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2007年6月 3日 (日)

イラン旅行の印象その15 イスファハン(2) 世界遺産「王の広場」...End

「王の広場」は古い呼び名で、イスラム革命後は「エマーム広場」となったが、この方がイメージが湧く。
イスファハンは典型的な都市計画に基づき造られた街である。時は16世紀。イラン北西部でサファヴィー朝が興り、勢力を確立するとイラン北西部のタブリーズを首都とした。しかし当時力を持っていたスンニ派のオスマントルコとの戦いに破れたことを契機に辺境のタブリーズを捨て、南東450kmにあるカズヴィーンに遷都した。その後、アッバース1世(在位1588-1629)は、国の経済的発展のための施策を進めたが、その一環としてイスファハンに新首都を建設した。アッバースは交易を促進するため国中にキャラヴァンサライのネットワークを作り、首都にその交易機能の中心的役割を与えた。そのような構想の下にイスファハンの都市計画は為され、整然とした街づくりが行なわれたという。

この都市計画の中心となったのが「王の広場」である。それ以前のイスファハンは、ザーヤンデ河から北へ4kmほど離れたところにある「金曜日のモスク(前回の記事参照)」を中心とした小振りの街だった。11世紀にはモスク(広場もあった)を中心に直径2kmの市壁も整えられていた。
王の広場はこの狭い市壁内の西南端に造られ、新しい商業・宗教・政治の中心の機能と拠点をここに据えた。そしてこの新旧広場は延々と2kmも続くバーザールで繋げられた。このバーザールはヴォールト(屋根)の架かった立派な通路で両側に店舗が並び、キャラバンサライ、モスク、浴場その他100以上の公共施設にに繋がるドーム付き交差点まであった。店舗は銅細工街、香料商街、貴金属街...というようにゾーニングもされていたという。
都市計画としてはそれだけにとどまらず、王の広場から南へ、ザーヤンデ河を越えて幅員80m長さ3kmの大通りが造られ、さらに南の終点には階段状の巨大な庭園が造られた。ここに架かる橋が現在のスイ・オ・セ橋である。この大通りの両側は新首都に集まって来た人々の居住地となった。
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左図はアッバース1世による都市計画





王の広場は縦510m、横163m、約8ヘクタールの大きなものである。広場は統一規格の長いファサード(回廊)により完全に囲まれ、外界から遮断された中庭の形態である。そして東西南北にそれぞれ重要な四つの建築物への立派な入り口が付いている。
北はバーザール、南は「王のモスク」、西は王の居住区域への大門である「アーリー・カープー」、東は王族専用のモスク「マスジェデ・シャイフ・ロトゥフォッラー」への、それぞれ入り口が広場に向けて開いている。
この広場は、閲兵、王の衛兵の訓練、弓術やポロの試合など、公式ないし王のための行事にはもちろん使われたが、大部分の時間は広く市民に開放されていた。このため、この広大なスペースは大抵、商人、職人、床屋、見世物などの出店でぎっしりと満たされていて、それはそれは賑やかだったという。下の図は1735年に描かれた銅版画で、その雰囲気が分かる(岩波「イスラーム美術」より)。
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(南・・・王のモスク)
王のモスクへの入り口はきちんと広場に向いているが、モスクそのものはメッカの方向に向けて45度斜めに配置されている。このモスクの内外のほとんどの表面が多色釉タイルで覆われ、色彩が美しい。とりわけ、玄関は全てモザイク・タイル(色の着いたタイル小片を組合わせて複雑な模様を形作る)で覆われていて傑出している。その天井部分に造られているムカルナス(鍾乳石飾り)がまた見事。ひとつひとつの小さな湾曲面もモザイクタイルの小片を組合わせて出来ている。
青を基調とした色鮮やかなタイル装飾はイラン建築技術の真骨頂だ。(「世界のイスラム建築(講談社現代新書)」)
中央礼拝堂のドームの色彩も素晴らしい。ドームは二重構造になっていて、外側は54m、内側は38m。このため、複雑な反響効果が生ずる。試しに、現地ガイドがコーランの文句を唱えてくれた。
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(東・・・マスジェデ・シャイフ・ロトゥフォッラー)
マスジェデ(=モスク)の名があるが、ミナレットが無いし、その他のモスクとしての要素がかなり欠けていて、むしろ廟の系統に近い建物のようだ。王の私的なモスクとされるが、実際の用途は謎だという。
それはともかく、『ドームの内装は、おそらく、ペルシャ建築の中でもっとも完璧に調和の取れた空間ということができ、まばゆい日光の下から長くて暗い通路を通った後に遭遇する巨大な輝く部屋のインパクトは強烈である...(岩波世界の美術「イスラーム美術」)』
全くその通りの印象だった。現地ガイドの表現では入り口から見上げると、孔雀が羽を広げたように見える。なお、この装飾は、上部がモザイクタイル、下部が絵付けタイル(これは20cm角)の組み合わせである。
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(西・・・アーリー・カープー)
アーリー・カープーとは「至高の門」の意。これは当初、王の庭園(居住区)への簡素な門として造られたが、何度も改築され、上層が付け加えられて謁見の間へと進化。さらに、広場で行なわれるパレードやゲームの公式閲覧席としても使われた。上層のベランダは確かにとても眺めが良い。王のモスクの全景写真もここから撮ったものです。
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右は2階のベランダ部分。ここからポロの試合などを見た。






(北・・・ゲイサリーイェ・バーザールへの門)
この門から金曜日のモスクまで2kmほどバーザールが続いていることは既に書いた。残念ながら、この歴史的なバーザールには時間が無く行けなかった。
その代わりということでもないが、広場の外周を一回りしている回廊に並ぶ絨毯屋、金工細工屋、名物菓子を売る店等を見て歩いた。伝統的な金工細工に関しては店舗の裏には小さな製作所が付随していて、その仕事振りを暫し眺めていた。
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突き当たりの門がゲイサリーイェ・バーザール(金曜日のモスクまで2km続く)への入り口。
広場には観光用の馬車が走っている。

0801s0802s0800sこの3枚は、広場の外周の観光客向けバーザールで撮ったもの。
この金工細工店にはとんでもなく面白いものが置いてあった。
左の写真;ターバンの人がお客(パキスタン人)、黒っぽい服装の人がイラン人店員。
絨毯屋でお茶を飲みながら冷やかしていたら、あっという間に時間がなくなってしまった。

随分、飛び飛びの、しかも偏った旅記録になってしまった。もうタイムリミットなので、ひとまずこのシリーズを終えることにしよう。
これを書くに当たって随分調べたから、今頃になって、自分の周った所がどんな所だったかおぼろげに掴めて来た。イランには、きっともう一度行くだろう、そんな予感がする。
 
S_97Ssこのツアーでは行く先々でバーザールに入った。 地元の人たちと一体になれる得がたい機会である。私自身も、お菓子、トルコ石...バーザールで結構、買い物を楽しんだ。
左はシーラーズのバザール。
右は、聖地マシュハドのバーザール。
若いイラン人女性はとても美しい。

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コメント

大連載、楽しく拝見しました。
「お気に入り」に登録し、毎日チェックしていました。
走馬灯のように楽しかった日々が思い出され、目頭が熱くなりました。

絨毯もまた買いたいし、砂漠ツアーにも行きたいし。。
またきっとイランに行くと思います。

楽しい旅のレポートを今後も楽しみにしています。

投稿: フジモトサオリ | 2007年6月 3日 (日) 14時41分

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