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2007年3月23日 (金)

モローのガラティア...サロメ...

東京で全く同時期に、パリの代表的な二つの美術館(オルセー、ポンピドー)の所蔵作品の展示が行なわれるなんて美術愛好家には堪らないでしょうね。
私もその端くれとして、嬉々として上京し、2日に分けてゆったりと鑑賞しました。

今回のオルセー美術館展には、マネ、モネ、ゴーガン、ゴッホ、セザンヌ...と、ビッグ・ネームの絵がずらりと展示されていて圧倒される。それら全般について、私ごときが感想を述べてみても、ほとんど意味は無いでしょう。

私にとって、今回の展示の白眉はギュスターヴ・モローの「ガラティア」でした。
そこで、オルセー美術館展から離れてしまうことを覚悟で、モローの作品について書いてみることにした。

先ず、この絵は個人所蔵だとばかり思っていたのに何故、オルセーにあるのか?
この点については、目録の前書きを見て納得した。ゴーガンの「黄色いキリストのある自画像」、マネの「スミレのブーケをつけたベルト・モリゾ」、モローの「ガラティア」の3点は、日本経済新聞社が組織したメセナ活動によって最近購入された、とある。
ギュスターヴ・モローについてある程度詳しくなったのは、相当の枚数を見たし、鹿島茂著「ギュスターヴ・モロー/絵の具で描かれたデカダン文学」を熱心に読んだからである。この本には大抵のモローの絵が載っているのだが、「ガラティア」は白黒写真であり、個人所蔵となっていた。だから簡単に見れない絵かなと思っていた。これからは、オルセーへ行けば見れるのだ。

私が初めてモローの絵を直に見たのはもう10年近く前になる。ルーヴルの「出現」だった。この絵は以前から何かで見て知ってはいた。サロメは踊りの褒美にヨハネの首を所望してヘロデ王に斬らせるのだが、この図は後日譚として描かれている。突然現われたヨハネの首に驚くサロメ。その姿は艶かしく、宙に浮く不気味な首と対照的である。一度見たら絶対忘れられない構図です。
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「出現(ルーヴル美術館)」






その後、2004年10月にパリの美術館巡りのツアーに行き、オルセー美術館とギュスターヴ・モロー館で多数のモローの作品を見た。
この時、オルセーで見たのは、「オルセウスの首を持つトラキアの娘」。1870年以前ではもっとも重要なモローの作品とされるだけあって素晴らしい絵である。オルセウスは竪琴の名手であり、死に至るまでの悲しい物語があるのだが、ここでは、モローが「ひとりの若い娘が河の流れによって運ばれトラキアの岸辺に流れ着いたオルフェウスの首と竪琴を恭しく拾い上げる」というエピソードを描いたものだと言っていることに留める。ツアーの解説者から丹念過ぎるほどの説明を受けながら、かなりの時間この絵を眺め続けていた覚えがある。この時点ではオルセーには今回の「ガラティア」は見かけなかった。
Photo_176


「オルセウスの首を持つトラキアの娘(オルセー美術館)」






一方、ギュスターヴ・モロー美術館はツアーに組み込まれていなかったが、モロー・フリークの人が二人居てその人たちに誘われて行ったのであった。ここはホントにすごい。モローの絵が充満していてめまいを覚えそう。他の二人は絵を描く人たちだから、数知れないスケッチまで丹念に見ていた。私は一回り見てから、最も気に入った一枚の絵の前に座って30分以上眺めていた。モロー館の中でも最も見やすい位置に置いてあり、ちょうど良いところに椅子まで用意されていた。その絵は「ヘロデ王の前で踊るサロメ」だった。モロー館はとても照明が暗い。それでもサロメの裸身は光り輝いていた。サロメはこの踊りの後に褒美として王にヨハネの首を所望するのだ。この絵は別名「入れ墨のサロメ」とも呼ばれる。実際には入れ墨でなく、またサロメがすかしの薄物を着ているのでもなく、画面全体がレースのカーテンのようにアラベスク模様で覆われているのだ。官能的な雰囲気を更に高める、モローならではの表現である。
Photo_177

「踊るサロメ=入れ墨のサロメ(ギュスターヴ・モロー美術館)」







そして今回の「ガラティア」。
主催者でもある日本経済新聞に、著名人による「オルセー美術館展 魅惑の一点」という記事が連載されたが、その第1回がこの「ガラティア」だった。作家の高木のぶ子さんが書かれていたが、パリのモロー館も見た経験から、『モローの絵は沢山だと息苦しい。ひとつだけぽつんと光っていて欲しい』と言う。今回の展示では特別扱いのように他の絵から離れて置かれていたし、照明も良かった。そのせいか、海の精ガラティアの裸身は素晴らしく明るく輝いていたし、周りの海草も色彩豊かでとても美しかった。目録の解説によると、モローが描いたなかで、最も優美な裸体のひとつだそうだ。
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「ガラティア」
左上の顔は、一つ目の巨人ポリュフェモス。彼の絶望的な恋を暗示している。



ところで、モローの描く女性の裸身には特徴がある。素晴らしく美しいと感じるのだが、エロチックさはあまり感じない。よく見ると、スレンダーで、骨格や筋肉も感じられ、さらに乳房も小さめである。少年的なのだ。けれども、モローがホモ趣味だというのではない、と鹿島氏は言う。そうではなく「両性具有」として描かれているのだ。神話では、人間は原初には男女両性を持っていた。モローは神話に忠実だったし、多分、モロー自身が両性具有的だったろう、という。男でありながら、モロー自身の中にサロメが居た。それだからこそこんなに魅惑的なサロメが描け得たのだろう、という。

モローの絵は、同時代にあっては、画家たちより文学者たちに大きな影響を与えたという。モローの絵は当時の一般的な歴史画を大きく逸脱していたためサロンの評価をなかなか得ることができなかったのに対し、文学者たちは自分たちが文学でうまく描けなかった世界をモローが見事に絵画で表現していることに驚き、大いに賞賛した。そのきっかけになったのが、1876年に発表された、「出現」と「ヘロデ王の前で踊るサロメ」である。
モローは、これらの絵によって、背徳的悪魔的な誘惑の姿を持つ「宿命の女」としてのサロメのイメージを初めて明確に作り上げたのだった。文学者たちを大いに鼓舞し、そして文学史の流れを大きく捻じ曲げ、象徴主義、デカダンス、世紀末文学と言う風潮をもたらすことになったという。

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