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2006年5月24日 (水)

スペイン旅行記5―プラド美術館

最終日にプラド美術館を訪れた。強く印象に残ったのは、見た順に言えば、フラ・アンジェリコの「受胎告知」、ベラスケスの「ラス・メニナス」、ゴヤの「裸のマハ」。

10数年前にフィレンツエに行った時、サン・マルコ修道院が閉鎖中で、フラ・アンジェリコの受胎告知の壁画を見ることが出来なかったので、プラドでは是非見たいと思っていたが、ガイドが最初に案内してくれたのが、これでした。
フィレンツエのに比べると、やや立体感にかけるけれど、基本的な構図は全く同じである。明るく純粋な色彩とシンプルな空間表現による典雅なアンジェリコの絵画世界が私はとても好きだが、ここプラドで実際に見ることが出来、嬉しかった。

展示室で初めて「裸のマハ」を見た時、尋常の絵ではないと感じた。余りにも美しく、生々しい裸体に、じっと見つめることに罪悪感を感じてしまう。きっと、男なら誰でもそうだろう。それは別にして、色彩と言い、明るさと言い、美術書で見て想像していたものとまるで違っていました。マハの横たわるトルコ風椅子のグリーンの鮮やかさ、真珠のように輝く肌の色、やはり実物を見ないと、この素晴らしさは分からない。名画中の名画のひとつであることを、プラドへ来て再認識しました。
この絵は、当時首相までしたゴドイという人物が自分の居宅に置くためにゴヤに製作依頼したもので、、しかも「裸のマハ」の上に「着衣のマハ」を重ねて掛けていた、と言われる。そういう目的を持った絵であるから、本来、美術館などに展示するものではないのかもしれない。とは言ってもこんな美しい絵を残したゴヤに我々は感謝しなければならないでしょう。
それから、着衣のマハより、裸のマハの方が絵画的に好きだと感じたが、美術書の解説によると、「裸」では筆致が繊細緻密で、彫刻的、感覚的な理想が優位を占め、「着衣」では筆触がはるかに暢達(のびのび)で、絵画的理想が優位を占めている・・・そういう違いがあったのか。
なお、プラドの入り口広場には、美術館の建物を睥睨するようにゴヤの像が置かれており、その足元には裸のマハの彫像も添えられています。

ベラスケスのラス・メニナスは実に大きな絵でした(318×276cm)。大きさゆえもあって、じっと見ていると絵の中に入り込んでしまう錯覚を覚える。
本来、この絵は王宮内の政務室に置かれていて、国王が絵の前に立つと、画中の人々が一斉に動きを中断して彼を注目し、国王は画中世界と一体化し得た。正にそのような効果を与えるべく、ベラスケスは眼が現実世界を捉える時の視覚印象を正確に絵に移す努力をした。「これは絵ではない。真実だ」「絵は何処から始まるのだ」と、当時の画家たちに言わせしめたとのことです。
構図にもいろいろ工夫を凝らしているが、中でも後ろの鏡に国王夫妻が映っているのが秀逸です。17世紀のスペイン国王は現人神に擬せられていて、鏡像という形で登場させるという、ゴヤの国王への深慮を示すものだと、私の美術書では述べています。

Dscf0784 フラ・アンジェリコの受胎告知





Dscf0782裸のマハ
美術書のコピーより写真の方が色合いが
実物に近い(プラドはノン・フラッシュなら撮影OK)


Dscf0783 着衣のマハ
ゴドイの居室では裸のマハの上に覆うように
着衣のマハが重ねて掛けられていた


Dscf0787 美術館の建物に向き合って建つゴヤ像
この角度からは見えないが、ゴヤの足元に
裸のマハの彫像が添えられている


2
ベラスケスのラス・メニナス(官女たち)

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