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2007年5月21日 (月)

イラン旅行の印象その10 世界遺産ペルセポリス

10日目、シーラーズから北57kmにある世界遺産ペルセポリスを訪れた。このツアーのハイライトでもある。
ペルセポリスは言わずと知れた古代ペルシャ帝国の王都である。それでは、そもそもペルシャ帝国とはどういう帝国で、ペルセポリスの位置づけは?

イラン族の祖先は騎馬遊牧の民で、インド・ヨーロッパ語族のアーリア人の一部であった。イランという言葉も「アーリア」から来ているという。紀元前1000年紀に北方から南下してイラン高原に広がり、次第に農耕化により定住するようになった。
このイラン高原への流入は三つのグループに分かれて行なわれた。北西部にとどまったメディア人と南部まで深く侵入したペルシャ人(これらは西イラン族とも呼ばれる)、それにはるか東の方に進出した東イラン族である。イランの歴史・文化に大きな役割を担っているのは、西イラン族であり、とりわけオリエント世界を2度にわたって統一したペルシャ人である。
ペルシャ人によるアケメネス王朝が確立したのは、彼らがイラン高原を南下中の紀元前700年ごろのことである。キュロス2世(前559-530)になって、それまで従属していたメディア王国を打倒し、イラン族の代表の地位を確立した。
その後、キュロス2世始めアケメネス朝の各王が、リュディア、バビロニア、エジプトなどを次々と征服し、古代オリエントを統一した。しかし、エジプトなどの反乱もあり維持が難しかったが、ダレイオス1世(前522‐前486)は反乱を鎮圧し再統一すると共に、リビア、トラキア、マケドニアを従属させ、インダス地方にまで進出し、ここに領土は最大となり、大ペルシャ帝国が実現した。
ダレイオスの功績は,征服よりも組織者としての仕事にあると言われる。それは、新都ペルセポリスの造営であり、さらに様々な施策による中央集権体制の確立であった。その結果、その後2世紀にわたる安定した帝国運営が実現したのだった。

ペルセポリスの位置づけについて述べよう。
アケメネス朝の初期の政治的首都はペルセポリスの北方80kmに位置する「パサルガダエ(イスラム文献ではソロモンの母の墓と呼ばれる)」であった(これも世界遺産)。
大帝国時代になり、アケメネス朝は、ハグマダン(現在のハマダン)を夏の都、スーサ(エラムの都)を冬の都、ペルセポリスを春の都として使い分けた。
ペルセポリスは明らかに大帝国の首都を意識されて造られてはいるが、実際には政治的でも、経済的でも、軍事的でもなく、祭儀用の宮殿だった。巨大な建造物が、当時の最も重要な宗教行事、3月21日のイラン暦の新年祭「ノウ・ルーズ」のために造られている事実からも分かるという。(ファールス州文化保護局の資料による)

ペルセポリスは、遺跡の南壁の碑文によればダレイオス大王の命により紀元前518年に着工したことが分かる。その後の王達によっても使用しながら建設は続けられ、アレキサンダー大王によって燃やされる紀元前330年まで約200年間その役割を果たした。

ペルセポリスの建造物は、クーヘ・ラフマト (慈悲の山の意)西斜面の自然の岩盤に,一部,切石積みを施して,西側面455m,南側面290mのほぼ平行四辺形をなした大基壇(高さ11~18m)が造成され,その上に謁見殿(アパダーナ),ダレイオス宮殿,クセルクセス宮殿,中央殿,百柱殿,後宮(ハレム),宝蔵などが建てられた。

ペルシャ式建築の特徴は、石の土台があり、柱や門は石。壁はレンガ、屋根は木造、インテリアは世界各国の様式を取り入れていた。従ってアレキサンダーが火をつければ石の部分しか残らないのだ。なお、アレキサンダーは実質の首都スーサで得たより3倍もの財宝をペルセウスで得たとされる。

ひとわたりガイドの説明を聞きながら、見学したが、全貌を理解することは難しかった。帰国後、資料と撮って来た写真を見比べながら、改めてその美術・造形上の素晴らしさ、歴史的な意義を認識しているところです。
もっとも印象深かったのは、入り口の大階段(これも有名なものですが)に続くクセルクセス門と、アパダーナ宮殿(謁見の間)へ登る東階段のレリーフ(23カ国の使者が貢物を持って行進する絵)、柱頭を飾る巨大なホマなどの動物像であった。
また、背後の山に少しばかり登ってみた。ペルセポリスの全景が手に取るように見えた。
以下、写真で紹介する。

0422s0424s 左;遠方よりペルセポリスの大基壇を見る
右;基壇へ登るための大階段。110段ある。保護のため板が敷いてあった。

0425s0475s0432s クセルクセス門。高さ16m。門といっても実際は控えの間だった。東西南の3方に出入り口がある。
西ゲートは牡牛像、東ゲートは人面有翼獣神像の対のレリーフ。

0439s
百柱の間南側入口にあるレリーフ。
支配28カ国の人物が最上部の玉座と王を支えている構図。






0433s0481s0459s あちこちに点在する柱頭を飾る像は4種類ある。①想像上の鳥、ホマ。幸せを象徴する。イラン航空のマークでもある。②牡牛。恵みを象徴する。③ライオン。権力。④人間。良い考え。
0467s0448s 左は山から遺跡中心部を鳥瞰したところ。手前に百柱の間が見え、奥の屋根が作ってあるところが中核のアバダーナ(謁見の間)である。
右は、アバダーナへの東側大階段に彫られたレリーフ。ライオンと牡牛の戦いの図である。
0452s0454sPhoto_201 同じくアバダーナ大階段に彫られた属国23カ国から貢物を持ってくる図が描かれている。それぞれの国の特色が人物や貢物に表れていて面白い。1カ国ごとに糸杉でセパレートしてある。
0103s0077s この3点は、テヘランの考古学博物館に展示されているものである。左は有名な「ダレイオス1世の謁見図」右は「階段のレリーフ」

0086sこの「牡牛の柱頭」は百柱の間にあったもの。いずれも保存状態がよく、素晴らしい。 


 
 

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