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2010年7月21日 (水)

中央アジアを旅する(10終)...サマルカンド(ウズベキスタン)/ペンジケント(タジキスタン)

この旅行記も10回を数えるようになってしまった。
残りはウズベキスタンのサマルカンドとタシュケント、それにタジキスタンのペンジケントだが、ちょうどキリがよいので今回を最終回とすることにした。内容的にはサマルカンドが中心になる。

サマルカンドが「青の都」と呼ばれる所以は、モスクのモザイクの青から来るのだろうと思っていたが、それに加えて、独特の気候の所為でいつも抜けるような青空が拡がるからだという。私たちが訪れた時も例外ではなく、サマルカンド観光の中心地、レギスタン広場は大きく深い青空の下にあり、整然と配置された素晴らしいイスラム建築の群れが迎えてくれた。

レギスタン広場から東北方向へ1kmほど離れたところにアフラシャブの丘というのがある。見渡す限り荒れ果てた大地が続く。よく見ると無数の土の凹凸が視認でき、それらは過去の構築物の残骸なのだ。サマルカンドの歴史はとても古く、これまでの発掘で11層もの文化が重なっていることが確認された。
紀元前4世紀にアレキサンドロスが訪れ、その美しさに驚嘆した都はこのアフラシャブの丘にあったのだ。廃墟と化したのは1220年。モンゴルの来襲による。
我々が現在眼にするレギスタン広場の壮麗な建築群は1400~1600年代にティムールとその後継者によって建設されたものである。

〝レギスタン広場〟と〝アフラシャブの丘〟...この見事な対比...中央アジアで繰り返された栄華と破壊の歴史をこのサマルカンドで実感できる。

《アフラシャブの丘&レギスタン広場》

SS旧市街に隣接して拡がるアフラシャブの丘 元のサマルカンドの町の壮大な廃墟
遠くにレギスタン広場方面の建築物が見える


SS_2 レギスタン広場
新たなサマルカンドの商業の中心。この広場で謁見式や閲兵、さらには処刑まで行われた


S_3正面左手のウルグベク・メドレセ この広場で最も古いが、それでも1420年頃の建造



S_4S_2 右手のシェルドル・メドレセ 




S_2シェルドル・メドレセ(神学校)の入り口アーチにある人の顔のモチーフ。タブーのはずだが。虎=学生、太陽(顔)= 平和・平等・暖かい存在...とのガイドの説明


S_5中庭
たくさんの部屋が並んでいるが、その半分ほどに土産物等の店がある


S_3S_5この店にはいると、中はこんな感じ。 








S_8ウズベク楽器の店もあった。実演してみせる。



S_7S_9 メドレセ中庭で







S_6S_8美しすぎる 格子窓







《ビビハニム・モスク》
S_9S_10レギスタン広場とアラシャブの丘の中間にあるビビハニム・モスク。かつてイスラム世界最大のモスクの跡だ。
モスク建築をめぐってさまざまな伝説があるのも面白い。
チムールの妻ビビハニムと美男建築家のロマンス!

S_12 参詣者の人たち




S_11Sビビハニム(ハニム妃)の名に、ぴったりの女の子







S_13 Photo 左;なんとも美しい明かり採りの格子
右はモスクの反対側にあるビビハニム廟








《グリ・アミール廟》
Photo_2Photo_3チムールと彼の息子達が眠る廟。サマルカンドの中でも、ひときわ壮大華麗な建物だ。



Photo_4Photo_5 入り口ファサードなどの装飾はとても素晴らしい







Photo_6Photo_7このドームの装飾は1996年に修復完了。金で覆われたドーム内部と素晴らしいシャンデリア。使用された金は3Kgだそうだ。

S_3真ん中の黒い墓石がチムールのもの。周りの墓石は息子達のもの。



Photo_8何処を見ても素敵な雰囲気




《シャブ・バザール》
S_14行った町では必ずと言っていいほど、バザールに寄る。写真を撮るのも良し、果物を買ったり、味見をしたり...
私も、他のバザールで干しぶどうや蜂蜜を買った。


S_4S_5ガイド書によると、チムールの時代から、「ナンはサマルカンド」と言われていたとのこと。 
ナン表面の装飾もいろいろ...味見をさせてくれたが、もっちりしていてGood!





Photo_10Photo_9 Photo_12

 



Photo_11〝 刃物研ぎ〟の競演!なんとなくユーモラス...



Dsc_1287Photo_13中央アジアの風物詩?
給水車のように見えるが、どんな飲み物を飲ませるのか?
 


《タジキスタンのペンジケント》
またもや国境越え。サマルカンドから僅か60Km離れているだけだが、ペンジケントはタジキスタン側にあるのだ。ただし、あっけないほど審査は簡単だった。タジキスタンとウズベキスタンは民族的にかぎりなく同質であることもその理由だろう。
ペンジケントの古代都市遺跡はつい最近発見された。〝中央アジアのポンペイ〟とも呼ばれ、721年のアラブ来襲時にソグド人住民が町を放棄した時の状態を留めているのだという。
しかし実際にその場に立ってみると、遺跡らしき土の凹凸が延々と拡がっているだけのように見える。「風化」は煉瓦造りの都市遺跡の宿命ではある。
一方、都市遺跡の丘には赤いポピーや名も知れぬ野花が咲き乱れ、遠くを見やればパミールに連なる高い山並みが、眼下にはペンジケントの街並みが見える。気持ちの良いパノラマが拡がっていた。
S_6S_7 ソグド人の古代都市遺跡




S_8S_9遺跡そのものは詰まらなくても、パノラマは最高!
屏風のように立ちはだかる山並みはパミール高原に連なっていく。


S_15S_14 左はペンジケントの町




S_12S_13美しき野花...名が分からないのが残念






S_11ペンジケントの現地ガイドさん。
今回、中央アジアを旅して、たくさんの人々(民族)に出遭ったが、私の心の中に出来上がった中央アジア人の典型がまさにここにある。
   

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コメント

 素晴らしい旅行記有り難うございました。二年余り前にウイグル自治区に行ってから、是非国境の向こうの中央アジアに行きたいと思っています。やはり、自分と同時代に地球上の各地域とりわけシルクロードの人たちが、今現在どのような生活をしているのかに興味があります。
 この旅行記を拝見して、中央アジアの遺跡はもちろんですが、その景観の素晴らしさに気付かせていただきました。ますます行きたくなっています。有り難うございました。

投稿: 藤尾達郎 | 2010年8月22日 (日) 21時31分

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