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2006年5月29日 (月)

スペイン旅行記8―アンダルシアの旅3

ここでスペインの建築様式について整理してみる。
スペインの中世はイスラム教文化とキリスト教文化がぶつかり合った時代ですから、建築様式も相互に影響しあうことになりました。
①純然たるイスラム建築の代表例はグラナダのアルハンブラ宮殿やコルドバのメスキータ(モスク)など。ただし、スペイン独自の発展を遂げています。
②一方、キリスト教建築もイスラムの勢力圏外で造られ続けます。当初は北部で細々と、そして、キリスト教圏が回復するに連れて各地で。ヨーロッパの他の地域からの影響を受けながら、ロマネスクからゴシックへと発展していきます。
③そしてスペイン建築の最大の特徴は、二つの文化の混合様式が発達したことです。
優位にたったキリスト教支配地域では、在住するイスラム教徒が,その建築技術をもってキリスト教に奉仕してできた建築を「ムデーハル様式」と言う。煉瓦やセッコウを構造体に使い,タイルやアラベスク,さらに馬蹄形アーチや木組天井などを駆使するのが特徴である。この様式は11世紀に始まり,ロマネスク,ゴシック時代を通じて隆盛を極め,遠く新大陸にまで波及したばかりか,その好尚は今日にまで伝えられている。
④逆にイスラム支配地域に在住したキリスト教徒が、迫害を避けつつ岩にうがった教会堂を造ったり、北部に逃れて修道院を造ったりしたが、これらもイスラム美術特有の執拗な反復リズムや幾何学的傾向を取り入れている。これを「モサラベ様式」と言う。

ここで大事なことは、いろいろな形でイスラム様式が建築に取り込まれていると言うことはそれだけ、優れた点が多かったと言うことです。
スペインへ行って歴史的建築を見る場合、上記のどれなのかを意識していればより理解が進むでしょう。

5月9日、コルドバでは、典型的なイスラム教モスク(スペイン語でメスキータと呼ぶ)を訪れた。イスラムの新首都コルドバにふさわしいモスクを、という意気込みの下、785年から3期に分けて、最終的には2万5千人の信者が同時に祈ることができる巨大なモスクが建造されたのです。内部は白い石と楔形の赤レンガを交互に組合わせたアーチが限りなく広がっていました。アーチを支える石柱のコリント式柱頭部の飾りを見ると一つ一つ違うのが面白い。ガイドによると、ローマ遺跡などのものを再利用しているためだとのことだった。

Dscf0547  メスキータの内部は円柱の森
赤と白の組み合わせ、二層のアーチが印象的




なお、コルドバでは既述のとおり、パティオ祭も観光しました。

セビーリャは5月10~11日に滞在。
最初の観光はムデーハル様式の代表的建築「アルカサル」。レコンキスタ後の1362年、ペドロ1世がイスラム王の宮殿跡地に建設した要塞。以後のキリスト教時代の歴代の王の宮殿として使用された。例えば、乙女のパティオには小さな彫像(即ち偶像)とアラベスク(幾何学模様)の装飾が共存し、典型的なムデーハル様式となっています。
P1010110 アルカサルの外観  
14世紀のムデーハル様式
キリスト教徒がイスラム教徒の大工を招聘して
建設に当たらせた


P1010114
大使の間
カスティーヤ王国とレオン王国の紋章の間に
聖典コーラン文をデザインしたタイル装飾がある


P1010115
パティオの回廊の壁もタイル張り
湿気対策でもあるとの事



Dscf0589乙女のパティオの回廊の壁はこのような
アラベスクのタイルで覆われている。
単純な繰り返しではないし、近くで見るのと
遠くから見るので模様が違って見える


セビーリャでは世界第3位(ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ)の大きさを誇る大聖堂も見学した。ゴシック様式であるが、モスクに習って多柱多廊式の採用により、大面積の聖堂を実現している(モスクを改造した)。高さ97.5mのヒラルダの塔は、元はモスクのミナレットとして造られたものの上部に付け加えて鐘楼としたとのことですが、とても美しい仕上がりになっています。先端に乗っているブロンズ像(高さ4m)は風で回転するようになっているのでヒラルダ(風見)と名づけられたと言う。
礼拝堂にかかっているムリーリョ(セビーリャ出身)の巨大な作品「聖アントニオの幻想」を見ることが出来ました。
1_1
世界第3位のセビーリャ大聖堂の全景
(絵葉書より)


2_1
ヒラルダの塔
素人写真では全景を綺麗に撮ることが難しい
ので、絵葉書を使用しました
それにしても美しい





Photo_30

ヒラルダの名の由来となった風見部分の拡大
これは私の写真






Photo_31
内陣
16世紀に造られた杉の木の彫刻の上に金箔を
塗った祭壇飾り






Dscf0593
ムリーリョの
「聖アントニオの幻想」



意外なことにセビーリャは50Km以上内陸に位置するけれど港町なのです。コロンブスが到達したのはインドではなく新世界であることを証明したアメリゴ・ベスプッチも、セビーリャ港から出帆した。自由時間にセビーリャを良港たらしめているグアダルキビル川の遊覧船に乗った。川から眺めるセビーリャの街はまた違った趣きがある。川岸沿いには綺麗な紫の花が満開のジャカランタの並木があるし、川面にはカヌー、そして大航海時代に初めて世界1周した帆船ビクトリア号の復元船(昨年の愛知万博で名古屋港に来た)も係留されていたりするのでした。

Dscf0607
グアダルキビル川の遊覧船に乗る




Dscf0619
大型船も入れるよう、橋は中ほどで跳ね上げ式になっている
左の塔のところが発船場



Photo_38中央左よりの黒い船がビクトリア号。
500年の時を経て新たな世界1周の航海に出た。
その途上、万博開催中の名古屋に寄航した。


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