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2006年12月22日 (金)

インド旅行の印象その10(デリー市内)

デリーは巨大な都市である。人口は1380万人。地方=田舎からの流入がとどまることを知らない状況のようだ。とにかくデリーへ出れば何がしかの仕事がある。少なくとも生きていけるだけの食い扶持はかせげるようだ。才能があれば上昇気流に乗れるかもしれない・・・。
しかし、特にデリー市内の古い地区は、超過密でスラムもあふれているようだ。住むところの無い人のために、市当局やお金持ちの篤志家が、道路上に大きなテント小屋を提供してくれている、ということであったが、私たちも幾つかそういうテントを目撃した。デリーの夜は冷え込むから、毛布もちゃんともらえるらしい。最低限のことではあるが、思いやりが感じれれてホッとしたことでした。

今回のツアーの欠点であるが、ムンバイにしろデリーにしろ、大都会の現実をつぶさに見、都市文化を肌に感じる事ができるだけの時間がほとんど無かったのが残念である。
私たちは、実質半日でニューデリーの4箇所の観光ポイントを周っただけだった。

デリーは、地理的には広大なインダス・ガンガー(ガンジス)平原の分水帯に位置し,ベンガル湾,デカン高原,アラビア海さらには中央アジアからの交通路が集まる戦略的要地を占める。そのため,インド史上とりわけ西方からの外来諸勢力の根拠地となって来た。インドは永く小国分立の時代が続き、デリーには12世紀まではヒンドゥーの諸王が、それ以降はムスリム王権が都を置いた。ムガル帝国は何度も遷都を行なっているが、第2代皇帝のフマユーンと第5代皇帝シャー・ジャハーンはここに都を置いた。現在のオールドデリーである。1911年、英領インドの首都がカルカッタからデリーに移され、ニューデリー地区に官庁群が建設されることになって今日に至っている。したがって、古くて超過密のオールドデリーと、近代的で人口過少のニューデリーと、対照的な二つの顔を持つのです。

観光は、ラクシュミーナラヤン寺院、インド門、フマユーン廟、クトゥブミナールを見たが、後ろの二つは世界遺産だから少しく触れることにしよう。

まず、フマユーン廟。1993年世界遺産登録。
ムガル帝国は第3代アクバル皇帝によって名実共に、全インドを統治するようになったが、彼の父のフマユーン(第2代)のために壮大な廟を建造、1571年に完成させた。建築に際しては、フマユーンの王妃がイラン人の建築家ギヤースを招いたと伝えられる。
タージ・マハルにつながる、広大な庭園付き墓廟の先駆けである。

十字型の水路によって4分割された庭園の中央に墓廟は建てられた。墓廟は赤色砂岩を用いて建てられ、白大理石で象嵌されて、高い基壇の上に据えられている。廟の内部は中心に8角形の部屋があり、それが8つの連結した部屋で囲まれるように構成されている。そして、大理石で出来たハニカム状に穴が開いているスクリーンから眩しいほどの光が石棺に降り注いでいる。これは、イスラム教では、光が神のシンボルだからである。
この庭園を含む全体構成はイスラムの楽園を視覚化したものと言われる。(この部分は岩波「インド美術」を引用)

S0310赤色砂岩と白大理石のフマユーン廟




S_0308S0309S0317 左は第1の門。その内側に第2の門。一番右は廟の基壇上から見たもの。


S_25中の門の内側に、華麗なペルシャン・タイル
の痕跡が残っていた。 




S0316孔の開いたスクリーンから神の光が降り注ぐ。




長くなったので、この辺で切って、デリーの続きは次回に。

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