« イラン旅行の印象その8 キャンドヴァーン村~アンザリー潟~マースーレ村 | トップページ | イラン旅行の印象その10 世界遺産ペルセポリス »

2007年5月18日 (金)

イラン旅行の印象その9 三大詩人の霊廟を訪れる

今回のイランツアーで、思いがけなかったことのひとつに、イランでは歴史的な詩人たちが偉人として人々に尊敬され、また広く親しまれていることだった。
8日目のマシュハドから9日目のシーラーズで、三大詩人(フェルドゥーシー、ハーフェズ、サーディー)の霊廟を見、そしてそのことを肌で感じました。
まず、現地ガイド(15日間通しです)の熱の入れ方が違う、それぞれの詩人の代表的な詩をプリントしてくれ、かつペルシャ語で誦してくれるのでした。
特にハーフェズ廟はイラン人の参拝客、学生、子供たちで溢れていて、彼等の振る舞いを見ていると、いかに彼がイラン国民に愛されているかが分かるのです。ガイドの説明によると、イラン人が最初に手にする書物はコーランであり、その次はハーフェズの詩集だと言う。

(1)フェルドゥーシー
フェルドゥーシーの廟は、イスラーム教シーア派の聖地マシュハドの近郊トゥースにある。
古代ペルシャでも朝廷詩人がいたようだが、文字ではなく口承が主体で、書かれた物は残っていない。
その後、2世紀にわたりアラブ支配を受けてイランはイスラム化し、行政・宗教・文化・学術語にはアラビア語が使用されるようになった。一方で、アラブ支配の恩恵とも言えるがアラビア文字による近世ペルシャ語が9世紀までに完成した。しかし、ペルシャ語による文学活動が行なわれる余地はあまりなかった。
9世紀前半頃から、イラン東部で民族王朝が樹立されたのに伴い、ペルシャ詩人が次第に現われるようになり、やがて宮廷詩人制度も復活され、ペルシャ文芸が復活するに至った。
10世紀後半に、先駆的な詩人たちの後を継いで,イラン建国からササン朝滅亡に至る神話,伝説,歴史をテーマに作詩に着手し,30余年をかけて約6万句に及ぶ大民族叙事詩《シャー・ナーメ(王書)》を完成させたのがイラン最大の民族詩人フェルドゥーシーである。
フェルドゥーシーはイランの歴史を6万の詩の形で残すと共に、アラビア文字によるペルシャ語を確実にこの国のものとしたことで、大きな功績を残したと、イラン人に評価されているのです。

ところで、驚いたことが一つ、上記の《シャー・ナーメ(王書)》の英語版が私の手元にあるのだ。何処だったか忘れてしまったが、博物館の売店のようなところで、見つけて買ったのです。その時点では、美しい細密画を紹介した本で、フェルドゥーシーの名が入っているから良さそうだ、というぐらいでした。今回この記事を書くに際して平凡社の百科辞典をひもといたところ、シャー・ナーメ=Shahnameh(この本のタイトル)であることが分かったという次第。はからずも、とても価値がある本を手に入れてしまった、と喜んでいる。
S_85S_86S_87フェルドゥーシー廟   
碑には彼の詩が刻まれている。右はフェルドゥーシーの彫像。幼子が無心に遊んでいた。




S_88S_89知らずして手に入れた《シャー・ナーメ(王書)》の英語版。各時代の王をめぐるエピソード集であるが、美麗な細密画がたくさん挿入されている。右は「Zahhak enthroned 」


(2)ハーフェズ
ハーフェズ(1325~1389)はシーラーズで生まれ、生涯のほとんどをこの地で過ごした。廟は街の北東の美しい庭園の中にある。
ハーフェズはイランで最も偉大で、敬愛されている抒情詩人である。酒,恋,美女などをテーマに象徴主義手法を用いて作詩し,神秘主義思想と現実の両意に解釈できるように表現し,抒情詩を最高・完成の域に達せしめた(平凡社世界百科)。
イラン人は誰もが三つや四つ、彼の詩を知っているという。ガイドによれば、男性はハーフェズの詩をたくさん知っていなければ女性にもてないという。
どんな詩か? 彼の墓石に刻まれているのは次のようなものだ。

1 そなたと結ばれる吉報はいずこ、私は命を捧げよう
  私は天国の鳥、この世の罠から抜け出そう
2 そなたへの愛に誓って、私を自分の奴隷と呼んでくれるなら
  私は時間と空間の支配から抜け出そう
3 神よ、私が埃のように消え去る前に
  お導きの雲から慈雨を降らせたまえ
4 我が墓の傍らに酒を持ち薬師を連れて座れ
  そなたの芳香で私は墓から踊りながら起き上がろう
5 麗しい歩みの恋人よ、立って姿を見せよ
  私は踊りながら生命とこの世に別れを告げよう
6 老いたりとも一夜私をしっかり抱いてくれ
  翌朝私は若返ってそなたの傍から起き上がろう
7 死ぬ日、そなたに会う一瞬(いっとき)の猶予をくれ
  ハーフェズのように、私は生命とこの世を捧げよう
0376s0380s 
次々とイラン人が棺の回りに参拝に訪れる。これは学生のようだ。若いイラン人女性はとても美しい!
0382sS_93 




0389sこのようにこんなに小さいうちから、ハーフェズに親しむお国柄だ。

S_94
廟に併設されているチャイハネでお茶を飲む。チャイハネには必ず水タバコが置いてある。

(3)サーディー
サーディーはハーフェズより一昔前の13世紀の抒情詩人である。長く中東、北アフリカ、インドを放浪し、晩年になってシーラーズに戻り、没した。不朽の名作《薔薇園》と《果樹園》を作詩した、教訓詩の最高詩人として名高い。特に薔薇園は世界各国語に翻訳されているという。
サーディーの廟はハーフェズ廟からほど遠からぬ場所にあった。
ガイドによると、ハーフェズよりサーディーの方が詩の内容が分かりやすいという。果樹園の中から詩の紹介があったが、確かに教訓的内容だった。
S_90S_91S_92ここにもイラン人が大勢訪れていた。廟の一角には地下水槽のあるチャイハネがあった。子供たちに占領されていたが。水の中には金魚!

|

« イラン旅行の印象その8 キャンドヴァーン村~アンザリー潟~マースーレ村 | トップページ | イラン旅行の印象その10 世界遺産ペルセポリス »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/172334/15101041

この記事へのトラックバック一覧です: イラン旅行の印象その9 三大詩人の霊廟を訪れる:

« イラン旅行の印象その8 キャンドヴァーン村~アンザリー潟~マースーレ村 | トップページ | イラン旅行の印象その10 世界遺産ペルセポリス »