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2007年1月14日 (日)

リアーチェの戦士...ACC講座より

昨年から受けているACCの講座「地中海ブロンズの謎」の第4回目を先週、聴講した。第1回はブログで書きましたが、インド旅行の関係で2、3回目の報告が出来なかった。というより、報告が難しいのです。真っ暗の中でスライドで説明があるので、メモがほとんど取れません。また、肝心のブロンズ像をブログで示すことも出来ない。
しかし前回の「リアーチェの戦士」は、私個人所有の美術書にとても綺麗な写真が載っていたので、この写真を使って講座の内容を少しばかりお伝えしよう。

Photo_132

リアーチェの戦士はA(左)、B(右)2体ある。
古代ギリシャ美術の代表的なものと評価されています。
(写真はTHE STORY OF ART/E.H.Gombrichより)




Photo_133 この迫力!この精緻さ!
目、唇、歯などは別の合金で作られている。




1972年8月16日、南イタリアの先端に近いリアーチェ村沖で、あるアマチュア・ダイバーが魚を追って潜っていたところ、海底にBの髭の部分が見えた。探索の結果、2体のブロンズ彫刻が確認された。これらは引き上げられて、、現在、レッジョ・カラブーリア国立博物館に収蔵されている。最初に見つけたこの人には、評価額の1/4相当、5億リラが与えられたそうだ。(密輸されてしまうのを防ぐための報酬制度がある)

その後の研究結果から、この2体は、同時に見つかったが、当初から組作品として造られたものではないことが分かっている。
それは、ブロンズ各部の組成を調べると、AとBでは異なる点が多いからである。例えば、Aの主要部品の合金には常に銀が含まれるが、Bには含まれておらず、このことから、別の鉱山に由来する銅が使われている。また、鋳造土の組成から、当時の鋳造所まで推定できるのである。

それではこれらは、何時、いかなる目的で造られたか。以下は地中海ブロンズ研究の第一人者である講師の推定である。

Aは、前460年頃、アテーナイでアッティカの彫刻家によって、また、Bは、Aとは関係なく、前450~440年頃、コリントスで、ポリュクレイトスないしその周辺の彫刻家によって、それぞれ「戦場に赴く戦士(との別れ)」として、製作され、神域に奉納・展示されたと見られる。
Aは、右手に長い槍を、左手にはアルゴス式の楯を持ち、アッティカ式の兜も被っていた。また、Bは当初はコリントス式の兜を着け、右手にはフィアーレを持っていたと考えられる。(当時の陶磁器には戦士との別れの儀式の絵が多く描かれていて、どんな格好をしていたかが分かる)
これらは具体的にはトロイアー戦争の特定の英雄を意図しているであろう。

これらは、前146~86年頃、略奪によって、ローマに輸送され、そこで組み作品として展示された。なお、Bの両腕はローマ時代に作り直されている。

紀元330年ごろ、都がコンスタンティノポリスに移されたとき、ローマから船で新都に運搬中、リアーチェ沖で遭難したと考えられる。

数奇な運命をたどったが、とにかく現在、安全な博物館に収まっていることを、神に感謝しなければならない。

今回の講座で、このような素晴らしいブロンズ彫刻が存在することを知ることができ、とても有意義だった。是非、本物を見たいものです。

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コメント

ご機嫌よう

上野の西洋美術館で開催中の古代ギリシャ展の図録にありまして、ネット検索でここにたどり着きました。凄い像ですね!これが2500年前の作とは。2500年間の人間の進歩て一体?と思わせます。

投稿: 大坂 | 2011年8月29日 (月) 00時30分

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