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2008年6月に作成された記事

2008年6月29日 (日)

〝塔の街〟ピサとサン・ジミニャーノ...北イタリア旅行雑感6

ピサとサン・ジミニャーノはまったく性格の違う街だが、観光の面からそのキー・ワードはいずれも「塔」である。〝斜塔〟と〝多塔〟...
今回のツアーでは、フィレンツエを根拠地にして、シエナも含めて同日に周った。

《ピサ》
〝斜塔〟のある奇跡の(ミラコーリ)広場に到着すると、凄い人だかり。イタリアでも有数の人気スポットだから当然かも知れない。ヨーロッパ各国から観光客が大勢押し寄せる。駐車場にはロシアから来たとても珍しいバス・ホテルが居た。

Photo芝生が美しく広々とした「奇跡の広場」に 立つ大伽藍群。手前から洗礼堂、大聖堂、鐘楼=斜塔。
ピサは10~13世紀頃、ヴェネチアと同じく海洋都市国家として大いに栄え、交易や戦利品等、豊富な資金に恵まれていたから、こんな立派なものが建造できたのだという。
Dsc_0305_3Dsc_0312鐘楼の傾き具合...現在3.97度。高さ56mあるが鉛直軸に対して4.10mずれている。もっとも途中で修正してバナナのように反っているのだが。
1173年に着工、3期に分けて工事が行われ、1350年に竣工。第1期工事から傾斜を始めたため、時間がかかった。
原因は地盤の不等沈下で、外の建物も微妙に傾いているのだという。今のところ沈下は止まっていて、このままなら300年は倒れないと言うご託宣が出ているらしい。

Photo_3Photo_4上部と下部の拡大。
塔に登りたかったが時間がなく断念。   
僅か4度の傾きだが、人間の心理には大きく影響する。奇妙で、不安で、面白くて...





Photo_5大聖堂 。ピサ・ロマネスク様式の最高傑作とされる。



Photo_6Photo_7Photo_8洗礼堂。宝石箱のような美しい外観と共に、内部空間の音響効果の良さが有名。
 




Photoもう一つ重要な建物がある。カンポサントすなわち納骨堂。大理石の美しい建物だが、内部には歴史的な資料や素晴らしいフレスコ画などが展示されている。

Photo_9駐車場で見かけたホテル・バス。ロシアからはるばる来たようだ。昼だから乗客は前のバスに居た。高齢の女性が主体のようだった。


Photo_10フィレンツェから流れ下ってきたアルノ川が街の中を貫通している。河口まで僅かの距離。海洋国家だった 証し。


Photo_3S_2バス移動中のスナップ。トスカーナ!   




《サン・ジミニャーノ》
ピサから美しいトスカーナの風景の中を1時間半ほど走ると、小高い丘の上に高い塔を含む建物がぎっしりと詰まった街が見えてきた。南北1km、東西500mほどと、小振りだが、城壁に囲まれ、石畳の道が続く、中世の雰囲気を色濃く残す街だった。
この街の特徴となっている〝塔〟は、現在14残っているが、13~14世紀には72にも達したという。当初は防衛のために塔が建てられたのだが、街の繁栄と共に、貴族達がその権力を象徴するものとして、高さと美しさを競い始めた。さらには、教皇派と皇帝派との勢力争いが火に油を注ぐ結果となった...
このような事情は、イタリアの他都市も同じだったが、サン・ジミニャーノがもっともよく保存されているということでしょう。

Photoサン・ジミニャーノの街が見えてきた。標高324mの丘の上の城壁に囲まれた街だ。



Photo_12Photo_3 中世の趣を残す街を行く。どこからでも高い塔が見えるのがこの街の特徴だ。







R0012932街の中心、チステルナ広場へ。大勢の観光客で賑わっていた。




Photo_13チステルナ広場に隣接してドゥオーモ広場がある。これが参事会教会ドゥオーモ。向かって左にポポロ宮(美術館になっている)があり、54mの塔が付属している。この塔に登ってみた。


Photo_14 広場の周りには7つの塔が集まっていて壮観だ。




Photo_4ドゥオーモ広場に面して建つポデスタ宮。








SR0012938ポポロ宮の塔に登った。向かいのポデスタ宮と遙かにトスカーナの野が見渡せてとても美しい風景だった。

Photo_15




R0012941_4S_4Photo_16ポポロ宮の塔から見た広場。左から時計回りに繋がっている。左の2枚には真下にドゥオーモの階段が写っているから、位置関係が分かる。1枚目の写真に写っている塔はサルヴィッチの塔。3枚目はチステルナ(井戸の意味)広場。真ん中に井戸が見えるPhoto_10。 

チステルナ広場のヴァイオリン弾き。広場名由来の井戸が見える。






Photo_11サンジョバンニ門に通じる通りを見下ろす。








Photo_17Photo_18花のある風景。左の赤いのはゼラニュームのようだ。



Photo_19Photo_20 左はワイン屋さん。イノシシの意味は不明。狛犬のごとく店の両脇に。







(この日に周ったピサ、サン・ジミニャーノ、シエナは全て世界遺産。今回訪問カ所はほとんどが世界遺産だから以降、特に断らないことにする)

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2008年6月23日 (月)

霧のサンマリノ...北イタリア旅行雑感5

イタリア半島にサンマリノ共和国という国が存在することはご存じでしょうか。何となく知ってはいても、それでは具体的に何処にあるのか、どんな国か、と問われると、たいていの人は答えることが出来ないのではないでしょうか。私自身もそうでした。

今回のツアーでは、サンマリノに1泊する行程が組まれていました。
サンマリノ共和国は世界で5番目に小さいが、現存する最古の共和国だ。人口2万7千人。
地理的には、イタリア半島を長靴に見立てれば、ふくらはぎの上の辺りと言えばよいか?ヴェネチアの南、アドリア海寄りの山中に国土が広がっていて、面積は61平方キロメートル(世田谷区より少し大きい)。首都サンマリノ(国名と同じ)は、標高750mのティターノ山の頂上付近にあり、約4500人が住んでいる。
共和国最高責任者が6ヶ月ごとに選出される制度は、1243年に始められて以来、今もほとんど変わらずに続いていいるというから驚異的だ。議会にあたるものは、当初は家長の集会だったが、現在では60名のメンバーから構成される「大評議員会」となっている。
歴史的にはもちろんいろいろの困難があった。特に外敵の攻撃には常にさらされていたけれど、ティターノ山の三つの砦が象徴しているように果敢に戦ったし、また、法王の力を借りたり、巧みに同盟を組んだりして、ともかく独立を守り通した。他国から見てそんなに魅力のある国土でもなかったことも幸いしている。
産業的にはあまり見るべきものは無い。周りのイタリアと同じように、小麦、ブドウ栽培、牧畜等が行われているが、この国を支えているのは、年間300万人近くの観光客と、とりわけ収集家に人気のある珍しい切手の発行である。

我々のサンマリノ滞在は、17時頃、到着して、翌朝9時には出発という、とても慌ただしいものだった。したがって、ホテルに荷物を置くと、すぐさま観光に出た。小さいけれど政庁など一通りの役所関係の建物もあるところが、普通の街と異なる。旧市街の中心、リベルタ広場を見、それから、サンマリノの象徴でもある、三つの砦(ロッカ・グアイタ、ロッカ・デラ・フラッタ、ロッカ・モンターレ)を目指した。この頃から山頂付近は急速に霧がかかりだし、見通しが悪くなってきた。時間が遅いから中には入れず外観だけだったが、どの砦も個性があって面白かった。また、途中の尾根からの眺めはまさに絶景だった。ちょっとしたハイキングになり気分も最高だった。
翌朝、早起きし、外へ出たけれど、濃い霧で視界がまったく効かず。それでも、昨夕、見きれなかったところを少しでも見ようと歩き始めたが、それこそ五里霧中。方向感覚が次第に怪しくなってきたので、早めに切り上げた。霧のせいかもしれないが、幻想的でなんだか面白そうなところを見つけたのだが!

R0012688R0012698R0012701_2サンマリノがあるティターノ山が遠くに見えてきた。近づくに従って、国旗にも表されている三つの砦が尾根沿いに並んでいるのが識別できるようになった。

Dsc_0056Dsc_0059 700mの高みから下界を見る。
 



Dsc_0041Dsc_0049ホテル近辺の建物を写す。



R0012712_2




Dsc_0046Dsc_0043城門と、それに続く城壁。この内側に政庁など、中心部がある。



PhotoPhoto_2左は共和国議会(評議員会)が行われる政庁。この前はリベルタ広場。
右はバジリカ(教会堂)。
いづれも、こじんまりとしているが風格がある。





Dsc_0057Photo_3首都サンマリノの街は坂ばかり。Y字路があったり、複雑だ。 







Photo_8Photo_9三つの砦を見るために山道へ入る。
これは、もっとも北の方にあるロッカ・グアイタ。







Photo_5Photo_6Photo_7次はロッカ・デラ・フラッタ。最も峻険な場所にあり、格好が良い。時間が時間だけにすべて閉門。

Dsc_0073Photo_10砦フラッタの近くの尾根から下を覗くと...〝絶景〟でした。 右はサッカーのコート。


Photo_11一番南のロッカ・モンターレ。いよいよ霧深し。


Photo_12サンマリノの国旗に、この三つの砦があしらわれている。とてもさわやかなデザインですね。




Dsc_0083PhotoS砦巡りを終えた頃には夕闇が迫っていた。ホテル前で夜景を撮る。
サマー・タイムは1日が長く感じる。日本でも採用すべきだと思います。




Photo_2R0012751翌朝早く外へ出てみたが、全てが霧の中。それでもカメラを持って散策に出る。 



Photo_3R0012747城門が幻想的だ。




Dsc_0103Photo_5 昨夕は城門から上の方に行ったが、今朝は下へ。
公園があり、周りに教会もあった。






Photo_6S_2 公園には素敵な噴水と乙女の像があった。やっぱり来てみて良かった。






S_3霧と朝の光でとても神々しく見えた。




 

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2008年6月18日 (水)

パヴィアの僧院(ミラノ郊外)...北イタリア旅行雑感4

初日のミラノ観光の、そのまたトップ・バッターが〝パヴィアの僧院〟だった。スタンダールのパルムの僧院を思い浮かべてしまう名前で、行く前から期待していた。
カルトジオ会の修道院で、ガイド書によれば世界でも5本の指に入る有名な修道院だという。
ミラノの領主だったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティやフランチェスコ・スフォルツァ等により1396~1500年中頃に建設されたもの。
とにかく建物が素晴らしい。
以下、写真で...

0001sS_4天井にカルトジオ会の最初の修道僧7人を描いた門をくぐると、修道院の正面ファサードがパッと眼に入ってくる。 圧倒的な存在感である。残念ながら、一部修復中だったが、これだけ見られればラッキーというべきか?

R0012321sDsc_0010sR0012320s_3 ファサードは全面、レリーフで覆われているが、その一部をアップ写真で。 






0011s0014s建物内に入ると、天井やキューポラに青を背景にして描かれたフレスコ画がとても印象的だ。右の写真は奇跡的によく撮れている。(ISO800 F5.6 1/3秒)

S_5Photo 左は内陣。
右は象牙と動物の骨で造られた祭壇。






R0012330s修道院の創始者ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ の廟 墓もある。
色大理石の床が美しい。
 




R0012338s54のアーチを持つ小回廊。




R0012341s0019 122本の柱が並ぶ大回廊。周りに24の中庭付き個室があり、僧たちは独居しながら瞑想にふける。
バラの花色も建物と調和がとられているようだ。ここに立つと、とても不思議な感覚を覚えた。


☆    ☆    ☆

ミラノで何処を見たか、一応報告しておきましょう。先ず、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見た。
予約が取れるかどうか直前まで分からなかったが、現地へ行って事情を了解した。一度に入れる人数は25名。しかも15分ごとに入れ替える。こんな方式なので、見られたこと自体がとても幸せなことなのだ。
完全修復の成果をこの目で見ることが出来た。写真で見るより、色彩も輪郭も薄目だった。だからと言って近くで見るのではなく、むしろ距離を置いてみた方が、キリストや弟子達の姿がクリアに見え、また絵の全体構成がよく分かる。改めて、唯一無二の傑作であることを認識しました。
Photo_2サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。ここの修道院食堂に「最後の晩餐」がある。


ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世ガレリア お洒落なミラノの代名詞的存在。舗道のモザイクの美しさは特筆に値する。
0049R0012352







スフォルツア城 14世紀にミラノを支配したヴィスコンティ家の居城だった。現在は博物館になっている。
Photo_3Photo_6中庭にはこんな置物が!








大聖堂(ドゥオーモ) 1386年、ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命によって建設に着手するも、完成までに500年を要した。イタリア・ゴシック建築の代表的なもの。上に伸びる尖塔は135本もあるという。内部のステンドグラスも素晴らしかった。
Photo_4Photo_5 




ミラノの街角で

Photo_3Photo_7  









〈続く...ただし、順序・重要度無視。突然終了するかも。〉

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2008年6月16日 (月)

あじさい(紫陽花)が美しい!

〝あじさい〟の花が真っ盛りだ。何処にでもある見慣れた花であるはずなのに、民家の軒先や公園で出遭うと、その美しさについ惹きつけられますね。
鶴舞公園などで撮った写真を載せておくことにしました。

ところで、平凡社の百科事典によると、『〝あじさい〟の花言葉は、〈高慢〉〈美しいが香も実もない〉で、女性への贈物にはふさわしくない。』とある。
また、語源は、〈集(あづ)真(さ)藍(あい)...藍色を集めるの意〉という説が有力視されている、とのこと。
さらに、こんなことが書いてあった。
『水をよく吸うので、日当りの悪い裏庭や古寺に植えられることが多く、ガクアジサイの自生する伊豆諸島では,この葉を便所の落し紙として利用したという。日本で「草冠に便」の漢字を当てるのはこのためだとする説もある』(残念ながらそんな漢字はATOKには収容されていなかった!)
せっかくの花の美しさを損なうようなことを書いてすみません。

Dsc_0053s 「藍を集める」の語源の通り、素敵な色。



Dsc_0056s



Dsc_0057s



0095s




S_3SS_2 ガクアジサイ...同じアジサイで、どうしてこんなに違うのか?


S_3これはまた凄い濃青色。形は良くないけれど。



S_4これは何の花?
ある料亭の前に斑入りガクアジサイと一緒に置いてあった。アジサイの一種のようにも思えるけれど。花の形がとても複雑。


S
鶴舞公園の「紫陽花の小径(?)」



S_2
いつもながら、花と女性は似合いますね。

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2008年6月12日 (木)

トスカーナ/オルチャ渓谷を行く...北イタリア旅行雑感3

北イタリア旅行10日目、1日がかりでオルチャ渓谷を通り抜けた。途中、モンタルチーノとピエンツァという小さいけれど中世に起源を持つ個性ある街も観光しながら。
〝オルチャ渓谷〟というのは、シエナの南東の広い谷のことですが、絵のように美しい風景が広がることで有名です。トスカーナの絵はがきやカレンダーに載せる写真は大抵この地域で撮られている。
どんな風景か?言葉で説明するのは野暮というもの。強いて言えば、緩やかにうねる丘陵地に、麦畑、ブドウ畑、糸杉、牧地、農家がある...
〝オルチャ渓谷〟は2004年に世界遺産に指定されているが、その理由は、この素晴らしい景観と共に、多くのルネッサンス芸術家により伝搬された芸術・文化の保存のためです。

バスの運転手がこの地域の出身ということで、特に美しい道を選んで走ってくれたようだ。カレンダーに採用された撮影ポイントも含めて。
しかしながら、道路が狭く、停車禁止になっていて、写真はバスから撮るしかなかったのが残念だった。
ゆっくり走ってくれたが、ブレてしまって、どうせろくな写真は無いだろうと思いこんでいたけれど、帰国後、記録メディアを見てみると、その何割かにはなかなか美しい風景が写っていました。ブレていてもそれだけ被写体が優れていると言うことでしょうね。

オルチャ渓谷に入ると、先ずこんな風景が目に飛び込んでくる。
Dsc_0469s
緑の海原...1本の木が!



Dsc_0001s
農家と糸杉...べったりと絵の具で描いたように見える
バスの窓枠が無粋だ。


Dsc_0005s
ポピーの赤が華かさを演出する。



オルチャ渓谷の中程に、モンタルチーノという小さな城砦都市(人口5000人)がある。赤ワインの最高級銘柄〝ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ〟を産することでも有名。昼食にモンタルチーノが付いていた。ブルネッロではないが。
Dsc_0428Dsc_0442sS城門をくぐってモンタルチーノの街に入る。右はドゥオーモ。





Dsc_0452S_2街の中央に13世紀の要塞があり、もっとも高い塔に登ってみた。



S_3Dsc_0458sポピーと糸杉。 
特に糸杉はトスカーナの風景に無くてはならぬものだ。
 

PhotoS_4左は街の入り口に立つシンボル。 
途中のスタンドで見かけた旧型アルファ・ロメオ。旧型車だけでツーリングする愛好会らしく、外にも珍しい旧型車多数。




さらにオルチャ渓谷を行く。
Dsc_0471s名が分からないが、ポピーと対照的なこの黄色の花が目立った。



Dsc_0006s糸杉の列。道路に沿って植えてあるようだ。




Dsc_0470s糸杉の林




Dsc_0010sきりがないからこれくらいに。




ピエンツァに到着。標高490mの高台にあり、人口2000人。ローマ教皇ピウス2世が自身の出身地に建設したルネッサンス期の代表的な都市の一つ。
S_5S_6Dsc_0028s








Dsc_0034sDsc_0035sピエンツアの街の高台から見える風景。 
これもオルチャ渓谷の風景。

   

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2008年6月 9日 (月)

鶴舞公園の花菖蒲コレクション

日曜に鶴舞公園の花菖蒲の様子を見に行った。
満開と言う言葉が適切かどうか分からないが、菖蒲池全体が花で覆われ、その賑々しいこと!まさに見頃だった。前日に雨が降っていることもあって、すごく瑞々しかった。
そう広くもない、いや狭いくらいの池だが、これだけ一斉に花を咲かせると、逆にこれくらいの方が観賞用には良いのでは、と思った。
毎年見に来ているはずなのに、今年はとりわけ綺麗に思ったのは、気のせいか?
子細に見ると、随分いろいろの品種が植わっているようだ。主なものを写真に撮ったので、掲載しておきましょう。
見に行くなら早めの方がいいですよ。

イタリア旅行の報告もしなければならないけれど、旬の情報は早く伝えねばね!

Dsc_0005s 紫は基本色




Dsc_0037s 優雅!




Dsc_0038s開放(F2.8)で撮っているので、水滴の丸いボケが浮き出て面白い。花そのものはピントが少し甘いようだ。



Dsc_0042s素敵な色彩。感心しました




Dsc_0043s黄色はまだ花弁の大きなものが開発されていないようですね。これはその中でも豊か。



Dsc_0044s得も言われぬ、たおやかな美しさ! 




Dsc_0049s 原始的な形、シャガを思わせる。キリキリシャンとしたところがいい。




R0013668菖蒲園全体の様子。比較的人が少なかった。




以上は、私の好みで選んだものです。外にもいろいろあります。

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2008年6月 7日 (土)

オルヴィエートの聖体祭を見る...北イタリア旅行雑感2

スペッロの花絨毯を見た後、聖体祭が行われているオルヴィエートに向かった。
オルヴィエートの街は、ローマの北120kmの、標高300mの丘の上にある。近づくにつれ、丘の上に堅固な城壁で囲まれた街並みが見えてきた。ここは、かつてローマが外敵に襲われた時、法王が逃げ込むための避難場所でもあったのです。
街へ入るには、ケーブルカーに乗らねばならないということからも、要害の地だと言うことが分かる。

そしてここには、人口2万人の小さな街にしては不釣り合いな壮大で美しいドゥオーモ(大聖堂)があります。いかにして、こんなところにかくも立派なものができたか?それが聖体祭に繋がるのです。
1263年、オルヴィエートから少し離れたボルセーナ湖畔の小さな教会で、ローマへの巡礼の司教がミサを行っている時に奇跡が起こったのでした。
ミサの中で最も重要な儀式に〝聖体拝領〟があるが、これは、キリストが最後の晩餐で弟子たちの前で、パンをとり、「これは私の体である。これを受けて食べなさい」 、ぶどう酒をとり、「これはあなた方のために流される私の血の杯である。これを受けて飲みなさい」そして「これを私の記念として行いなさい」と告げたことに由来する。
ミサの中でこの儀式を行うことにより、単なる小麦の固まりが聖体に変わるのです。ところが、この時の巡礼司教はそんなことがあろうか?と、疑問を持った。すると、二つに割った聖体(パン)から、血が滴り落ちて、その下の布(聖体布)を赤く染めたそうです。周りの人々は大変驚きおののいたと言う。
この〝奇跡〟の報告を受けた法王ウルバヌス4世は、聖体節を制定すると共に、この血に染まった聖なる布を納めるべくオルヴィエートに大聖堂を建立させた。

聖体祭は聖体節(通常は6月)の日曜日に行う行事で、大聖堂に納められている〝聖体布〟を、いわばご開帳し、みこしに乗せて、きらびやかな中世の服装の人々と共に、街中を練り歩くのです。

我々が、ケーブルを降り、街にはいると、もう既に聖体祭の行列が出ていて、路地は人がいっぱいだった。背の高い私でも、人垣の上からようやく行列の旗竿や、時折、ちらりと、赤や青の昔の服を着た人が見える程度。これでは駄目だと、裏道を通って大聖堂の前に回って、待つことにした。
やがて、行列が大聖堂の方にやってきた。そして、どんどん裏口の方から大聖堂の中に消えていく。しばらくすると、今度は正門から行列が出てきた。先ほど見た行列は迎えに来たのであって、今度は本尊の「聖体布」のお出ましなのです。
そして街を一回りして、戻って来て、大聖堂の前で、セレモニーが行われる。
結局、大聖堂前にずっと居て、この一連の展開を見ました。
日本でよく行われる〝時代行列〟に似てはいますが、宗教の重みがあるところが、根本的に違うところですね。

S_5 オルヴィエートの街の遠景。



S_2S_3ケーブルカー麓駅。 〝フニコラーレ〟というのは懐かしい響きだ。右は昔のケーブルカーの展示。大きなパイプから水を入れて重しにする。現在のものは70人乗りの大型。
S_4聖体祭が5月25日に行われることを知らしめるパンフ。




S_6S_7街は華やかに飾り付けられている。 
狭い路地はどこも、行列を見ようとする人でいっぱい。これではとても写真も撮れない。


S_8中世の衣装を着た家族が路地を歩いていた。行列に参加するようだ。



Dsc_0205s 脇道を通り大聖堂前に出た。あまりの壮麗さに言葉も出なかった。
建物は1290年に着工され、1600年に完成したが、モザイク画の制作は18世紀までかかったと言う。当初ロマネスク様式で始められ、後にゴシック様式に変更される。歴代152人の彫刻家、90人のモザイク制作者、68人の画家、3人の建築家がたずさわった。
Dsc_0252Dsc_0253何と言っても特徴は、正面ファサードがいくつもの大きなモザイク画で覆われていること。 
金色に輝く部分は、ガラスに24金を貼り付けるというビザンチンの技法を用いている。





Dsc_0202sDsc_0206聖堂から次々と色とりどりに着飾った集団が出てきた。


Dsc_0211Dsc_0210Dsc_0209_3   




PhotoDsc_0234_2 最後は〝聖体布〟四角いケースの中に入っている。
テント付きのみこしに乗っかっているようだ。
これからオルヴィエートの街を練り歩くのだ。

Dsc_0194Dsc_0196s




Dsc_0232R0013341_3Dsc_0220とにかく旗が多い。最左のようなキリスト教にまつわる絵の入った旗は全部で8枚、それを掲げて8つのグループが行進した。聖体祭の意義を明確にするためのものだろうか。それとも教会関係のグループ分けのためのものだろうか?
最右は何だろう?包丁やはさみが描かれている。
R0013300Dsc_0222
武将や兵士達



R0013332_2何だろうか?




S_3S_4先ほど脇道で見かけた家族連れがいつのまにか、行列に参加していた。



R0013353Dsc_0225_2行列が大聖堂前に戻ってきて、ひな壇の上に主な人たちが並んで行く。 



Dsc_0236大聖堂の前に〝聖体布〟が戻ってきた時、ファンファーレが鳴らされた。



Dsc_0241Dsc_0242〝聖体布〟が大聖堂前に安置され、これから聖体祭の儀式というか、セレモニーが行われるようだが、 我々は次のスケジュールに移らなければならず、後ろ髪を引かれながら、祭礼のクライマックスの場から退出した。

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2008年6月 1日 (日)

スペッロのインフィオラータ(花絨毯)を見る...北イタリア旅行雑感1

旅行記というものは、自分の知らなかった土地へ行ったからこそ書けるものでしょう。
私がイタリアという国へ足を踏み入れるのは今回で4回目だ。ローマは3回目。ミラノ、ヴェネチア、フィレンチェ等は2回目。そういう意味で自分にとって新奇性はなく、既成のイメージの再確認あるいは修正の旅と言える。
そういうわけで、今回は特に印象に残ったことだけ拾って報告することにしたい。

そんな中で、スペッロの〝インフィオラータ(花絨毯)〟は、初めて見たので、強く印象に残った。インフィオラータとは、「花を敷き詰める」と言う意味で、聖体節の祝日に合わせて行われる行事の一つです。イタリア各地で行われているようだが、我々はアッシジに近い、人口1万人に満たない比較的小さいけれど、中世のたたずまいをしっかり残しているスペッロの街でこれを見た。
日本の神戸ではこれを真似たイベントを行っているようだが、本家の方のは宗教に結びついた伝統ある行事で、雰囲気的にもかなり違うものがあります。
この街にとってインフィオラータは最大の祭りで、多くの住民が参加します。いくつもの、いろんな種類のグループが、それぞれの企画で、街中を花絨毯で敷き詰めるのですが、大抵は11月頃にテーマ、図柄などを決め、1ヶ月前から材料を集め始め、前日の夜半から敷き詰め作業を開始し、当日朝8時頃に完成させるのです。(気の早いグループは今回の行事が終わったら、直ちに来年の計画に取りかかるのだそうです)
そして、11時頃には、聖体節を祝う神父さん達の行列がこの上を行進することになります。無惨な気がしますが、絨毯の素材の草花はどうせ12時頃には色褪せてしまうのだから、それでいいのかもしれません。僅か数時間のために、街の人々はこの素晴らしい、芸術的とも言える花絨毯造りに、熱心に取り組むのです。
我々がこの日、早朝7時に訪れた時、中世のたたずまいの街は、まだ花絨毯造りの真っ直中。メインストリートや広場はもちろん、小さな路地でも何十というグループが忙しそうに作業をしていました。やがて完成したブロックから、一斉に拍手や歓声が上がってきました。そのグループの人々がとても嬉しそうに、互いを称え、慰労しあっている姿は、感動的ですらありました。

ところで、どのようにして花絨毯を造るのか、行く前から、とても関心がありました。
実際に見てみて、よく分かりました。
材料には花、草、葉、木しか使えないというルールがある。年々、デザイン・図柄が手が込んだものになってきており、望みの色彩や風合いを出すために、天日干し、電子レンジや冷蔵庫での処理など、あらゆる手段が試されているのだそうです。
そして、多くはデザインを写した紙に糊を付けておき、その上に材料を載せていくのです。中には、路上に直接デザインを描き、その上に花びらなどの材料を置いていく方法もとられている。
花びらをどっさり敷き詰めたボリューム感のあるもの、まるで油絵のような複雑・精緻な図柄のもの、子供達が造る単純で可愛いものなものなどいろいろです。
道路だけでなく、家々の軒先や窓もたくさんの花で飾られ、街をあげての祭りであることがよく分かりました。

時間を追って、見物客が多くなってきました。ツアーのスケジュールはこの後、オルビエートへ移動し、聖体祭の行事そのものを見ることになっていて、祭りが頂点に達する神父の行列の時間までおれなかったのですが、それはそれでよかった。
芸術作品が出来上がる瞬間の感動を、地元の人たちと共有できたのだから。

Sjpg スペッロの街の入り口。丘の斜面に広がる城壁で囲まれた街だ。




SR0013275s 城壁の外側に造られた最初の作品。
左は完成を祝って、メンバー達が拍手しているところ。右はテントが取り払われ、お立ち台も設けられた(帰り際に撮った)。

R0013179sS_2デザインは実に いろいろ。右のものなど、とても垢抜けている。



R0013188sS_3左は完成済み。作品番号No.103と表示されている。
右は最後の追い込み中。





R0013223sR0013221s_2作業中。







R0013214sR0013219R0013215s同じく作業中。




R0013247sDsc_0185s絵の具代わりの花弁を入れた箱が散在している。デザインに応じた色彩の素材をいかに確保するかがポイント。


R0013227素材の置き方の例




R0013245R0013246s素材として、花、葉、実を加工せずにそのまま使った例






R0013224s噴霧器でみずみずしさを保つ。




R0013237sR0013244s狭い路地もこの通り。どこまでも花絨毯は続く。







R0013263s母と息子の二人だけで、自家の前庭を飾り付けていた。インフィオラータが街ぐるみのイベントであることがよく分かる。


R0013260sR0013254s_4
聖母マリア。伝統的な描き方をしたものと、現代アート的なものと対比が面白い


R0013239s聖書に題材をとったものが多いのは祭りの趣旨から当然。







R0013264R0013233s一方で意味不明な現代アート風も多数。 






R0013267s〝シンプル・イズ・ベスト〟




 
インフィオラータは、まことにイタリアらしい、優雅で愛らしい祭りだと感じました。

 

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