂嵐の地帯を抜けてしまったようで、以後、円滑に進行できた。

そう言えばもうひとつ問題があった。とにかく何も無い砂漠を突っ走るのだから、どうしても青空トイレを設定せざるを得ない。男である私にはまったく支障はないのだけれど!
砂漠と言っても、起伏はあるし、時折、人工物(ちょっとした橋梁など)もあるので、運転手がうまく〝場所〟を探して止めてくれる。
なお、後日、南疆鉄道に乗る時、駅のトイレを使用したが、凄まじいの一言。それに比べれば砂漠の青空トイレの、なんと〝清々しい〟ことか!?

いずれにしても、この520kmの移動はちっとも苦にならなかった。今、〝シルクロードの西域南道〟を走っているのだ、という事実を前にすると、興奮すら覚えた。
時折、名もないような小さなオアシスと村を通る。ある村の中心地では「羊の競り」をやっているのが見えた。ある村では、ポプラ並木がとても綺麗だったので写真ストップして、ロバ車の通りかかるのをしばし待ち受けた。
途中の比較的大きな街、ヤルカンドでは鍛冶屋が集まるバザールを見学。また、「ナイフの故郷」イエンザギルでは、芸術的な細工がなされた素晴らしいナイフを見る。

カシュガルの宿は、当地でも最高級と言われる〝色満賓館〟だった(三つ星)。ロシア領事館を改装したというだけあって、外見はなかなか立派。
ホテル前の道路は広く立派だが、歩道はあっても未整備で、付近の家並みも至って粗末というか、これが標準的な居住環境だろう。朝、ホテル前の荒れた歩道では朝飯を提供する屋台が出ていて、パリッとした服装のOLが数人、食事中だった。この対比が今の中国の現実なのだ。
昼間はこの屋台はシシカバブ売りに早変わりする。試しに1本食べてみたらとても旨かった。

Photoシルクロード早わかり図。あるガイド本から拝借。
カシュガルは中国最西端の都市。
国境線のあちらは、キルギスタン、タジキスタン、パキスタン。

Photo_2Photo_3 タクラマカン砂漠を行く。
右は砂嵐の気配。舗装道路の上を水が流れるように砂が飛んでいる。


Photo_4何時間も砂漠を走って、突然、小さいオアシスに入るとホッとする。砂漠との落差の大きさがすごい。
ガイド書に必ず載っている〝ポプラ並木の中をロバ車が行く写真〟 にチャレンジしたが、なかなか難しい。

Photo_6S_3ロバ車は時折しか現れないし、現れても反対方向(並木の美しさが劣る)だったり。また、思いがけないほどスピードがあり、遠くだと思っていてもあっという間に通り過ぎる。一番問題なのは、ツアーメンバーが思い思いに動くから、カメラマンが写ってしまう恐れがあることだ...自分だけならもっといい写真が撮れたのに!...(勝手ですね)。

Photo_7Photo_8昼食をとった〝葉城電力賓館(ホテル)  〟
家族で麻雀をやっていた。



Photo_9ホテル前には輪タクが客待ちしていた。これは通りを走る輪タク。




Photo_10Photo_11ある村を通過中、中心部で〝羊の競り〟が行われているのに出くわす(車窓からの撮影)。



Photo_12トラクターで羊運搬中。


Photo_13Photo_14Photo_15カシュガルに近づくにつれてロバ車が多くなる。



Photo_16手持ちの地図にも載っている比較的大きな街ヤルカンドに到着。ここのバザールは鍛冶屋が集まっていることで有名だ。



Photo_17Photo_18




Photo_19Photo_20鍛冶屋以外の何ものでもない。




Photo_21Photo_22ここは〝男が主役〟のバザールという感じ。カメラを向けると、時折、鋭い眼差しが返ってくる。
鍛冶屋に混じって、木製の装飾を作っている店もある。


Photo_24ヤルカンドの街に入る手前で思いがけなく大きな川を渡る。ヤルカンド川とヤルカンド大橋。この橋の全長は560mもある。

Photo_23カシュガルの南70kmの小さな街イエンギザルに到着。古くからウィグルの刀匠が集まり、名刀を生み出す地だった。



Photo_25Photo_26店にはため息の出るような美しい細工のナイフが並ぶ。




Photo_27Photo_33520kmを走破し、カシュガル到着は21時30分。未だ明るい。
三つ星ホテル〝色満賓館〟はロシア領事館を改装したもの。広い敷地内には領事館の看板がかかった建物があった。
Photo_28Photo_29一方、ホテルの道路を挟んだ向かいはこんな感じ。混沌の極み!というべきか?



Photo_30朝9時。公には北京時間が使われるが、西の最果て新疆ではさらに2時間遅れるはずで、実際には7時だ。ホテル向かいの屋台で朝食中のビジネス・ウーマン達。
(朝起きると外は暗く、夕方は10時頃まで明るい、この異常な時間感覚には最後まで悩まされた)
Photo_31色満賓館の斜め向かいには立派な〝カシュガル第一中学〟があった。




 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月25日 (月)

シルクロードの旅その1(ホータン)...いいきなりタクラマカン砂漠!

15+1(成田前泊)日も家を空けると、雑用がたくさんたまってしまう。それらも一段落し、ようやく撮った写真を眺め、ブログに報告しようという気になってきた。
なお、中国では新型インフルエンザの脅威は全くなく、帰りの北京、成田各国際空港の検疫も拍子抜けするほどスムースだった。実質、体温監視カメラだけが頼りのようだ。

さて、今回の旅行は中国新疆ウィグル自治区のシルクロード沿いの地を廻るものだったが、実質的には「砂漠とオアシスをめぐる旅」とも言える内容だった。また、この地域はウィグル族を始めとする少数民族の居住地で、いわゆる漢族中心の中国とはイメージがまるで違い、別の国と思った方がよさそうだ。

成田から北京経由で新疆ウィグル自治区のウルムチへ飛び、ここが今回の旅の始まりだったが、ウルムチには10日目にもう一度訪れることになるので、この旅行記は次の宿泊地ホータンから始めることにする。
第2日目、天山山脈の東北ふところにあるウルムチから、広大なタクラマカン砂漠をひと飛びし、砂漠の西南、崑崙山脈の北側のオアシス都市ホータンに向かった。
タクラマカン砂漠は東西2000km、南北600km。ほぼ日本と同じ面積を持つ。ここを斜めに横断したわけだが、飛行時間は約2時間だった。この広大な砂漠へ入り込んだら〝二度と戻れない死の砂漠〟・・・それがウィグル語での「タクラマカン」の意味なのだ。
もっとも、石油資源が見つかったこともあり、今では砂漠を南北に縦断する道路もできているし、砂漠の北側を延々と走る南疆鉄道も出来た。

ホータンは「砂漠の中のオアシス」と言う点で最も典型的な所だ。しかし、実際に行ってみて私の既成概念(比較的こぢんまりした緑の楽園!)は大きく崩された。先ず、オアシスと言ってもここは大きな都市だった。人口は19万人。空から見て分かったが、〝緑の覆う土地〟がかなり広大な面積を占める。ただし、植生はやはり貧しく、厚みもない。植物の種類はどれくらいあるのだろうか?オアシスで最も目立つ植物はポプラだった。オアシスの至る所で立派なポプラ並木が見られる。野菜や果物はなかなか豊富で、食事も美味しかった。
5月は砂嵐の季節ということでマスクやゴーグルも用意したが、たまたま好天に恵まれて使用の機会はなかった。それでも、一日外を歩いていると体中砂まみれになった。一見、穏やかに見えても、オアシスの生活というのはやはり相当厳しいものがあるのだろうと想像された。
街を歩いて驚き、興味深かったのが、車の列に混じって、ロバ車が悠々と行き交っていることだった。また、街行く人々はほとんどがウィグル族で、男は独特の小さな帽子を被り、女は頭にはスカーフ、そして原色の鮮やかな服を着ている。
ホテルはまさに街の中心、「団結広場」の直ぐ横だった。この広場には大きな毛沢東と名前は忘れたが地元の有名な人が握手している像が建っている。この広場には終日人々が集まり、夜も遅くまで賑わっていた。

ホータンでの観光は「バザール」「アトラスシルク工房」「ホータン絨毯廠」「マリクワト古城遺跡」「白玉河の玉(ぎょく)探し」「ラクダで砂漠行」など。
なお、ホータンの玉(ぎょく)は古代から有名でシルクロードで西洋にも送られていたと言う。今でも探せば出てくるということで、仕事にしている人が実際に居るのだ。

ホータンでは、オアシスという制約のある地でのウィグル族の人々の素朴な暮らしぶりをしっかりと見、記憶にとどめることが出来たのが大きな収穫だったと思う。

以下写真で...
Photoタリム盆地を中心とした地図



Photo_3シルクロード概念図(長澤和俊〝シルクロード〟より) 
ホータンは〝西域南道〟上に位置する。この道が古くから最も利用された。タクラマカン砂漠南辺のオアシスを繋いで行くルートだ。この図の北道はさらに天山山脈を挟んで〝天山北路〟と〝天山南路〟に分かれる。

SS_3ホータンの街の中心にある〝団結広場〟
毛沢東と握手するのは地元の著名人。
右はステージで行われたイベントを見る人々...漢民族とは明らかに異なる顔が並ぶ。

S_4S_5ここでも子供達はサッカーに熱中。カメラを持って近づくとたちまち寄ってきて撮ってくれとせがむ。まだまだ純真だ。夜11時過ぎになっても広場はこの通り。夜通し遊ぶのだろうか?

S_6S_7左はホータンのメインストリート。オート三輪とロバ車が悠々と行く。右は仲むつまじい夫婦。仕事に出かけるところらしい。


Sdsc_3807S_8ホータンの街角風景。右は朝飯中。




S_9S_10ホータンのバザール。 ロバ車のおじさんも買い物。




S_12S_13バザールの賑やかな通りから狭い路地をに入ってみた。いきなり花飾りのロバ車に出くわし、危うく撮影タイミングを逸するところだった。おかげでピント合わせがうまくいかなかった。





S_14昼食のレストラン横で見つけたスイカ売り。




S_15アトラス・シルク工房の見学。左は繭から糸を引き出す作業。珍しい風景だ。シルクロードの旅だが、絹織物の工房を見れるとは思ってもいなかった。

S_17





S_18S_19 機織り作業。女工さんは若く美しい。









S_20この工房の片隅に居た〝爺と孫〟。もしかして観光客向けの存在かも知れないが、なんともいい顔をしていた。
このほかに「ホータン絨毯廠」も見学したが、割愛する。


S_21S_22次はラクダの試乗。時間をかけて、タクラマカン砂漠の端まで出た。 
なお、ラクダ試乗は敦煌でも行った。風景的にはそちらが勝る。

S_23S_24ホータンの街から25km離れた〝マリクワト古城遺跡〟を訪れた。1500~2000年前の于闐(うてん)国の砦だと見られている。南北1500m、東西800mの広さがあり、このような土塁遺跡が点在する。

S_25遺跡の所まで ロバ車で送り迎えして生計を立てる家族。




S_27ロバ車に乗らなかったので、彼らは何となくついてくる。ちょうど良いので小銭を渡して遺跡を背景に被写体になってもらった。



S_28オアシスの植生の代表、ポプラの並木道。このような美しい風景が至る所で見られる。



S_29ポプラ並木の後ろには水路があった。豊かに流れるのは崑崙山脈の雪どけ水だ。








S_30S_31遺跡見学の帰途、マリクワト村に立ち寄り、村人と間近に接した。








S_32S_33村の暮らし...




S_34 村人達はとても素朴で明るく、大いに親しみを感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

シルクロード観光にはリスクが考えられるけれど...5月7日出発予定

長年の夢の一つだったシルクロード、正確には中国新疆ウィグル自治区に行くことにした。

古くは玄奘(三蔵法師)やマルコポーロがこの地を旅して記録を残し、スヴェン・ヘディンが「さまよえる湖」を求めて探検し、井上靖が「敦煌」や「楼蘭」の小説を書いた。そんなこともあり、多くの日本人がこの地に強い関心や憧れを持っていると思いますが、私もそのひとりです。

北の天山山脈と南の崑崙山脈に囲まれた広大なタリム盆地はつい最近まで、世界でほとんど最後に残った未探検エリアだった。大部分はタクラマカン砂漠が占める不毛の大地だが、オアシスが点在しシルクロードのルートを構成した。周りの高山からの雪解け水はタリム川となって砂漠に流れ込むが、流れ出ることもなく砂漠の中に消え去る。その終端部分は古代の地図では大きな湖(ロプ・ノール)となっていたが、それが何処にあるのか、永らく謎だった。現地を19世紀末から20世紀初頭に幾多の探検家が訪れて湖を探したが、その位置については錯綜した状態となってしまう。そんな折、ヘディンがロプ・ノールは1600年周期で南北に大きく移動する湖だとの新説を掲げ、現地を踏査してこれを証明した(ロプ・ノールは現実に1972年まで存在したことが確認されている。その後は乾燥の深化などによって消滅してしまった)(有名な楼蘭遺跡はこのロプ・ノール湖畔に位置し、ヘディンが発見した)...この物語が私はたまらなく好きだった...
Photo_3
岩波文庫「ヘディン著 さまよえる湖」
この本には、ヘディン自身が描いたロプ・ノール湖のスケッチが多数挿入されていて興味深い。





しかしながら、今回のツアーでは楼蘭やロプ・ノールは抜けているのです。この旅行社の他のツアーにも、それらをカバーするツアーは存在しないし、他社でもほとんど扱っていない。楼蘭まで行けないことはないが、特別のツアーになるようだ。

中国の核実験がこの広大な砂漠の一角で行われてきた。最も近いのは楼蘭から200数十キロメートルらしい。
総合雑誌「正論」の6月号(5/1発行)に、「中国共産党が放置するシルクロード核ハザードの恐怖」という論文が載った。核実験は1964年から1990年までの間に46回行われ、この間にシルクロードを訪れた日本人観光客は27万人にのぼり、中には汚染地域に足を踏み入れた可能性もあるので、これらの人々に対して影響調査を実施すべきだというのだ。

旅行社は、リスクのリストに載せていないものの、ツアー・ルートの選定に当たってこの件を考慮していると想像される。同様に「地球の歩き方」などのガイドブックでも、この事は一言も触れていない。
実際、この点に関しての現時点のリスクはいかほどなのだろうか?

リスクと言えば、「新型インフルエンザ」がある。中国では鳥インフルの被害も出ているがまだヒトへの感染は希だから、やはり今回の豚インフルの方が脅威だ。中国での感染は香港しか報告されていないから、とりあえず空港や飛行機内が要注意だろう。何処かで足止めされるリスクはかなりあると思っておいた方が良さそうだ。
さらに、添乗員からの事前連絡によると、「砂嵐」のシーズンだから、その備えを十分にせよとのこと。カメラも故障することがあると脅かされた!
さらにさらに、気温の上下レンジは、上は30度、下は氷点下もありうると言う。防寒具必携と言われました(パミールの入り口に当たるカラクリ湖は標高3600m)。

旅行にはリスクが付きものだ。その重さは自分が判断するしかない。それを上回る魅力が十分にあるのなら、やはり行くべきでしょう。
私としては、タクラマカン砂漠のオアシス都市や天山山脈を是非見てみたいし、敦煌の莫高窟も見逃せない。

Photo中国新疆ウィグル自治区の地図(〝地球の歩き方〟より)
ロプ・ノールは右下寄りに描かれている。




Photo_2今回ツアーののルート図。国内線飛行機および南疆鉄道での移動が多いのが特徴。
東京→ウルムチ→ホータン→カシュガル→(南疆鉄道)→トルファン→敦煌→西安→東京(全15日間)

帰国後、報告します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«ゴーギャン展を見に行った...青とエメラルドグリーンとオレンジの色彩の帯に魅せられる