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2009年7月に作成された記事

2009年7月23日 (木)

夏は陶枕...それも美人枕がいい

今回のシルクロードの旅行中に、2点の人型の〝陶枕〟の写真が撮ってあった。
一つはカシュガルのバザールで見つけたもので、高級なアクセサリーを扱う店のショーケースの上に置いてあった。人の形に造られているのが面白く、いやでも目につく。白地に紺色での描写はシンプルですっきりしている。かたどられた人物はとてもリアルで、ハンサム(男だと思うが?)だ。
もう一つは、西安の陝西省歴史博物館で見つけたもの。〝白釉黒花臥美人枕〟と銘打たれている。文字通り、かたどられた人物は、たおやかにうつ臥した女性だ。誘うような目つきが印象的だ。
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〝陶枕(とうちん)〟は、陶で造られた枕で、そのひんやりとした冷涼感が特に暑い地域で好まれて、中国では唐の時代から造られていて、まさに実用品だった。基本形は長さ20~30cmの直方体で、内側が空洞になっている。
さらに、「不老長寿の枕」「良い夢を見る枕」などと、上流階級の人々はこれに思いを込め、もてはやすようになり、美人枕のように凝ったものが造られるようになったようだ。
日本でも、江戸期には伊万里で造られたりしたが、あまり普及せず少数が残っているのみ。後年、瀬戸や有田などで再び焼かれるようになり、特に昭和初期に大流行したことがあるという。だから、寺や古い家には今でも残っていることがある。私もおぼろげだが、子供の頃、見た記憶がある。
ネットに面白い記事があった。

...ある寺で、お盆前に庫裡の裏の物置部屋を掃除すると、なんと陶枕が5個も出てきた。大正か昭和初期のガラクタだと、住職。しかし、面白いことがあるよ、と言う。その内の一つの枕の空洞の中に、なんと芸者らしき女のプロマイドが詰めてあった...

要約するとこんな内容だが、原文はとても味のある文章です(参照→こちら)。

西安の博物館の〝美人枕〟の制作にはどんな企図があったかは知らないが、良い夢を見るためとするなら、こんな形も当然ありで、ニーズがあったはずだ。

陶枕そのものはいまでも細々と造られているようで、その気になれば入手できそうだ。しかしこんな堅い枕で眠れるものか?まして良い夢など!
それでも、もやもやした頭を冷やす効果がどれくらいあるのか、是非試してみたいものだ。

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2009年7月18日 (土)

シルクロードの旅を終えて...目覚ましはお祈りの声で

「シルクロード15日間の旅」の最後は西安だったが、私にとっては敦煌が旅の終着点に思えて、観光にも写真撮影にも身が入らなかった。
西安は7年ほど前に来たことがあり、どんなところか知っていることもある。しかし、そのことよりも、やはり〝新疆ウィグル自治区〟が全く異質な別世界であったことに、大げさに言えば衝撃を受けたからだった。
そう言う訳で、この旅行記はこの辺りで締めくくることにしたい。

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これは、カシュガルのバザールで買ったものです。雑貨を売る店の、いろいろな商品の中に埋もれるように置いてあった。日本円で300円ほど。
見れば分かるが、モスクの形をしている。そして、なんと目覚ましの警報音は「イスラム教のお祈りの声」。イスラムの世界では1日5度のお祈りの時間はとても大切である。カシュガルのエイティ・ガール寺院の礼拝堂にミフラーブと並んで大切に置いてあった、祈りの時間を知らせる大型の時計を思い出しました。
電池を入れて鳴らしてみた。甲高い祈りの声が流れ出す。ボタンを押さない限り延々と...これなら、いやでも目覚めるだろう。

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次は、音楽ビデオCD。ウイグル族の3人娘〝SHAHRIZODA〟が歌っていて、今、新疆ウィグル自治区で大ヒット中。中国語タイトルは「祝福」と言うようだ。
何処へ行っても、このVCDの映像を流していた。民族楽器をベースにした軽快な演奏をバックに彼女たちがウイグル語で魅力たっぷりに歌う。
ネットで調べてみると、SHAHRIZODAとは千夜一夜物語のシェヘラザーデから来ていると言う説があった。

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上左は、ホータンの団結広場でイベントを見る人々。ほとんど全てがウイグル族。こちらに顔を向けている警備員らしい人のみ漢族ではなかろうか?
上右は、カシュガルのイスラム寺院前で会った感じの良いウイグル族の母と子。子供が可愛いので撮らせてもらった。多分、自慢の子だろう。この子が物心ついた頃の新疆ウィグル自治区はどうなっているだろうか?願わくば、平穏な人生を送ることができますように。

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上左は、西安で見たショウの一シーン。長いショールを見事に操り、優雅な舞いを見せる。今回の旅で至るところで見た飛天を彷彿させる。
上右は、莫高窟158窟の〝吹笛飛天〟...莫高窟の数ある飛天描写の中でも最高のものの一つ。

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火焰山の孫悟空。今回の旅は1400年ほど前に、求法僧玄奘(三蔵法師)が歩いた道を辿ることでもあった。

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2009年7月14日 (火)

シルクロードの旅その10(敦煌Ⅲ)...鳴沙山 登って遊ぶ~夕日に赤く染まった姿を撮る

敦煌というところは観光的に恵まれたところだ。世界遺産で、仏教美術の一大美術館と言うべき莫高窟だけでも十分すぎるのに、近くには陽関や玉門関と言った歴史的遺跡があるし、さらには〝鳴沙山〟という、素晴らしい景色を眺めながら楽しく遊べる場所もあるのです。

敦煌の古い名前〝沙州〟が示すとおり、このオアシス都市の周りは広大な砂漠である。現在の人口は13万人となっているが、街の中心部は500m四方ぐらいに、こぢんまりとまとまっている...朝の30分ぐらいのジョギングで街の半分ぐらいを廻ることが出来た。
市街の南方5kmには大きな砂山が迫っていて、市内を流れる党川のたもとに出るとよく見える。これが名高い〝鳴沙山〟だ。

とにかく、いつまでも陽が沈まないので、夕食後ぶらりと街に出た。夜市にはまだ早いので、この党川まで行ってみた。市民が思い思いに散策している。
川は断続的に堰き止められていて、水を満々と湛えている部分と、全く水が無い砂の川原とが交互に連なっているようだ。水辺では子供達が水遊びをしていた。
橋の上から上流を眺めると、広大な川原越しに優美なシルエットの山が見えた。
そうだ、これが明日、訪れる予定の〝鳴沙山〟に間違いない、と気がついた。しばらく見ていると、次第に夕日で赤みが増して来て、この上なく美しく、幸せな気分になる。

翌日、鳴沙山を訪れる。
砂山と言っても、東西40km、南北50kmの広大なものだ。
名前から分かるように、ここの砂は音を発する、いわゆる「鳴き砂」であるという。砂が鳴く条件は、砂の粒子がとても細かく、かつ表面が滑らかで(鋭角な粒子ではだめ)、さらによく洗浄されて微粉状の物質が付着していないことだとされている。
粒子が細かく滑らかだから、ここの砂山は風によって刻々と姿を変える。そして、優美な穏やかな曲線を描くと思えば、ある部分は鋭くエッジが立った刃物のような稜線を見せる。全く信じられないような風景だ。
この山に登った。登るのに45元が必要だった。それは、何もない砂の斜面を登るとすれば、足が潜り、滑り、とても大変なことになる。したがって、所々に長い長い梯子が設置されていて、これの使用料を徴収されるのだ。
この梯子道を正面から見るととても急に見え、始めは怖々登ったが、馴れると何と言うこともない。たかだか100mぐらいのことだが、登ってみると全く違った世界が体験できた。
稜線に立つと、風で斜面の砂が飛んできて、目を開けておれないくらい。夢か幻か?...眼下には三日月形の池と洒落た楼閣を持つ〝月牙泉〟が小さなオアシスのように見える。
遠い別の稜線を見ると、別のルートから登った人たちが小人のように見える。陽の当たったところは明るく黄金色に、砂嵐で薄暗くなったところはグレー一色。面白い対比だ。
自然が創る造形の巧みさと面白さ!
汗をかき、息を切らせて、ちょっとしたハイキングが出来て、とても気分爽快だった。
帰りは梯子なぞ使わず砂の上を直接走り降りた。故郷の雪の野山を歩く感覚を思い出した。なお、登山ルートの中程に橇乗り場があり、これで滑り降りることも出来る。意外に女性達に人気だった。

PhotoPhoto_2敦煌近郊図と市街図






SS_2敦煌市街地の西側を党河が流れている。河には堰が幾つもあって水を貯めている。水のある部分と全くない部分が交互に続く。 

 
S_3橋の上から鳴沙山をアップ。次第に赤くなって行く(北京標準時21時30分)。



S_4いざ、鳴沙山へ(翌日18時)。




S_5鳴沙山駱駝行。このまま絵葉書になりますね。




Dsc_4777s駱駝の隊列




S_7S_9尾根に登って下界を見ると、この〝月牙泉〟がまず眼に入ってくる。月牙泉とは「三日月湖」の意。1000年前から変わることなく豊かな水を湛えていると言う。
映画「敦煌」のラストシーンに使われた場所だ。

S_10息を切らせて登った尾根。まだまだ砂山は続く...
鋭いエッジ、刻々と移り変わる光と影...
ため息が出るほど美しい。


S_11S_12こちらの尾根から、遠くの明るく輝く尾根を眺めると、人が走っているのが見える。どうしてあんなに軽快に走れるのか?一歩ごとに20cmは砂に潜ってしまうのに。
別の方角の尾根は暗くグレー一色だった。尾根を歩く人たちの影が長く映っている。そして、尾根のところどころで大規模に砂が舞っているのが見える。
S_13S_14   
左;足跡はすぐに形が不明確になり、やがて消えてしまう。
右;若い人たちが元気に走り降りている。

S_15S_16登攀ルート。 
中程に〝そり〟乗り場があり、滑り降りることが出来る。ただし、料金が必要。
そりは人が担いで揚げる。





S_17S_19バランスを崩すと、滑りにくくなったり、そりが勝手に暴走したりする。







《敦煌市街にて》
S_203泊した敦煌賓館。平山郁夫の定宿でもある。




S_21S_22 ホテル近くの交差点。左は朝7時。右は16時。




S_23S_25敦煌市街のほぼ中央にあるロータリーにはこの反弾琵琶像がある。
莫高窟237窟に描かれている 「反弾琵琶を弾く飛天」 がモデルとなっている。
現代のロック・ギターリストが真似している? 

 


S_26これは敦煌名物の夜光杯を造る工廠の前に立つ飛天像。とても優雅なので写真に撮った。



S_27敦煌市博物館前の駱駝の像。




S_28S_30左;沙州市場入り口
右;門を潜るとレストランを兼ねた広場があり、ここにも飛天像があった。


S_31S_38この市場の通りで夜市も開かれる。まだ明るい内から賑わっている。



S_39こちらは沙州市場から数百m離れたところにある別のバザール。下町の雰囲気だった。



S_32S_33沙州市場は夜になると...一段と華やかになる。




S_34S_35飲食の店もたくさんある。 
まだ、宵の口、店員は手持ち無沙汰。



S_3621時半、子供達もまだ遊んでいる。




S_3722時半。夜市は最高調だが、メインストリートは閑散としてきた。

 

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2009年7月 8日 (水)

シルクロードの旅その9(敦煌Ⅱ)...莫高窟&楡林窟

私がウルムチを訪れたのは5月中旬だったが、街は一見平穏そのもののように感じた。まさか、こんな暴動が起きるとは思いもしなかった。前にも書いたが、新疆ウィグル自治区は中国であって、中国でないところであることは我々旅行者でも直ぐに感じることだ。
異なる民族が同じ場所に住むことの難しさ...簡単に解決はできないだろうが、なんとか大事に至らないよう心から祈っています。

さて、今回はこのツアーの最大の見所〝莫高窟〟について報告しよう。
敦煌郊外には、莫高窟、西千仏洞、安西楡林窟、水峡口窟の4つの石窟群があるが、このうち莫高窟と楡林窟を、1日半かけて見た。

《莫高窟》
鳴沙山の東麓の大泉河の断崖に沿って1600mにわたり、上下数段に、約600の洞窟が掘られている。このうち歴史的・芸術的価値のあるもの492窟に番号が振られている。これらの洞窟の大半に絢爛たる壁画が描かれていて、その総面積は4万5千㎡、全てを横に並べると30kmにもなると言う。
なによりも驚くのは、破壊や盗掘を免れ、保存状態がとてもよいことだ。敦煌という場所が東西文化の辺縁の地にあったのがその理由だとの説もあるようだ。

見学は、莫高窟のシンボル、〝九層楼〟=96窟から始まった。ここには高さ35.5mの大仏様が坐す。午前中は148、249、329、16、17、428,427の一般窟を見た。
午後は有料窟3窟、45、57、275窟を見る。
撮影禁止だし、たとえカメラを持っていても暗くて撮すことは出来ないだろう。懐中電灯で照らしながら見る訳だが、とても美術館での鑑賞のような具合にはいかない。部分的にはその素晴らしさをかいま見ることができても、全体としてどうなっているのかはなかなかつかみにくい。したがって写真集の購入は必須である。
幸いここには美術書としても価値の高い写真集〝敦煌石窟の珍品〟が存在する。
以下、有料窟の写真を引用させてもらう。

45窟
S莫高窟は古くは366年から掘り始められ、約1000年続いている。この迦葉、菩薩、天王の三尊塑像は初唐~盛唐のもので、敦煌石窟塑像の代表作とされる。





57窟
S_2この洞窟は一名「美人洞窟」。
それは、南壁中央の壁画「説法図」の中の観音菩薩が「美人」と呼称されていたからだという。これも初唐期のもので、莫高窟を代表する壁画だ。






275窟
S_3この洞窟は北涼期に掘られた最も古いもののひとつだ。奥深い正面にこの大きな(3.4m)塑像〝交脚弥勒菩薩〟が坐している。
壁画も、月光王の興味深い物語等が描かれている。




敦煌では珍しくも雨に遭った。聞けば今年3度目の雨だと言う。雨や砂嵐だと見学中止になるとのことで冷や冷やしたが、ちょうど昼食時間だったので、見学には支障がなかった。
S_5S_6左;莫高窟の立地状況が分かる
右;サイトへの入り口




S_7S_8左;莫高窟のシンボル〝九層楼〟...この中に大仏様が坐す。






《楡林窟》
楡林窟は敦煌の街から東へ160kmの所にあり、楡林河の断崖に掘られた洞窟が42窟確認されている。
一般窟6、12、15、17、19、23、有料窟25、2、3、4窟を見学。
S_10S_11 
これは3窟の壁画。〝玄奘取経図〟と呼ばれる。右図は左図の左端中央部を拡大したもの。三蔵法師が天竺から戻る場面で、菩薩に向かって手を合わせている。水墨線による朦朧・神秘的な全体的な雰囲気の中に斧で切り裂いたような崖の表現が印象的だ。


S_1215窟の天井に描かれた〝笛吹飛天〟
飛天とは『浄土の空中を飛びながら天の花を散らし,あるいは天の音楽を奏し,あるいは香を薫じて仏を讃える天人』のこと。西洋のエンジェルみたいなものだろう。
莫高窟にも多数の優雅な〝飛天〟が描かれている。

S_13S_14楡林窟もまた、谷沿いの崖に掘られている。







S_15S_16右は管理棟。





前回の玉門関、陽関、今回の莫高窟、楡林窟、次回の鳴沙山など、敦煌近郊の観光ポイントを示すマップです。
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楡林窟は実際にはこの絵から遙か右へ外れた位置だ。



S_18S_19これは前回の追加分。 
陽関近くの村のレストランで昼食を取った時のスナップ。

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2009年7月 1日 (水)

シルクロードの旅その8(敦煌Ⅰ)...漢詩に詠われた〝玉門関〟〝陽関〟、そして美しき砂漠

ウルムチから敦煌までは国内線航空機で1時間半ほどだった。敦煌もまた砂漠に囲まれたオアシス都市のひとつだが、ここはもう新疆ウィグル自治区ではない(甘粛省)。ここから東は古くから漢民族の支配地域であり、言い換えれば敦煌がいわゆる〝西域〟との接点である。
先ずは、漢の時代に築かれた関所「玉門関」「陽関」、それに「漢長城」の址蹟を見る。いずれも砂漠の中に、かろうじて痕跡を留めている、と言う状況であり、観光ポイントとしては見栄えはしない。しかし、その場に立てば、やはり想像力が働くし、歴史の重みも感じてくる。
それは別として、砂漠の風景というのは、全く非日常的と言う意味で、インパクトが強い。〝何もないのが砂漠〟と思っていたが、その〝何も無さ〟が面白いのだ。緑溢れる日本に帰ってきた今、何処を見てもなんだか詰まらなく見える。砂漠中毒になったのかもしれない。

S_2S_3右;ウルムチ空港離陸直後
左;朝日とボゴダ峰(天山山脈東部の最高峰5445m)
  この山懐に前回報告の天池がある。




S_4S_5敦煌上空に到着。田畑が広がる。一見、水田のように見えるが?オアシス特有のポプラ並木が影を落としていて面白い風景だ。右は敦煌機場にて。

《玉門関》
S_9S_10残っているのはこの方形の城壁のみ。25m四方、高さは10m。


   
S_23S_24近づくと... 
孔のように見えるのは当時の出入り口。素朴な造り。

「玉門」と言う名は、ホータンで産出される〝玉〟をこの門を経て都へ運んだ故だという。



S_8ここに来て、この王之渙の詩を朗ずると、玉門関とは当時、どういう意味の場所だったかが実感できる。
  『黄河遠く上る白雲の間 
   一片の孤城萬仭の山
   羌笛(きょうてき)何ぞ須(もち)いん揚柳の怨
   春光は渡らず玉門関』
【 終わりの2行の意;
羌族(=遊牧民族)の笛がなんで柳をうらんで〝折揚柳(別れを謡った笛の曲〟)を奏でるのか。遠く離れたこの玉門関には、都を照らす春の光は届かないし、まして柳が芽を吹くこともないのに 】

《漢の長城》
S_11S_12玉門関の北側を東西に漢代の長城遺跡が延びている。約2千年前のもので、素朴な造りが印象的だ。


《陽関》
SS_2陽関址蹟への入り口。
このお爺さんが通行手形を書いてくれるという。



S_3S_4右;当時の関所の様子を再現したセットがあり、遙か向こうに遺跡が見える。



S_5S_6左は烽火台。当時の址蹟としてはこれのみ。
右は観光用の施設と思われる。ここまで歩いていく。



S_15これは、北の玉門関と南の陽関の間を結ぶ道路沿いに、点々と配置されている烽火台のひとつ。


S_25S_22タマリクス。花がとても美しい。
砂漠の貴重な燃料でもある。漢代の烽火台用にも使われたと言う。
数は多くはないが、このツアーではあちこちで見かけた。日本でも栽培されているが、この砂漠地帯が原産地だ。




S_7
S_18砂漠そのものが面白い。






S_10〝美しき砂漠〟
遠くにオアシスの緑と青い水面が見える。



陽関もまた、漢詩の世界だ。唐の詩人、王維は次のように詠った。

渭城の長雨 軽塵をし
客舎青青 柳色新たなり
君に勧む更に盡せ一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば故人無からん

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