カテゴリー「旅行・地域」の記事

2015年9月24日 (木)

彼岸花満開の堤を花嫁行列が行く...半田矢勝川「ごんの秋まつり」

23日は彼岸の中日。半田市矢勝川(愛知県)の土手は彼岸花で埋め尽くされた。その数300万本!
ここは、新美南吉「ごんぎつねの里」。いま、「ごんの秋まつり」が行われていて、その象徴的行事「結婚式と花嫁行列」が行われた。

もう何回も彼岸花の時期にここを訪れているのだが、この行事はまだ見たことがなかった。是が非でも、矢勝川の堤の上を花嫁行列が行くシーンを写真に収めたい。そう決心して出かけた。
14時、近くの岩滑八幡社で、結婚式(一般の人から選ぶ)が始まる。大勢の観客に祝福されて、無事終了。すぐに二輪車に花嫁を載せ、行列がスタート。神社付近の狭い道路から、広々とした矢勝川が流れる田園地へ。行列は真っ赤に染まった土手の上の道を2Kmほど進み、新美南吉記念館まで進む...
さて、どうしたらうまく撮れるのか?どう位置取りすればいいのか。感と素早い行動しかない!
その結果は写真で...

Photo0矢勝川の土手は〝赤い海原〟
9月23日16時



Photo花嫁行列が行く(16時過ぎ)
この1枚のショットが今日の目的でした



3遡ること二時間(14:00)
岩滑八幡社での挙式



54終了後の餅まき







67いざ出発
こんなに間近で!







8神社を後に




9堤の上は人で溢れた




1011晴れやかに




12追うのはここまでにしよう...




20Photo_3逆光は大好きだけれど、やっぱり難しい。
我が家のコーギーちゃんどうしてるかなぁ。



Photo_4矢勝川畔のカタツムリ遊園地で




Photo_5彼岸花さんありがとう




Photo_6もうお時間です...






| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年10月13日 (日)

シルクロードの大河アムダリアの〝いにしえ〟と〝現実〟

最近、当ブログの「シルクロード旅行記」へのアクセスが増えたような気がして、なんでかな?と思っていた矢先、駅前書店に「シルクロードの古代都市―アムダリア遺跡の旅(岩波新書  2013/9刊)」が平積みになっているのを見つけた。
タイトルを見た瞬間、トルクメニスタンのメルヴ遺跡を訪れた際にアムダリア川の橋を徒歩で渡ったときの光景が昨日の出来事のように脳裏に甦ってきた(2010年6月)。
アムダリア中流のこのあたりでは800mもの川幅いっぱいに溢れんばかりにとうとうと流れていた。なぜ、徒歩渡河か?川がウズベキスタンとの国境を為し、川の両側に検問所、橋は中立地帯というわけだ。政策上、橋はわざと柔に作ってあって、バスに乗ったまま渡ることができないのだ。

シルクロード・ファンには、〝アムダリア〟という名前には、強く惹きつけられるものがあるでしょう。パミール高原に源を発し中央アジアの乾燥地帯を延々と流れるこの大河が、古来、シルクロードとして重要なこの地域に多くの都市や文化を生んだ。
アムダリアは暴れ川で、古くから激しく流路が変わった歴史があり、その都度、都市も作り直されたため、非常に多くの遺跡が残っているのだ。そして、これまでそれぞれの都市遺跡の実態は謎に包まれていた。
今回の岩波新書本では、アムダリア上流の都市遺跡アイハヌム等の調査が大幅に進展した成果を中心に述べている。詳細はこの本を参照されたいが、古代ギリシャのポリスが中央アジアの奥深くのこの地域にまで進出していたことが明確にされたことは画期的なことだ(この都市の終末は紀元前145年との記述あり)。

それから、私が〝アムダリア〟と言う名前に惹かれるもう一つの理由は、かつては遥かアラル海にまで到達してその水源になっていたはずの大河が、今は砂漠の中で消えてしまっていることだ。おかげでアラル海はこの数十年の間にほぼ消滅し、今は小さないくつかの湖になって残されているだけだ。
アムダリアの大量の水は何処へ消えたか?この地域の農業・産業を支えるための灌漑・諸用水に使われたのが原因と指摘されているが、特に問題だったのはカラクム運河が掘られたことだと、この岩波新書でも述べている。この運河は非常に粗雑な作りで、灌漑水として使われるのは僅かな量でほかはほとんどが砂漠に吸い込まれているようだ。この運河はメルヴ遺跡の脇を流れているので見ているはずだが、記憶にはない。

上記「シルクロードの古代都市―アムダリア遺跡の旅」の著者(加藤九ぞう氏)は、若き日にこの地に魅了され、90歳を超えて今なお、現場調査に携わっているとのこと。シルクロードあるいはアムダリアとは、それほどまでに人を惹きつけるものなのですね。

Photo「シルクロードの古代都市―アムダリア遺跡の旅(岩波新書 )」








Photo_2アムダリア川とシルクロード遺跡マップ
この地図はかなり変形されています
メルヴは中央部やや右寄り、アイハヌムは右端下寄り


☆     ☆     ☆
自分のブログの写真を再掲です( 詳細こちら  )

SP5151087sアムダリア川を渡って国境越え
すぐ上流に鉄道橋が見えた



S_2こちらがカラクム運河と思う
(バスの車窓より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月17日 (火)

トルコで撮った写真その13(終)...エジプシャンバザールで007シリーズロケ中?

当初の想定より長くなってしまったが、ここらで締めくくろう。

トルコの地を旅すると、至る所でトルコ共和国建国の父、アタテュルク初代大統領(1881~1938)の足跡に行き当たる。どの観光ツアーでもアンカラの〝アタテュルク廟〟は必ず回る。また、たいていの街の中心となる広場にはアタテュルクの銅像が建っているし、市庁舎や公共の建物に大きな肖像画が掲げられているのを目にする。

ところで、アタテュルクの銅像は日本にもある。現在、串本のトルコ記念館にあるのだが、この銅像を巡って一騒動があったことは記憶に新しい。
そもそも、元はとは言えば新潟県柏崎の民間のテーマパーク「トルコ村」にトルコ共和国から寄贈されたものだったが、ここの民間事業者が経営破綻した末に、中越沖地震で地べたに寝かされたまま放置された。これは問題だと、多方面から強い声が上がり、曲折を経て串本に移設されたのだった。
串本に記念館がある由縁は、1890年に串本沖でトルコ軍艦が座礁した際に、地元の人々が暖かい対応をし、そのことが日本-トルコ友好の象徴となり、ここに記念館が造られたのだった。それ故、日本にトルコから贈られたアタテュルク像は結果として、最適な場所に納まることになったのでした。
そのうちに是非、串本を訪れて、日本のアタテュルク像に対面してみたい。

《アタテュルク像》
Photo_2イスタンブール トラキア大学の建物に掲げられた肖像。




Photo_3Photoチャナッカレの中心部にあるアタテュルク像
右の馬の後ろの肖像幕のある建物はチャナッカレ市庁舎



《アンカラのアタテュルク廟》
Photo_5Photo_4左はライオンロードと呼ばれる参道




Photo_6アンカラ市内の様子
洗練されたイスタンブールとは雰囲気がずいぶん異なるようだ



☆モア・イスタンブール☆
イスタンブールの写真がまだまだあります。その中から厳選して...!?
《地下宮殿》
Photo_7Photo_84~6世紀に造られた地下貯水池
とても暗いのでどうやって撮るかが腕の見せ所



SPhoto_9幻想的雰囲気をさらに盛り上げるのが、この二つの支柱の土台 何故か逆さや、横になっている 。
このメドゥーサの顔は1984年になって初めて、泥の中から見つけられた。




《スュレイマニエ・ジャーミィ》
アヤソフィアとブルーモスク(第5回記事参照)は、凄すぎる。だから人も多くてとてもゆったり見ることができない。しかし、イスタンブールには立派なモスク(ジャーミィ)が幾つもある。
そこで、自由時間を利用して、旧市街の丘の上に堂々とした姿を見せているスュレイマニエ・ジャーミィを見に行った。ここの売りは、トルコ最高の大建築家ミマール・スィナンが造ったこと(最近、世界遺産に登録されたエディルネのモスクを造ったことでも有名)。美しい内部装飾に包まれて、ゆったりと優雅な時間を過ごすことができた。特にステンドグラスは手の込んだものでとても素敵だった。
S_2Photo_10外観 丘の上にあるからどこからでも見える




S_3S_6




S_4S_5








S_7S_8ステンドグラスに注目 
絨毯用のモチーフが使われている






S_9Photo_11何気に絵になる


 




《バザール》
バザールは特に女性に人気で、彼女たちの期待が大きい。イスタンブールの場合、〝グランド・バザール〟と〝エジプシャン・バザール〟が有名なのだが、添乗員からあらかじめ、〝エジプシャン・バザール〟は入れないと、お触れが出ていた。その理由が何と、007シリーズの新作ロケをここで行っている、と言うものだった。
ところが、イスタンブール到着の前日にロケは終わったというのだ。結局、両方とも見ることができたのでした(私には有難味は沸かなかったが)。
S_11S_10エジプシャン・バザールの入り口
エジプトからの貢ぎ物を集荷していたところからこの名がある。


S_12




Photo_13Photo_14成り立ちの所為で、香辛料の店が多く、別名「スパイスバザール」



Photo_15このサフラン、信じられないほど安かった




Photo_16Photo_17こんな店も
右はCandle Holderと書いてある



Photo_18
こちらは、グランド・バザール入り口






Photo_19Photo_20メイン通りには宝石屋がひしめく
縦にも横にも通りがいっぱいあって、迷うこと請け合いだそうで...


《ベリーダンス》
当然のように、ベリーダンス・ショーを見た。
トルコに限らず西アジア、北アフリカで広く行われていて、別名「オリエンタル・ダンス」とも言うようだ。腰や腹(べりー)をあのように振ったりひねったりするのはどうしてか?そのことについて、ある資料には、砂漠地帯に顕著な踊りと言うことから、砂地では動きが制限される故に、足元を定めて胴体を重点に動かすのだ、と言う説を紹介していた。理屈はさておいて...
Photo_21Photo_22







Photo_23Photo_24 







トルコ旅行関係は、これで終了です。お付き合い有り難うございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月12日 (木)

トルコで撮った写真その12...ボスポラス海峡を行く その地政学的意味合いを考えながら

《ボスポラス・クルーズ》
ボスポラス海峡とはどんな処か?〝アジアとヨーロッパを分ける処〟...間違いはないが、それだけでは単に感傷的な意味合いしかない。観光クルーズ船が行き交ういかにも平和に見える様子からは想像できないが、思い起こせばここはいわゆる〝海峡問題〟の原点のような処だったのだ。ボスポラスは北は黒海につながっており、特にロシアにとってエーゲ海への海上通商路としてはもちろん、軍艦の通過ルートとしてもとても重要だった。18世紀以来、英米も巻き込んだ外交上の幾多の争いや協調(海峡の武装、軍艦通過の制限などが主たるものだが)があって今日に至っている。こんなことを書いたのは、クルーズ中に、金閣湾の一角にひっそりと佇んでいる1隻の軍艦をみたからだ。現状は特に問題はなさそうで、〝海峡問題〟の焦点は、マラッカ、ホルムズに移っている。

我々のクルーズは、ガラダ橋の袂から出発し、ボスポラス海峡の中程、二つ目の大橋の上流まで行って折り返すものだった。海峡の全長は約30Km、幅は狭いところで700m。両岸に主としてオスマントルコ時代の歴史的建造物が多数、立ち並んでいて、なかなか見応えがある。特に印象深かったのはドルマバフチェ宮殿、ルメリ・ヒサル、乙女の塔など。
〝ドルマバフチェ宮殿〟はトルコのヴェルサイユ宮殿とも言われる豪華絢爛なものだ。別の日に建物内は見学はしたのだが、撮影禁止と言うこともあり、ほとんど記憶がない。しかし、海上から見たその建物の立派さに改めて驚いた。
〝ルメリ・ヒサル〟は1453年のコンスタンチノープル戦に備えて造られた要塞で、海峡の最も狭い部分に位置する。海面から見上げる要塞の円筒形の塔はなかなか迫力があった。
ボスポラス海峡の南側入り口付近の海上に、建物というか島というか奇妙な塊が浮かんでいる。〝乙女の塔〟と言う名は、伝説によるものらしい。かつては灯台として使われていたが、今は人気のレストランになっているそうな。

PhotoSボスポラス海峡を行く




Photo_3Photo_4 Photo_2







S_2Photo_5出発点近く ガラタ橋とガラタ塔が見える
右はイエニ・ジャーミィ



Photo_6〝ドルマバフチェ・ジャーミィ〟
後ろの近代的ビルとの対比を撮る


S_4S_3豪華絢爛〝ドルマバフチェ宮殿〟
ヨーロッパサイドに位置する



Photo_7Photo_8〝ルメリ・ヒサル〟
遠くから見た姿が特に印象的



Photo_9Photo_10〝ベイレルベイ宮殿〟(だと思う)
スルタンの夏の宮殿、アジアサイドにある最も立派な建物



Photo_11〝乙女の塔〟
岩礁の上に造った灯台が今はレストラン
ごちゃごちゃと...


KaiS_5Photo_12巨大客船、帆船、軍艦...
 

 


《ガラタ塔&ガラタ橋周辺にて・・・オードリー・ヘップバーンも訪れた?》
金角湾の新市街側に立つガラタ塔は海からもよく目立つ。丘の上に67mの高みが重なっているのだから当然だ。エレベータでテラスに上がると金角湾とボスポラス海峡の合流点あたりにたくさんの船が行き交うのが見えた。360度の展望はとにかく素晴らしい。
ガラタ橋の前の広場はエジプシャン・バザールもあることから、大勢の人でごった返していた。ここで、名物のサバサンドを食べる。面白いのは調理場が岸壁に繋がれた小舟にあることだ。
仲間と数人で、広場の一角のちょっと喧噪から離れた喫茶店に入る。何も考えずに選んだ店だったが、二階に上がると、オードリー・ヘップバーンが座った場所というのがあって、写真と彼女のサインが飾ってあった。エメラルド・グリーンのタイルが美しい、洒落た部屋だった。

Photo_13Photo_14〝ガラタ塔〟
金閣湾を渡った新市街側のランドマーク的存在
高さ67m、最上階のレストランではベリーダンスもやっている



Photo_15Photo_16ガラタ塔からの展望 まさに絶景 




Photo_23金閣湾の対岸(旧市街)にはアヤソフィアとブルー・モスクが見える




Photo_17Photo_18旧市街と新市街を結ぶガラタ橋




S_6S_7橋上は釣り人天国




S_8S_9ガラタ橋前の広場は大賑わい




S_10Photo_19右が船上調理場
名物〝サバ・サンド〟を作っている
トルコ語ではバルック・エクメーイと言う


Photo_20洗濯フラッグ




S_11S_12オードリー・ヘップバーンが座ったテーブル
右がその証拠写真



S_13 窓から見える風景

 

 
Photo_22Img074kai_2






| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 8日 (日)

トルコで撮った写真その11...イスタンブール旧市街を歩く(ヴァレンス水道橋ほか)

イスタンブールには3連泊。ツアーでも、自分一人でも結構、歩いたので、旧市街だったら何処へでも行けるくらいになった。
単独で歩けるチャンスのひとつは、朝だ。ツアー出発が9時とすれば、2時間は優に確保できる。1日目はホテルの付近をぶらつき、近くのモスクなどを見た。二日目の朝はヴァレンス水道橋の探索、三日目の朝はブルーモスクとアヤソフィアの見納めに行った。ホテルはラーレリにあり、路面電車が有効に使えるのがよかった。

私は、古代の水道橋にとりわけ関心があって、何処へ行っても、それが存在すれば写真に納めたい衝動に駆られるのです。
このヴァレンス水道橋は、ローマ帝国コンスタンティヌス大帝の時代に建設開始し、ヴァレンス帝の378年に完成したもの。今回のツアーの見学予定には入っていなかったので、自分の足で見に行こうと思った。有名なのは、アタテュルク大通りをまたいでいる部分だったが、そこだけでなく、街の中に断片的残っている部分を見たかった。現存する長さは800mと、案内書にはある。複雑にうねる路地を歩き、ようやく水道橋の断片を見つける。民家の裏に瓦礫のような姿で存在するケースが多いが、路地の上空を堂々と横断する姿も見ることができた。

《ヴァレンス水道橋》
SPhotoアタテュルク大通りを跨ぐ水道橋
左;バスの後部座席から(なんとこれがベストショット!)  右;実際に現場で


Photo_3Photo_4早朝6時52分。暇そうなパン屋さん




Photo_6Photo_5街の中に消えていく部分 








Photo_2




S_2Photo_8街中に残る断片
 



Photo_9Photo_7路地を横断(または遮断)する部分
右は横尾忠則張りのY字路







《トラムに乗る》
S_3




S_42s




S_5S_6




S_7連結型のバス




《カラフル・トルコ》
S_8S_9ショーウインドウ




S_10ベリーダンス用の衣装?




Photo_10ホテルのロビー




S_11ガラダ塔付近で


 


《ホテル近くのモスク(トルコ語ではジャーミィ)》
S_12ラーレリ・ジャーミィ
ホテルのすぐ裏、繁華街の中にあるちょっと変わった造りのモスク



S_13ホテルから5分のヴァーリデ・スルタン・ジャーミィ
ライトアップが美しかった





後2回で終了予定です。内容予告...
 ①ボスポラス・クルーズ、ガラダ塔など
 ②スュレイマニエ・ジャーミィ、バザール、地下宮殿など

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 1日 (日)

トルコで撮った写真その10...ブルサ/緑の墓のピンクのシャンデリア

ツアーの最終到達地イスタンブールに入る前に、歴史のあるブルサに寄った。この町はオスマントルコの最初の首都だったところだ。ここの観光で、〝イェシルテュルベ〟と言う名の霊廟を見た。奇妙な響きの言葉だが、「緑の墓」を意味する。1421年、メフメット1世により建てられた彼自身の廟である。外壁はターコイズブルーに輝く美しいものだが、館内はさらに美しい。
中央に、ブルーのタイルに金色のカリグラフィーを施した大きな柩がある。周りの壁は上部が白の漆喰、下部がブルーのタイル。そして明かり取りの窓にはステンドグラスが入っている。そしてそして、柩の上には何とも美しいピンクのシャンデリアがあった..

《イェシルテュルベ》
Photoイエシル=緑だが、建物は内外共にブルーが基調







Photo中央に安置されている柩




Sこの色を安易にピンクと言って良いのか?





Photo_2Photo_3数カ所ある明かり取りの窓も凝った造り。
天井はシンプル







《ウル・ジャーミィ》
ブルサでのもう一つの観光ポイント。
Photo_16Photo_17
ウル・ジャーミィ=大きいモスクの意



Photo_18Photo_20左;清めの泉亭
右;クルミの説教壇



Photo_19Photo_21





《ブルサの人々》
Photo_4Photo_5左;バザール
右;広場の賑わい



SPhoto_6広場周辺にはトルコの人々がいっぱい








S_2Photo_7








Photo_8老人の溜まり場のようだ




《水田のある風景など...マルマラ海沿岸》
Photo_9Photo_12海側は水田、山側は畑...どちらも美しい




Photo_10水田に接近




Photo_11農夫を捉えた
(以上は車窓より)



Photo_13Photo_23ガソリンスタンドでのスナップ




Photo_14マルマラ海を行く(フェリー) 
後、1~2時間でイスタンブール

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月27日 (水)

トルコで撮った写真その9...トロイで見つけたピンクの野花

トロイの遺跡は予想通り、写真に撮りようがなかった。おまけに弱い雨が降り続け、傘を差しながらの遺跡巡りだった。私のオリンパスは防滴仕様だから(E-5もOM-Dも)、雨に濡れるのは気にならないが、形のあるものは何もないのだ。考古学的には、ここに9層もの遺跡が積み重なっていると言う貴重なものだが...
ここが、ホメロスの叙事詩に出てくるトロイ戦争の現場だったかどうかは、未だにいろんな説があるようだ。そもそもシュリーマンが掘った問題の第2層は間違っていて、トロイ戦争の年代(BC1200年頃)は第7層だった。彼の発掘によって滅茶苦茶になり、今更確認もできないとのこと。
史蹟の入り口には、噂のチープこの上ない、木馬の模型がおいてある。これでイーリアスの世界を想像せよとは酷ではないか?

この遺跡巡りでの成果と言えば、ピンクのとても美しい花を見つけたことだった。あまりにも美しいので、ひょっとしたら栽培種の可能性もある。他にも黄色や紫の花を見つけた。エフェソスなどの遺跡とは咲いている野花の種類が明らかに異なる。気候の所為かなとも思う。いつの間にかトルコの西端まで来てしまい、ダーダネルス海峡の向こうはヨーロッパ大陸だ。

Photo_13雨のトロイ遺跡を行く




Photo_14Photo_24ここに、遺跡が9層も積み重なっている。
右は第2層の財宝が見つかった場所。




Photo_2Photo_3散乱する遺構




Photo_5Photo_4 木馬は子供達に人気だ




Photo_15Photo_7 トロイのハイライトはこの花でした







Photo_2Photo_3紫の花2種




Photo_8 黄色のこの花は他でもよく見かけた







《チャナッカレ》
トロイ観光の拠点、チャナッカレの朝。
Photo_10Photo
向こうに見える海はアジアとヨーロッパを分けるダーダネルス海峡。


Photo_12 ここにも木馬が。映画「トロイ」の撮影に用いられたものだ。





        ☆ ―――――――― ☆

《クシャダス》
エフェソス観光の拠点、クシャダスでのスナップ写真です。
SPhoto_16
トルコ・エーゲ海岸屈指のリゾートだ



Photo_17Photo_18

右;モスク前をうなだれて歩く老人、どうした?






Photo_19
お婆さんも居たはずなのだが、写っていない!
(室内に消えた?)





Photo_23Photo_21右;女性達によるイチゴの出荷作業



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月23日 (土)

トルコで撮った写真その8...ペルガモン&エフェソス/想像力が遺跡を輝かせる

トルコのツアーは、遺跡を廻る旅でもある。この地には実に様々な人々が住み、また移り来て、時代時代に文化の華を開かせ、多くの都市を造り、そしてその痕跡はおびただしい遺跡として残る。
ほとんど毎日のように、遺跡見学があったが、ぼんやりと見ていると、どれも同じように見えてしまう。「関連の歴史を知り、在りし日の姿を想像する」...それが正しい遺跡の見方でしょう。しかし、想像する能力にも個人差があるし、現場の状況から限界もある。
それを補助するものとして、復元がある。絵で復元する場合や、建築物として完璧に復元してしまうこともある。

私には、今回のツアーで是非、確かめたい遺跡があった。(1)ペルガモン王国の〝ゼウスの大祭壇〟と、(2)エフェソスの〝アルテミス神殿〟だ。

〝ゼウスの大祭壇〟は、遠く離れたドイツのベルリンで再構築されている。長さ100mにも及ぶギリシャ神話の神々と巨人族の戦いを描いた浮彫は見事で、ヘレニズム期の彫刻の傑作である。このベルリンの博物館の名称も「ペルガモン博物館」となっている。
2005年夏に私はここを訪れた。〝ペルガモン〟という名と共にその素晴らしい遺跡の存在を初めて知り、そして本来はトルコにあるべきものが何故ここにあるのか、不思議に感じた。と同時に、それでは、トルコの現地(ベルガマと言う)は現在どうなっているのか、是非見てみたいと思ったことでした。
5月18日11時50分、ゼウスの大祭壇があったという場所に立って辺りを眺める。しかし瓦礫としか思えないような石材が散らばっているだけ。あまりの寂しさに涙が出そうになる。眼をつむってベルリンの博物館で再構築された大祭壇の記憶を思い起こし、その場の風景に重ね合わせてみた。

PergamonaltarPhotoベルリンの「ペルガモン博物館」に復元されている〝ゼウスの大祭壇〟
左はWikipediaから引用、右は筆者が訪れた時の写真


Photo_2ペルガモン王国の都があったベルガマのアクロポリスの一角が〝ゼウスの神殿〟跡地




〝アルテミス神殿〟は、古代世界の七不思議のひとつである。紀元前5世紀にヘロドトスが当時知られていた驚嘆すべき建造物を採り上げて七不思議としたのがその始まりだと言う。7~8年前にブームとなり、私もカルチャーセンターで講義を受けたことがあり、関心があった。
ピラミッド以外は完全に壊れてしまっているからどんなものだったかは想像する以外にないわけだが、例えば、「図説 世界の七不思議(東京書籍 2001)」という本には、七不思議の建造物が挿し絵として見事に復元されている。
今回のツアーで、アルテミス神殿が存在していたというエフェソスに行った。そしてその現場に立ったが、柱が一本復元されているのみの寂しい状況だった。これのみを見て、在りし日の豪壮・華麗な大神殿を想像せよと言うのはあまりにも酷だと思った。帰国後、改めて前記の本の挿絵を眺め、現場と結びつける作業を行ったのでした。

Photo_4アルテミス神殿想像図(東京書籍より)
神殿のサイズ;114×55m  アルテミス神像の高さ;15m

Photo_3〝アルテミス神殿跡地〟... どの資料を見ても同じような写真が載っている。まさにこれだけしか残っていないことを確認。ガイド書「地球の歩き方」では、アルテミス神殿にはまったく触れていない。

Photo_20Photo_21エフェス考古学博物館に展示されているアルテミス像
これは小さな子供ぐらいの大きさ
胸の周りの丸いものが特徴...女神の乳房あるいは生け贄の牛の睾丸と言われる





以上で、終わりという訳にはいかないでしょう。この二つの古代遺跡には他に見るべきものが多数ある。少しだけ掲載しておきましょう。

《ベルガマ=ペルガモン王国遺跡》
Photoトラヤヌス神殿




Photo_2景色の良いと言うより、危なっかしい大劇場




Photo_3美しいアーチ




Photo_4 眼下には水道橋らしき建造物が見えた





《エフェソス》
Photo_5Photo_4列柱が立ち並ぶクレテス通りを行く




Photo_7Photo_8ハドリアヌス神殿




Photo_5




Photo_9Photo_10最大の見物、ケルスス図書館
2階建てのファサードのみが残る
1万2千巻の書物があったと言う


Photo_11大劇場
映画の撮影中



Photo_12Photo_14俳優達を撮った!




《シリンジェ村》
二つの遺跡の合間に昼食のために立ち寄った小村でのスナップ。
Photo_15Photo_19







Photo_18







《聖母マリアの家》
聖母マリアの最後の場所が、エフェソス遺跡から7km離れた山中にある。
Photo_22




Photo_23Photo_24マリアの家のすぐそばで見つけた小さいけれど美しい花


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月14日 (木)

トルコで撮った写真その7...カッパドキアはオリンパスOM-Dに超広角を着けて

トルコと言えば〝カッパドキア〟...好き嫌いは置いておいて一応報告しよう。
この奇岩群の見え方は、天候や、太陽の高度などで大きく変わってくる。ローズバレーへ行った時は、夕方でしかも、小雨模様。写真は撮りはしたが、ひどいモノだった(それ故、1枚のみ掲載)。それに引き替え、翌日はすっきりした晴天で、とてもクリアに撮れた。とりわけOM-Dに超広角ズーム(9-18mm)を着けて撮ったセルヴェ渓谷の写真の解像度は秀逸だった。

《セルヴェ渓谷にて・・・OM-D》
109396



067099ベストショット!?




395401_2







070Photoトルコ人観光客も楽しげに





《ギヨレメ屋外博物館にて・・・以下はE-5》
Photo_5ギヨレメ谷には多数の岩窟教会がある




Photo_6Photo_7








《ウチヒサル&その周辺》
S431ウチヒサルは「尖った砦」の意




《ラクダ岩》
Photo_9確かに!




《ローズバレー》
Photo_16遠景の高い山はエルジェス山(3916m)
小雨の中を谷を散策す



《車窓から》
Photo_8オルタヒサル(「中央の砦」の意)



407場所名不明




Photo_15山肌に動物の絵が!




《スナップ》
Photo_11Photo_10屈託ない子供達




Photo_12トルコ人夫婦と思われるが?





Photo_13Photo_2この子達と暫し遊ぶ
右の子とは、別の観光地で再会し、ハイタッチする(OM-D ドラマチックトーン)


Photo_14スイカがいっぱい
赤いのは印刷



Photo_2Photoその名も「洞窟ホテル」
ここに宿泊した



Photo_3Photo_4カッパドキアで一番美しい野草?




| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月10日 (日)

トルコで撮った写真その6...アンタルヤで夕暮れの瀧を撮る、周辺の遺跡も

アンタルヤは地中海に面したリゾート地で、風光明媚な海岸線と周辺に多くの遺跡を持つ。朝、ホテルのすぐ裏の海岸の崖に出てみると、驚くほど美しい景色が拡がっていた。弓なりに湾曲した海岸線が伸び、その後背には中国の南画のような山が屹立している。トルコにこんな風景があるとは思いもよらなかった。
瀧を見るためのミニ・クルーズがあった。アンタルヤ周辺には瀧が多いのだそうだ。その内の一つ、デュデンの瀧は崖から海へ落ちる瀧なので、海から見るのが普通らしい。ところが、みんなの評価はあまり高くなかった。原因は、見慣れた日本の瀧の情緒が感じられなかった所為かな、と私は思った。
その夜、夕食までの自由時間に、陸側からこの瀧を見ることができるとと知らされ、薄暗くなりつつあったが、徒歩で見に行く。幅は狭いが水量豊かな川に到達。その流れは十数m先で忽然と消える。そこから先は段丘が海へと一気に切れ込む。瀧の落ち口を回り込んで覗いた。ものすごい音を立てて、海に流れ落ちていた。夕闇迫る海に白々と瀧の泡沫としぶきが拡がっていて、凄いというか、美しいというか、なかなか印象深い光景だった。

《美しき景観》
S朝、ホテルの裏手から海を眺める




S_2 遠くに見える山の姿が美しい




S_3S夕暮れの〝デュデン河口の瀧〟
右は瀧の流れ落ち口  時刻は20時5分(夏時間)
ISO1000 12-60mm F2.8-4.0
(12mm F3.5 1/40秒)

S_2同瀧を海上から眺める(昼間のクルーズにて)





《カレイチ(旧市街)点描》
S_4S_5アンタルヤ旧市街地のシンボルはこの二つ
左;時計塔  右;イヴリ・ミナーレ(38m)







S_6ハドリアヌス門




S_7S_8訳が分からぬままに撮った
門前の小さな像を拡大すると...







S_9S_10香辛料によるアート!




S_11ウインドウの女




S_12リゾートの証明




S_23昼食のレストランにて
トルコは猫も犬も多い




《周辺の遺跡》
本来はこちらがメインのはずだが、正直、写真的には面白くないので駆け足で..。
1.アスペンドス
S_13S_14800m×500mほどの古代都市遺跡
小アジア最大の劇場が見物
真ん中に点のように見える女性が朗々と歌った



2.ベルゲ遺跡
S_16S_17BC4世紀に歴史に登場した古代遺跡
延々と列柱が...
右はニンファエムの泉


S_18遺跡にポピーはよく似合う








3.アフロディスアス
S_191~2世紀建造のローマ式スタジアム
長さ262m、幅59mの巨大さ
3万人収容可


S_15テトラピロン(四面門)と呼ぶ




S_20S_21遺跡周辺にはいろんな野花が咲いている
積極的に写真に撮った
 


S_22ちょっと不気味な蝶





このツアーのルート図です。
Photo




| | コメント (1) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧