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2006年7月26日 (水)

講座「バッハの教会音楽における言葉と音」を受けて(1)

日曜日に朝日カルチャーセンターにて題記講座の第1回があった。
古典音楽研究の権威である藤原一弘氏が講師。
サブ・タイトルは「心の耳で聴くバッハ」ですが、バッハが教会音楽を作曲する時、歌詞をどのように捉えて、具体的にどんな風に音で表現したのか・・・言葉と音の関係・・・を知ると、バッハの音楽を心の耳で聴くことが出来るようになるという。

現代の我々はロマン派の延長上に居て、それに浸りきっている。その既存の枠組みを取り払わないと、本当のバッハは理解できない。それには、バッハ以前の音楽を徹底的に聴くしか方法が無いことを、講師の藤原氏は実感していると言う。

第1回は「音楽と言葉はいつ出会ったか?」でした。

・現代では、音楽は芸術という捉え方をするが、かつてはそうでなかった。紀元前500年のピタゴラスから、18世紀初頭のバッハ以前までは、Musica est scientia mathematicaすなわち「音楽は科学」と捉えられていた。そして音楽家は職人であった。

・中世においては、言葉と音楽には直接的な関係はほとんど無かった。優れた詩に優れた音楽を付ける。あるいは重要な言葉を際立たせるための役割を音楽が担った。
〈ここで、1,360年頃のG.ド・マショーの「ノートルダム・ミサ」を聴く。ある言葉の部分のみ音楽を例外的に際立たせているのがよく分かる〉

・ルネッサンスの16世紀から、言葉に対して音楽をどう表現するか関心が高まった。そして、言葉をより具体的・描写的に音楽で表現し始めた。これは、ルネッサンスがギリシャ、ローマの古典の再生であり、言葉自体への関心が高まった時代だったことも影響している。
〈ルネッサンスの音楽の例として、ジョスカン・デ・プレのモテットを聴く。「我が子アブサロン・・・」という歌詞のところで、フラット音を5~6個も使うことにより、黄泉に入る(死へ)と言う感情を、ドキッとするほど美しくも悲しく、見事に表現している。デ・プレは言葉を音楽に本格的に反映した最初の人。〉

・バロックの時代(1600~1750年頃)の音楽はAfektつまり、感情・情念を表現するのが目的になった。ただし、個人の感情ではなく、普遍的な意味での感情表現である。悲しみとはこういうものです・・・。
言葉の意味を直接的に音楽に表現するようになり、モンテヴェルディ(1583~1643)は「言葉は音楽の女主人である(言葉は音楽を支配する)」、と言っている。
〈サンマルコ寺院の音楽監督であったモンテヴェルディのAh, dolente partita! (ああ、辛い別れ!)を聴く。英国盤;二人のソプラノがミの音から同時に発して、突然半音階になると同時に二人の音が分かれていく。別れの痛みを忠実に音の上でも再現・・・言葉優先。
イタリア盤;全体の音程を下げて、男と女に歌わせている。おまけに途中に「休符」まで入れて、ため息の情感を表現。・・・イタリア人はここまでやるのだ。いずれにしてもモンテヴェルディというのは凄い。官能的なまでに美しい音楽でした。〉

今回はバッハ以前のお話でしたが、バッハの曲も1曲聞かせてもらった。
カンタータ8番 Liebster Gott, wenn werd ich sterben (いとも尊き神よ、わたしはいつ死ぬのか)

以上が概要ですが、高校以来音楽の講義を聴くなんてことは絶えてなかったので、とても新鮮な気分で受講できました。次回以降が楽しみです。なお、日曜日の講座はさすがに大盛況、受講者数は約100名でした。

Photo_57 ネジバナとモンシロチョウ
(日光Kさん提供)
絶妙のショット。脱帽ですね。


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