シルクロードの旅その9(敦煌Ⅱ)...莫高窟&楡林窟
私がウルムチを訪れたのは5月中旬だったが、街は一見平穏そのもののように感じた。まさか、こんな暴動が起きるとは思いもしなかった。前にも書いたが、新疆ウィグル自治区は中国であって、中国でないところであることは我々旅行者でも直ぐに感じることだ。
異なる民族が同じ場所に住むことの難しさ...簡単に解決はできないだろうが、なんとか大事に至らないよう心から祈っています。
さて、今回はこのツアーの最大の見所〝莫高窟〟について報告しよう。
敦煌郊外には、莫高窟、西千仏洞、安西楡林窟、水峡口窟の4つの石窟群があるが、このうち莫高窟と楡林窟を、1日半かけて見た。
《莫高窟》
鳴沙山の東麓の大泉河の断崖に沿って1600mにわたり、上下数段に、約600の洞窟が掘られている。このうち歴史的・芸術的価値のあるもの492窟に番号が振られている。これらの洞窟の大半に絢爛たる壁画が描かれていて、その総面積は4万5千㎡、全てを横に並べると30kmにもなると言う。
なによりも驚くのは、破壊や盗掘を免れ、保存状態がとてもよいことだ。敦煌という場所が東西文化の辺縁の地にあったのがその理由だとの説もあるようだ。
見学は、莫高窟のシンボル、〝九層楼〟=96窟から始まった。ここには高さ35.5mの大仏様が坐す。午前中は148、249、329、16、17、428,427の一般窟を見た。
午後は有料窟3窟、45、57、275窟を見る。
撮影禁止だし、たとえカメラを持っていても暗くて撮すことは出来ないだろう。懐中電灯で照らしながら見る訳だが、とても美術館での鑑賞のような具合にはいかない。部分的にはその素晴らしさをかいま見ることができても、全体としてどうなっているのかはなかなかつかみにくい。したがって写真集の購入は必須である。
幸いここには美術書としても価値の高い写真集〝敦煌石窟の珍品〟が存在する。
以下、有料窟の写真を引用させてもらう。
45窟
莫高窟は古くは366年から掘り始められ、約1000年続いている。この迦葉、菩薩、天王の三尊塑像は初唐~盛唐のもので、敦煌石窟塑像の代表作とされる。
57窟
この洞窟は一名「美人洞窟」。
それは、南壁中央の壁画「説法図」の中の観音菩薩が「美人」と呼称されていたからだという。これも初唐期のもので、莫高窟を代表する壁画だ。
275窟
この洞窟は北涼期に掘られた最も古いもののひとつだ。奥深い正面にこの大きな(3.4m)塑像〝交脚弥勒菩薩〟が坐している。
壁画も、月光王の興味深い物語等が描かれている。
敦煌では珍しくも雨に遭った。聞けば今年3度目の雨だと言う。雨や砂嵐だと見学中止になるとのことで冷や冷やしたが、ちょうど昼食時間だったので、見学には支障がなかった。
左;莫高窟の立地状況が分かる
右;サイトへの入り口
左;莫高窟のシンボル〝九層楼〟...この中に大仏様が坐す。
《楡林窟》
楡林窟は敦煌の街から東へ160kmの所にあり、楡林河の断崖に掘られた洞窟が42窟確認されている。
一般窟6、12、15、17、19、23、有料窟25、2、3、4窟を見学。
これは3窟の壁画。〝玄奘取経図〟と呼ばれる。右図は左図の左端中央部を拡大したもの。三蔵法師が天竺から戻る場面で、菩薩に向かって手を合わせている。水墨線による朦朧・神秘的な全体的な雰囲気の中に斧で切り裂いたような崖の表現が印象的だ。
15窟の天井に描かれた〝笛吹飛天〟
飛天とは『浄土の空中を飛びながら天の花を散らし,あるいは天の音楽を奏し,あるいは香を薫じて仏を讃える天人』のこと。西洋のエンジェルみたいなものだろう。
莫高窟にも多数の優雅な〝飛天〟が描かれている。
楡林窟もまた、谷沿いの崖に掘られている。
右は管理棟。
前回の玉門関、陽関、今回の莫高窟、楡林窟、次回の鳴沙山など、敦煌近郊の観光ポイントを示すマップです。
楡林窟は実際にはこの絵から遙か右へ外れた位置だ。
これは前回の追加分。
陽関近くの村のレストランで昼食を取った時のスナップ。
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