« スペイン旅行記5―プラド美術館 | トップページ | スペイン旅行記7―アンダルシアの旅2 »

2006年5月26日 (金)

スペイン旅行記6―アンダルシアの旅1

今回の旅行で印象に残った事の一つは、スペインが永らくイスラム教徒の統治を受け、その影響が今も色濃く残っている事であり、他のヨーロッパ諸国とは大分様相が違うことを再認識しました。

旅行は第1日のバルセロナから飛行機で国際空港のあるマラガに飛び、それから数日はスペイン南部のアンダルシア地方の各都市を訪ねました。
アンダルシアと言う響きのいいこの言葉は、元は「アンダルス」から来ている。「アンダルス」はイスラム教徒によるイベリア半島の呼称だったけれど、次第にイスラム教徒の支配領域を指す言葉となった。
イスラム教徒は700年代始め頃から、北アフリカからジブラルタル海峡を越えて侵入し、版図を最大にしたのは1000年頃で、イベリア半島の北部の一部を除く大半を占めた。この最繁栄時のイスラム王朝の拠点はコルドバで当時、人口100万人以上だったと言う。
その後次第にキリスト教徒に領土を狭められ、1238年以降の最後のナスル王朝はグラナダを中心とする地域に押し込められた。ナスル王朝は仇敵カスティーリア王国(イベリア半島中央部のキリスト教王国)に服従する政策をとって国の安定をはかり、経済を潤わせ、その富によりグラナダに壮大・優美なアルハンブラ宮殿を造った。
レコンキスタという、我々には馴染みがないけれど、スペイン人にはとても重要な言葉がある。キリスト教徒による国土回復戦争である。それはイスラム教徒侵入直後から始まった息の長い、抵抗運動であって、パレスチナと同様、二つの宗教・文化の戦いであった。イスラム側はアフリカのモロッコから援軍を入れたりして、熾烈なものであったようだ。
最終的には1492年にグラナダ王国が滅ぼされ、レコンキスタは目的を果たしたのですが、800年にも亘る闘争の刻印は大きなものがあり、その後のスペインの国民性や国家活動に大きな影響を及ぼし、今も克服すべき課題だという。

マラガの国際空港からリゾートとして有名なコスタ・デル・ソル(太陽海岸)を通り、途中、白壁の美しいカサレスの村にも寄り、イベリア半島の南端ジブラルタルへ。
ジブラルタルは海に突き出た岬で、地中海はここまでで、これより西は大西洋となる。対岸のアフリカ(モロッコ)は僅か26Kmに迫っていて、軍事上の要衝である。1713年以来英領となっていて、ここに入るには、国境越えの手続きが必要である。実際には、我々の場合は入国審査や税関はほとんどフリーパスだった。国境のゲートを出るとすぐ目の前が飛行場になっていて、1日何便か英国から物資や人が運ばれてくるとの事であった。
英国人運転手のミニバスに乗って英国領内の繁華街や軍港を見ながら、岬の突端を周り、それからターリク山(462m)に登る。
天気晴朗なれど・・・霞がかかっていて、見通しが今ひとつ。それでもジブラルタル海峡のはるか先に山並みがうっすらと見えた。モロッコのファハミン山2162mだとのこと。
海峡は26Km、山までは28Km と、案内盤には表示されていた。
この海を越えてイスラム教徒が侵入して来たのだ。モロッコの山が見えることで実感が湧く。そしてわが国における蒙古襲来と重ね合わせる。神風もないだろうし、この近さでは防ぎようは無かったろう。

Photo_25
スペインの地図
字が小さいが今回訪れた場所は全部載っている
ジブラルタル付近でアフリカが迫っているのがよく分かる

Dscf0497白壁の美しさで有名なカサレスの村
コスタ・デル・ソルからは14Km内陸だが、
永住する外国人(特に英国人)が多い 


Dscf0500 英領ジブラルタルへの国境ゲートと
ターリク山(英国人はThe Rock と呼ぶ)
この山に登りジブラルタル海峡を眺めた


Dscf0507 ターリク山からモロッコのファハミン山(2162m)
を臨む



Dscf0505_1 軍港。物々しい船はいない。




Dscf0511
ジブラルタル旧市街の広場
住人はもちろん英国人である

|

« スペイン旅行記5―プラド美術館 | トップページ | スペイン旅行記7―アンダルシアの旅2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/172334/10245044

この記事へのトラックバック一覧です: スペイン旅行記6―アンダルシアの旅1:

« スペイン旅行記5―プラド美術館 | トップページ | スペイン旅行記7―アンダルシアの旅2 »