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2009年5月に作成された記事

2009年5月31日 (日)

シルクロードの旅その2(ホータンからカシュガルへ)...砂嵐、青空トイレ、羊の競り、鍛冶屋バザール、刀匠の街

ホータンに2泊後、〝シルクロード西域南道〟に沿って中国の最西端の都市カシュガルに向かった。バスによる520kmの大移動だったが、道は良く、途中、葉城、ヤルカンド、イエンザギルなどの小さな街に寄りながら、21時30分頃にカシュガルの宿に着いた。
問題があるとすれば、砂嵐に見舞われること。出発後しばらくして空が薄暗くなり、遠くには砂の竜巻も見え始めた。舗装道路の上を飛砂が波のように押し寄せる。写真も撮ってみたが、これは動画の方が迫力があると思われた。砂嵐がひどくなると、見通しがまったくきかなくなり、バスも大幅に遅れることになるが、幸い大事に至らず、というか砂嵐の地帯を抜けてしまったようで、以後、円滑に進行できた。

そう言えばもうひとつ問題があった。とにかく何も無い砂漠を突っ走るのだから、どうしても青空トイレを設定せざるを得ない。男である私にはまったく支障はないのだけれど!
砂漠と言っても、起伏はあるし、時折、人工物(ちょっとした橋梁など)もあるので、運転手がうまく〝場所〟を探して止めてくれる。
なお、後日、南疆鉄道に乗る時、駅のトイレを使用したが、凄まじいの一言。それに比べれば砂漠の青空トイレの、なんと〝清々しい〟ことか!?

いずれにしても、この520kmの移動はちっとも苦にならなかった。今、〝シルクロードの西域南道〟を走っているのだ、という事実を前にすると、興奮すら覚えた。
時折、名もないような小さなオアシスと村を通る。ある村の中心地では「羊の競り」をやっているのが見えた。ある村では、ポプラ並木がとても綺麗だったので写真ストップして、ロバ車の通りかかるのをしばし待ち受けた。
途中の比較的大きな街、ヤルカンドでは鍛冶屋が集まるバザールを見学。また、「ナイフの故郷」イエンザギルでは、芸術的な細工がなされた素晴らしいナイフを見る。

カシュガルの宿は、当地でも最高級と言われる〝色満賓館〟だった(三つ星)。ロシア領事館を改装したというだけあって、外見はなかなか立派。
ホテル前の道路は広く立派だが、歩道はあっても未整備で、付近の家並みも至って粗末というか、これが標準的な居住環境だろう。朝、ホテル前の荒れた歩道では朝飯を提供する屋台が出ていて、パリッとした服装のOLが数人、食事中だった。この対比が今の中国の現実なのだ。
昼間はこの屋台はシシカバブ売りに早変わりする。試しに1本食べてみたらとても旨かった。

Photoシルクロード早わかり図。あるガイド本から拝借。
カシュガルは中国最西端の都市。
国境線のあちらは、キルギスタン、タジキスタン、パキスタン。

Photo_2Photo_3 タクラマカン砂漠を行く。
右は砂嵐の気配。舗装道路の上を水が流れるように砂が飛んでいる。


Photo_4何時間も砂漠を走って、突然、小さいオアシスに入るとホッとする。砂漠との落差の大きさがすごい。
ガイド書に必ず載っている〝ポプラ並木の中をロバ車が行く写真〟 にチャレンジしたが、なかなか難しい。

Photo_6S_3ロバ車は時折しか現れないし、現れても反対方向(並木の美しさが劣る)だったり。また、思いがけないほどスピードがあり、遠くだと思っていてもあっという間に通り過ぎる。一番問題なのは、ツアーメンバーが思い思いに動くから、カメラマンが写ってしまう恐れがあることだ...自分だけならもっといい写真が撮れたのに!...(勝手ですね)。

Photo_7Photo_8昼食をとった〝葉城電力賓館(ホテル)  〟
家族で麻雀をやっていた。



Photo_9ホテル前には輪タクが客待ちしていた。これは通りを走る輪タク。




Photo_10Photo_11ある村を通過中、中心部で〝羊の競り〟が行われているのに出くわす(車窓からの撮影)。



Photo_12トラクターで羊運搬中。


Photo_13Photo_14Photo_15カシュガルに近づくにつれてロバ車が多くなる。



Photo_16手持ちの地図にも載っている比較的大きな街ヤルカンドに到着。ここのバザールは鍛冶屋が集まっていることで有名だ。



Photo_17Photo_18




Photo_19Photo_20鍛冶屋以外の何ものでもない。




Photo_21Photo_22ここは〝男が主役〟のバザールという感じ。カメラを向けると、時折、鋭い眼差しが返ってくる。
鍛冶屋に混じって、木製の装飾を作っている店もある。


Photo_24ヤルカンドの街に入る手前で思いがけなく大きな川を渡る。ヤルカンド川とヤルカンド大橋。この橋の全長は560mもある。

Photo_23カシュガルの南70kmの小さな街イエンギザルに到着。古くからウィグルの刀匠が集まり、名刀を生み出す地だった。



Photo_25Photo_26店にはため息の出るような美しい細工のナイフが並ぶ。




Photo_27Photo_33520kmを走破し、カシュガル到着は21時30分。未だ明るい。
三つ星ホテル〝色満賓館〟はロシア領事館を改装したもの。広い敷地内には領事館の看板がかかった建物があった。
Photo_28Photo_29一方、ホテルの道路を挟んだ向かいはこんな感じ。混沌の極み!というべきか?



Photo_30朝9時。公には北京時間が使われるが、西の最果て新疆ではさらに2時間遅れるはずで、実際には7時だ。ホテル向かいの屋台で朝食中のビジネス・ウーマン達。
(朝起きると外は暗く、夕方は10時頃まで明るい、この異常な時間感覚には最後まで悩まされた)
Photo_31色満賓館の斜め向かいには立派な〝カシュガル第一中学〟があった。




 

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2009年5月25日 (月)

シルクロードの旅その1(ホータン)...いいきなりタクラマカン砂漠!

15+1(成田前泊)日も家を空けると、雑用がたくさんたまってしまう。それらも一段落し、ようやく撮った写真を眺め、ブログに報告しようという気になってきた。
なお、中国では新型インフルエンザの脅威は全くなく、帰りの北京、成田各国際空港の検疫も拍子抜けするほどスムースだった。実質、体温監視カメラだけが頼りのようだ。

さて、今回の旅行は中国新疆ウィグル自治区のシルクロード沿いの地を廻るものだったが、実質的には「砂漠とオアシスをめぐる旅」とも言える内容だった。また、この地域はウィグル族を始めとする少数民族の居住地で、いわゆる漢族中心の中国とはイメージがまるで違い、別の国と思った方がよさそうだ。

成田から北京経由で新疆ウィグル自治区のウルムチへ飛び、ここが今回の旅の始まりだったが、ウルムチには10日目にもう一度訪れることになるので、この旅行記は次の宿泊地ホータンから始めることにする。
第2日目、天山山脈の東北ふところにあるウルムチから、広大なタクラマカン砂漠をひと飛びし、砂漠の西南、崑崙山脈の北側のオアシス都市ホータンに向かった。
タクラマカン砂漠は東西2000km、南北600km。ほぼ日本と同じ面積を持つ。ここを斜めに横断したわけだが、飛行時間は約2時間だった。この広大な砂漠へ入り込んだら〝二度と戻れない死の砂漠〟・・・それがウィグル語での「タクラマカン」の意味なのだ。
もっとも、石油資源が見つかったこともあり、今では砂漠を南北に縦断する道路もできているし、砂漠の北側を延々と走る南疆鉄道も出来た。

ホータンは「砂漠の中のオアシス」と言う点で最も典型的な所だ。しかし、実際に行ってみて私の既成概念(比較的こぢんまりした緑の楽園!)は大きく崩された。先ず、オアシスと言ってもここは大きな都市だった。人口は19万人。空から見て分かったが、〝緑の覆う土地〟がかなり広大な面積を占める。ただし、植生はやはり貧しく、厚みもない。植物の種類はどれくらいあるのだろうか?オアシスで最も目立つ植物はポプラだった。オアシスの至る所で立派なポプラ並木が見られる。野菜や果物はなかなか豊富で、食事も美味しかった。
5月は砂嵐の季節ということでマスクやゴーグルも用意したが、たまたま好天に恵まれて使用の機会はなかった。それでも、一日外を歩いていると体中砂まみれになった。一見、穏やかに見えても、オアシスの生活というのはやはり相当厳しいものがあるのだろうと想像された。
街を歩いて驚き、興味深かったのが、車の列に混じって、ロバ車が悠々と行き交っていることだった。また、街行く人々はほとんどがウィグル族で、男は独特の小さな帽子を被り、女は頭にはスカーフ、そして原色の鮮やかな服を着ている。
ホテルはまさに街の中心、「団結広場」の直ぐ横だった。この広場には大きな毛沢東と名前は忘れたが地元の有名な人が握手している像が建っている。この広場には終日人々が集まり、夜も遅くまで賑わっていた。

ホータンでの観光は「バザール」「アトラスシルク工房」「ホータン絨毯廠」「マリクワト古城遺跡」「白玉河の玉(ぎょく)探し」「ラクダで砂漠行」など。
なお、ホータンの玉(ぎょく)は古代から有名でシルクロードで西洋にも送られていたと言う。今でも探せば出てくるということで、仕事にしている人が実際に居るのだ。

ホータンでは、オアシスという制約のある地でのウィグル族の人々の素朴な暮らしぶりをしっかりと見、記憶にとどめることが出来たのが大きな収穫だったと思う。

以下写真で...
Photoタリム盆地を中心とした地図



Photo_3シルクロード概念図(長澤和俊〝シルクロード〟より) 
ホータンは〝西域南道〟上に位置する。この道が古くから最も利用された。タクラマカン砂漠南辺のオアシスを繋いで行くルートだ。この図の北道はさらに天山山脈を挟んで〝天山北路〟と〝天山南路〟に分かれる。

SS_3ホータンの街の中心にある〝団結広場〟
毛沢東と握手するのは地元の著名人。
右はステージで行われたイベントを見る人々...漢民族とは明らかに異なる顔が並ぶ。

S_4S_5ここでも子供達はサッカーに熱中。カメラを持って近づくとたちまち寄ってきて撮ってくれとせがむ。まだまだ純真だ。夜11時過ぎになっても広場はこの通り。夜通し遊ぶのだろうか?

S_6S_7左はホータンのメインストリート。オート三輪とロバ車が悠々と行く。右は仲むつまじい夫婦。仕事に出かけるところらしい。


Sdsc_3807S_8ホータンの街角風景。右は朝飯中。




S_9S_10ホータンのバザール。 ロバ車のおじさんも買い物。




S_12S_13バザールの賑やかな通りから狭い路地をに入ってみた。いきなり花飾りのロバ車に出くわし、危うく撮影タイミングを逸するところだった。おかげでピント合わせがうまくいかなかった。





S_14昼食のレストラン横で見つけたスイカ売り。




S_15アトラス・シルク工房の見学。左は繭から糸を引き出す作業。珍しい風景だ。シルクロードの旅だが、絹織物の工房を見れるとは思ってもいなかった。

S_17





S_18S_19 機織り作業。女工さんは若く美しい。









S_20この工房の片隅に居た〝爺と孫〟。もしかして観光客向けの存在かも知れないが、なんともいい顔をしていた。
このほかに「ホータン絨毯廠」も見学したが、割愛する。


S_21S_22次はラクダの試乗。時間をかけて、タクラマカン砂漠の端まで出た。 
なお、ラクダ試乗は敦煌でも行った。風景的にはそちらが勝る。

S_23S_24ホータンの街から25km離れた〝マリクワト古城遺跡〟を訪れた。1500~2000年前の于闐(うてん)国の砦だと見られている。南北1500m、東西800mの広さがあり、このような土塁遺跡が点在する。

S_25遺跡の所まで ロバ車で送り迎えして生計を立てる家族。




S_27ロバ車に乗らなかったので、彼らは何となくついてくる。ちょうど良いので小銭を渡して遺跡を背景に被写体になってもらった。



S_28オアシスの植生の代表、ポプラの並木道。このような美しい風景が至る所で見られる。



S_29ポプラ並木の後ろには水路があった。豊かに流れるのは崑崙山脈の雪どけ水だ。








S_30S_31遺跡見学の帰途、マリクワト村に立ち寄り、村人と間近に接した。








S_32S_33村の暮らし...




S_34 村人達はとても素朴で明るく、大いに親しみを感じた。

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2009年5月 3日 (日)

シルクロード観光にはリスクが考えられるけれど...5月7日出発予定

長年の夢の一つだったシルクロード、正確には中国新疆ウィグル自治区に行くことにした。

古くは玄奘(三蔵法師)やマルコポーロがこの地を旅して記録を残し、スヴェン・ヘディンが「さまよえる湖」を求めて探検し、井上靖が「敦煌」や「楼蘭」の小説を書いた。そんなこともあり、多くの日本人がこの地に強い関心や憧れを持っていると思いますが、私もそのひとりです。

北の天山山脈と南の崑崙山脈に囲まれた広大なタリム盆地はつい最近まで、世界でほとんど最後に残った未探検エリアだった。大部分はタクラマカン砂漠が占める不毛の大地だが、オアシスが点在しシルクロードのルートを構成した。周りの高山からの雪解け水はタリム川となって砂漠に流れ込むが、流れ出ることもなく砂漠の中に消え去る。その終端部分は古代の地図では大きな湖(ロプ・ノール)となっていたが、それが何処にあるのか、永らく謎だった。現地を19世紀末から20世紀初頭に幾多の探検家が訪れて湖を探したが、その位置については錯綜した状態となってしまう。そんな折、ヘディンがロプ・ノールは1600年周期で南北に大きく移動する湖だとの新説を掲げ、現地を踏査してこれを証明した(ロプ・ノールは現実に1972年まで存在したことが確認されている。その後は乾燥の深化などによって消滅してしまった)(有名な楼蘭遺跡はこのロプ・ノール湖畔に位置し、ヘディンが発見した)...この物語が私はたまらなく好きだった...
Photo_3
岩波文庫「ヘディン著 さまよえる湖」
この本には、ヘディン自身が描いたロプ・ノール湖のスケッチが多数挿入されていて興味深い。





しかしながら、今回のツアーでは楼蘭やロプ・ノールは抜けているのです。この旅行社の他のツアーにも、それらをカバーするツアーは存在しないし、他社でもほとんど扱っていない。楼蘭まで行けないことはないが、特別のツアーになるようだ。

中国の核実験がこの広大な砂漠の一角で行われてきた。最も近いのは楼蘭から200数十キロメートルらしい。
総合雑誌「正論」の6月号(5/1発行)に、「中国共産党が放置するシルクロード核ハザードの恐怖」という論文が載った。核実験は1964年から1990年までの間に46回行われ、この間にシルクロードを訪れた日本人観光客は27万人にのぼり、中には汚染地域に足を踏み入れた可能性もあるので、これらの人々に対して影響調査を実施すべきだというのだ。

旅行社は、リスクのリストに載せていないものの、ツアー・ルートの選定に当たってこの件を考慮していると想像される。同様に「地球の歩き方」などのガイドブックでも、この事は一言も触れていない。
実際、この点に関しての現時点のリスクはいかほどなのだろうか?

リスクと言えば、「新型インフルエンザ」がある。中国では鳥インフルの被害も出ているがまだヒトへの感染は希だから、やはり今回の豚インフルの方が脅威だ。中国での感染は香港しか報告されていないから、とりあえず空港や飛行機内が要注意だろう。何処かで足止めされるリスクはかなりあると思っておいた方が良さそうだ。
さらに、添乗員からの事前連絡によると、「砂嵐」のシーズンだから、その備えを十分にせよとのこと。カメラも故障することがあると脅かされた!
さらにさらに、気温の上下レンジは、上は30度、下は氷点下もありうると言う。防寒具必携と言われました(パミールの入り口に当たるカラクリ湖は標高3600m)。

旅行にはリスクが付きものだ。その重さは自分が判断するしかない。それを上回る魅力が十分にあるのなら、やはり行くべきでしょう。
私としては、タクラマカン砂漠のオアシス都市や天山山脈を是非見てみたいし、敦煌の莫高窟も見逃せない。

Photo中国新疆ウィグル自治区の地図(〝地球の歩き方〟より)
ロプ・ノールは右下寄りに描かれている。




Photo_2今回ツアーののルート図。国内線飛行機および南疆鉄道での移動が多いのが特徴。
東京→ウルムチ→ホータン→カシュガル→(南疆鉄道)→トルファン→敦煌→西安→東京(全15日間)

帰国後、報告します。

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