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2009年7月 1日 (水)

シルクロードの旅その8(敦煌Ⅰ)...漢詩に詠われた〝玉門関〟〝陽関〟、そして美しき砂漠

ウルムチから敦煌までは国内線航空機で1時間半ほどだった。敦煌もまた砂漠に囲まれたオアシス都市のひとつだが、ここはもう新疆ウィグル自治区ではない(甘粛省)。ここから東は古くから漢民族の支配地域であり、言い換えれば敦煌がいわゆる〝西域〟との接点である。
先ずは、漢の時代に築かれた関所「玉門関」「陽関」、それに「漢長城」の址蹟を見る。いずれも砂漠の中に、かろうじて痕跡を留めている、と言う状況であり、観光ポイントとしては見栄えはしない。しかし、その場に立てば、やはり想像力が働くし、歴史の重みも感じてくる。
それは別として、砂漠の風景というのは、全く非日常的と言う意味で、インパクトが強い。〝何もないのが砂漠〟と思っていたが、その〝何も無さ〟が面白いのだ。緑溢れる日本に帰ってきた今、何処を見てもなんだか詰まらなく見える。砂漠中毒になったのかもしれない。

S_2S_3右;ウルムチ空港離陸直後
左;朝日とボゴダ峰(天山山脈東部の最高峰5445m)
  この山懐に前回報告の天池がある。




S_4S_5敦煌上空に到着。田畑が広がる。一見、水田のように見えるが?オアシス特有のポプラ並木が影を落としていて面白い風景だ。右は敦煌機場にて。

《玉門関》
S_9S_10残っているのはこの方形の城壁のみ。25m四方、高さは10m。


   
S_23S_24近づくと... 
孔のように見えるのは当時の出入り口。素朴な造り。

「玉門」と言う名は、ホータンで産出される〝玉〟をこの門を経て都へ運んだ故だという。



S_8ここに来て、この王之渙の詩を朗ずると、玉門関とは当時、どういう意味の場所だったかが実感できる。
  『黄河遠く上る白雲の間 
   一片の孤城萬仭の山
   羌笛(きょうてき)何ぞ須(もち)いん揚柳の怨
   春光は渡らず玉門関』
【 終わりの2行の意;
羌族(=遊牧民族)の笛がなんで柳をうらんで〝折揚柳(別れを謡った笛の曲〟)を奏でるのか。遠く離れたこの玉門関には、都を照らす春の光は届かないし、まして柳が芽を吹くこともないのに 】

《漢の長城》
S_11S_12玉門関の北側を東西に漢代の長城遺跡が延びている。約2千年前のもので、素朴な造りが印象的だ。


《陽関》
SS_2陽関址蹟への入り口。
このお爺さんが通行手形を書いてくれるという。



S_3S_4右;当時の関所の様子を再現したセットがあり、遙か向こうに遺跡が見える。



S_5S_6左は烽火台。当時の址蹟としてはこれのみ。
右は観光用の施設と思われる。ここまで歩いていく。



S_15これは、北の玉門関と南の陽関の間を結ぶ道路沿いに、点々と配置されている烽火台のひとつ。


S_25S_22タマリクス。花がとても美しい。
砂漠の貴重な燃料でもある。漢代の烽火台用にも使われたと言う。
数は多くはないが、このツアーではあちこちで見かけた。日本でも栽培されているが、この砂漠地帯が原産地だ。




S_7
S_18砂漠そのものが面白い。






S_10〝美しき砂漠〟
遠くにオアシスの緑と青い水面が見える。



陽関もまた、漢詩の世界だ。唐の詩人、王維は次のように詠った。

渭城の長雨 軽塵をし
客舎青青 柳色新たなり
君に勧む更に盡せ一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば故人無からん

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