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2015年8月に作成された記事

2015年8月15日 (土)

鐘楼から眺めた世界遺産の街スプリット...クロアチア追補

スロヴェニアとクロアチアの旅行記は10回(4回+6回)を以って終了したはずだった。
しかし心残りというか、大きな欠落のあるものになってしまったとの思いが強かった。 それは、世界遺産のスプリット(スプリトと言う表記もある)を飛ばしてしまったからだ。
網羅的に書くつもりはなかったけれど、この欠落は大きい。 実は、書こうとしたのだけれど、中心となるべき歴史的建造物の写真が撮ってないのだ。余程、この日は集中力が無かったのだろう。

でも、なんとかならないか? 撮った写真を見直して見る。
発見があった。
スプリット観光の終わりの自由時間に大聖堂の鐘楼に登ったのだが、上からの眺めはとてもよく、気分爽快で、何も考えず、数枚の写真を撮った。
その中に大きな赤い屋根だけを撮った写真があった。何でこんなもの撮ったんだ?美しかったから。
今になってようやく気がついた。それは大聖堂の屋根だった。さらに、街中を撮った写真には、仔細に見るとディオクレティアヌスが作った城壁(市壁)もちゃんと写っているではないか。
フリー百科Wikipediaにも重要な建造物の写真が載っている。
これらを使って書いてみる気になった。

スプリットが世界遺産である理由、それは...…
ローマ皇帝(在位:284年-305年)ディオクレティアヌスが自身の隠居のために造営した宮殿等の建造物が保存状態良く残って居ることにつきる。
しかし、宮殿建設後、時間が経つと、侵入や破壊もあって、打ち捨てられ、中世が終わる頃には、その存在自体がわからなくなっていた。
1764年、建築家ロバート・アダムの調査により再び日の目を見るようになったわけだが、その時にはゴミで埋まっていて、かえって保存状態が良かったと言う話もある。

そして、ここの特徴は、宮殿の遺構の上にあるいは、その構造物や材をうまく利用して、人々が暮らして居ることだ。
したがって、街を歩いて見ると、どこを見ても異常なくらい古臭さを感じる。それどころか、一見、廃墟じみた場所にちゃんと人が住んで居る。独特の雰囲気だ。
宮殿のオリジナルの広さは、215m×180m。このエリアに今も、2000人以上の人々が暮らしていると言う。
宮殿のエリアを区切る城壁も明確に残っていて、かなりの部分が住居と一体化していたりするのが面白い。

Photo1スプリット中心部の地図&ディオクレティアヌス宮殿の復元図
(海側の銅の門は緊急用だった)





23大聖堂の鐘楼に登る







《大聖堂》
大聖堂の建物としては異様な八角形。何故か?
そもそも、この建物は4世紀初めにディオクレティアヌス帝の霊廟として造られたもの。その後、キリスト教徒たちが大聖堂に作り替えた。ディオクレティアヌスの石棺は行方が分からない...
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上に上がって最初に撮ったのがこの2枚。とにかくこの八角形に惹きつけられた。


8_2この写真が撮ってないのだ。
ネットからお借りした。
外形からは大聖堂とはとても思えない。



Photo_2聖堂内部はこんな感じ
豪華で美しい






《鐘楼からの眺望》
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7




《城壁》
9_29〝銀の門〟の内側と外側
外側(右)の写真はWikipediaより






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12立派な見張り塔





《宮殿跡》
PhotoWiki実はこの2枚、Wikipediaからの借用です。
左は霊廟となっている



《街並み&建物》
Photo_3Photo_4宮殿の遺構と一体化した住居




Photo_14




Photo_5Photo_6路地へ入ると...こちらも遺構と一体化
古く、かつ岩窟へ入ったような







Photo_3Photo_4








Photo_8Photo_7ガジェブラータ広場ので
お掃除中!




Photo_2この女性は何を撮る?





《宮殿エリア内と周辺でのスナップ》
Photo_5Photo_6魚市場の哲学者(市璧の中)




Photo_7Photo_15道路を挟んで対面(トイメン)の風景
左は城壁南面を外から見る



Photo_9鐘楼下で




Photo_11Photo_10〝黄金の門〟前
此処は音響効果が良いということで男性コーラス(クラパ)が常時歌っている






《さよならスプリット、さよならクロアチア》
Photo_13Photo_12海上から見たスプリット
宮殿の鐘楼が見える
あの上に登ったんだ


今度こそ終了です。

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2015年8月 6日 (木)

ドブロヴニクで考えたことは?...クロアチアその6(おわり)

今回の旅で、ひとつ気にかけていたことがあった。
それは、旅行中、1990年代の内戦の傷跡がどの程度見られるか、だった。結論的には、このツアーでは、ほとんど目にすることが無かった。
只々、美しく、平和な土地と言う印象を受けた。
でも、そんなはずはないでしょう。探せば傷跡はいっぱいあるはずだ。建物や土地に、そして人々の心に...

ツアーの締めくくりはやはりドブロヴニク。
最初に、海抜412mのスルジ山にケーブルで登る。城壁でくっきりと象られたドブロヴニクの旧市街が美しく広がる。
内戦ではこの市街の70%が被害を受けたと言うが、完全に復旧されている。それでもと、眼を皿にしてみると3か所ほど、廃墟のままの部分が見つかった。(それが戦争によるものかどうかは確かめてはいない。)

全長1940mの城壁を一周して写真を撮る。
街の中を写すと、赤い屋根ばかり、ちょっと面白みに欠ける。要塞や港がアクセントになる。
城壁からの一番の写真は、メインストリート〝プラツァ通り〟の突き当り、ピレ門のそばにある〝オノフリオの大噴水〟。噴水にしては巨大な建造物。壁面に16の顔の彫刻と蛇口がついている。ドームの裾に腰かけている人々の姿が印象的だった。

街の中の散策は、観光客が多すぎて、ちょっと辟易。路地に入るとホッとする。
港の近くで、これから結婚式らしい一団に出会う。街の中で記念撮影していたようだが、残念ながら見ていない。
その場を後に、港に出ると、とても賑やかなムード。チャーター船に着飾った人々が満載。これから船上結婚式だろうか?考えながら、水路越しに離れた場所から船の様子を撮っていると、大きな拍手。
花嫁・花婿が船に乗り込もうとしている!飛んで行ったが、乗り込む姿は撮れなかった。
それでも、旅行の最終盤に、幸せいっぱいの人々に逢えて、心和む思いでした。

長々と(スロヴェニア4回+クロアチア6回)書きましたが、この旅行記は一旦、これで終わりにします。

《ドブロヴニク遠景》
Photo_39Photo距離が遠く、鮮明さに欠けるが。
「絶景写真ポイント」のひとつから



《スルジ山に登る》
Photo
堅固な要塞があった。
今は戦争博物館が置かれている


Photo_2ケーブルで




Photo_3山上に美人が待つ




《ドブロヴニク旧市街全景》
Photo_4



《内戦の傷跡を探す》
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Photo_5122




《巨大な城壁》
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6_26_3







8プロチェ門
守護聖人ブラホ像が街を守る



《港》
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7_2Photo_6




《時計塔~プラツァ通り~大噴水》
Photo_7Photo_9
メインストリート「プラツァ通り」
西端に大噴水
東端は、時計塔のあるルジャ広場





8_2オノフリオの大噴水




Photo_10Photo_12時計塔と市庁舎







Photo_3488プラツァ通りで見つけた







《旧総督邸~大聖堂ほか》
8_48_3総督邸のエンタランスで







Photo_13大聖堂




Photo_14聖ブラホ教会




Photo_17ドミニコ修道院回廊




Photo_18Photo_19同聖堂内
ティツィアーノなど、優れたものがある







Photo_15Photo_16フランシスコ会修道院
左は〝ダルマシア犬〟の柱頭



《路地》
Photo








《船上結婚式》
Photo_21Photo_22








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Photo_23Photo_25




《アドリア海の朝~夕》
Photo_33Photo_32ドゥブロヴニク近傍







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《スロヴェニア、クロアチアの人々は?~The End》
Photo_27




Photo_36Photo_28





Photo_30Photo_31







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The_endThe End



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