カテゴリー「写真」の記事

2009年9月30日 (水)

彼岸花のある風景を求めて...中央線のローカル駅で降りてみる

彼岸花が見頃になったから、好き嫌いは別としてどこかで写真を撮ろうと思った。
昨年は東海地域の名所のひとつ津屋川へ行ったので、今年は半田かな、と漠然と考えていた。けれども、人が大勢行くような所はイマイチ気が進まない。
彼岸花なんて何処にでもあるじゃないか!何万本も生えている必要はない。農村などで、人の生活に馴染んでささやかに咲いているのもいいものだ。とすれば何処へ行けばいいだろうか?
出たとこ勝負で、中央線に乗り、釜戸で降りてみた。ローカルな田舎くさい所だろうと、勝手に想像したのだ。雰囲気的にはほぼアタリだったが、土地勘も無く、何処に何があるのか分からず、闇雲に2時間ほど歩いて撮ったのが次の写真です。
真昼で、太陽が真上から照りつけ、暑くて早々に切り上げましたが、なかなか美しい田園風景が拡がっている所だと分かりました。

P9240647収穫を終えた稲田。




PhotoPhoto_2脱穀中。




Photo_3Dsc_6489 刈り取り前の稲田の黄色と彼岸花の赤の対比が美しかった。






S 〝青い空・白い雲・赤い彼岸花〟
こういうローアングルはオリンパス・ペンでは簡単に撮れる。



Photo_4Dsc_6461 田舎らしい建物。その後ろをJRの列車が行き交う。







Photo_5P9240660 〝作業小屋〟&
〝緑に埋もれる廃車〟
赤い小さな花は何だろう?


Photo_6 田んぼで遊ぶ地元の家族。




Photo_7 コスモスが後ろを向いているが、この辺りの景観はこんな感じ。




Photo酔芙蓉ですね。とても美しい。



 
(9月24日撮影)

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2009年9月17日 (木)

奥三河〝四谷千枚田〟は終日小雨だった...帰りに〝鮎瀧〟に寄る

9月15日はお天気の谷間のようだった。前日までの爽やかな秋日和とは打って変わって、朝から雨だった。この日はいつものグループで、奥三河の〝四谷千枚田〟へ写真を撮りに行くことになっていた。天気予報の感じから、そのうち晴れるだろうと高をくくって家を出たが、結局、終日降り続いてしまった。
幸い降りは強くなく、撮影は出来たのだが、私は雨中撮影の経験はあまりなく、装備も十分でないこともあり、撮ってやろうという意欲がイマイチ湧かなかった。ベテランはカメラにビニールの覆いを着け、雨合羽姿でどしどし撮っていたが、こちらは傘を差しながらなのでまるっきり勝負にならない。おまけにいつも使っているF2.8通しの望遠レンズが修理中なのだ...

〝四谷千枚田〟は奥三河鳳来(新城市)の鞍掛山(883m)のふところに抱かれた谷間に拡がる棚田だ。標高差が200mもあり、写真の対象としては魅力的なところだ。案内板によれば、田の数は1296枚となっているが、現在、実際に耕作されているのは420枚(農家数22戸)とのこと。
棚田の一番下からの眺めはとても素晴らしい。写真でこのダイナミックさを表現するのはとても難しい。小雨で霞んで、遠方の見通しは良くないけれど、黄色く色づいた収穫前の稲田と、既に刈り取られて稲穂が干されている田が入り交じって何処までも続いている。
棚田の果てには鞍掛山がそびえ、その高みを雲というか霧というか、白いモヤモヤが通り過ぎて行き、刻々と様子が変わるのが圧巻だった。

PhotoPhoto_2棚田の最下部からの眺め。








62786277 


 





Photo_3Photo_4




Photo_5Photo_6




Photo_7Photo_8




6243Photo_10 まだ数は少ないが、彼岸花が咲いていた。








62286192 棚田と檜林の山との境目に農家がある。




Photo_11 農作業の人のスナップを撮りたかったが、ちょうど昼時で、人がほとんどいなかった。







6210 6218本格的に作業をしていたのはこの人ぐらい。



6213




Photo_12 案山子が出迎えてくれる!




Photo_13Photo_14 なかなか垢抜けた案山子ですね。








Photo_15Photo_16 中程に水車小屋がある。公園的雰囲気を造ろうとしているようだ。








Photo_17千枚田の案内板。




帰りに、近くの名勝〝鮎瀧〟を訪れた。
瀧の名は、この二間余りの瀧を利用して、長い竿の先にくくりつけた笠で鮎をすくい取る独特の漁(笠網漁)が古くから行われてきたことに由来する。
多い時は1日で数千匹獲れたという。今は漁法の保存兼観光で一定期間実施されている。一応9月末までだが、もう鮎が上がってこないようで、撮影のために漁のポーズだけやってくれました。
Photo_18Photo_19 雨のため見学者は岩場へ降りられず、遠くから眺める。







Photo_20Photo_21笠網漁の継承者。 
タモは二種類。 

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2009年9月 1日 (火)

〝にっぽんど真ん中祭り〟を撮りに行く

真夏の名古屋のビッグイベント〝第11回にっぽんど真ん中祭り〟が8月28~30日に行われた。今年の参加チーム数は過去最高の210、各会場への来場者も210万人に達したと、公式サイトに報告されている。
どの祭りでも言えることだが、見る人よりも参加している人自身の方が楽しいだろう。しかし、去年感じたことだが、ただ漠然と見るよりも、写真を撮っていると、結構楽しめるのです。
気になる被写体を追いかけ、絵になる瞬間と構図を何とか捉えよう奮闘する。それぞれのチームの特徴を、登場してきた瞬間につかむのが決め手だ。
各チームの踊りは、ステージと大津通のパレードの二通りで見られるが、パレードの方が間近で踊り手を見ることが出来、迫力があると思う。
私は時間の都合もあり、大津通のパレードでの踊りを中心に撮った。そもそも腕は良くないうえに、被写体は猛烈に動くので、なかなかうまく撮れなかった。以下、多少はマシと思われる写真を並べてみた。

PhotoPhoto_2いきなり馬が...
前夜祭の金曜日にカルチャーセンターを終えて、地下鉄に乗ろうと思ったら、栄の街を馬が歩いている。後をついていくと、久屋大通り公園のステージに向かっているようだった。道行く人は驚きの眼差し...さて、馬の役目は?
Photo_3Photo_4
これは本祭1日目(土)の17時10~20分。ステージの模様。


Photo_5各チームごとに音響装置を積んだ先導車が付くが、これはなかなか凝っている。どれもそうだが、もの凄い大音響で踊りの音楽を流す。車の上で生演奏もかなりの数に上る。


PhotoPhoto_2踊りの振り付け、衣装、小道具が差別化の主な要素。
右はアラビアン?



Photo_3Photo_4中国風あり、 ...あり




Photo_5Photo_6女性の美しさに惹かれる!
右のコケティッシュな踊りもとても良かった。   



Photo_7Photo_8左;赤と黒のデュエット
右;ギターを抱えて



Photo_10Photo_11走れ!   

 


Photo_12はつらつ!




Photo_13Photo_14狐のお面








Photo_15Photo_16大きな天狗面に驚く!




Photo_17Photo_18傘を使うチームが幾つかあった。 
写真映えしますねぇ~



Photo_19ピンク&グリーン...これは先導車の上。




Photo_20Photo_21女性の美しさを前面に出すチーム




Photo_22Photo_23この踊りは最高に優雅!




Photo_24Photo_25タトゥー風のボディペイントが美しさを際立たせる。 
ほっぺに梅の紋...可愛い!





Photo_26Photo_27赤ちゃんを背負って! 
なんと嬉しそうな表情でしょう!



Photo_28父と子の参加もありました。




Photo_29Photo_30男性陣は?








Photo_31矢場公園ステージへ行ってみると、ちょうど演舞が終わって、締めくくりの総踊りをやっていた。本祭2日目(日)17時。この後、久屋大通公園ステージでファイナル演舞(最終審査)が行われる...


 

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2009年8月 2日 (日)

雨の夕方、蝉の羽化を目撃した...美しく、力強く、そしてもの悲しく

昨日の夕方、雨の中のウォータン(犬)の散歩を終えて、庭に戻ってきた時のこと。いつものように足を洗うために、モミジの木の下で大きなシャーレーに水を入れていると、目の端に白いものが「ニョキッ」と空間に現れたのを認識した。
驚いてそちらを見ると、自然に生えてきたテッポウユリのつぼみの下にぶら下がった蝉のサナギから幼虫が出てきたところだった。見てる間に小さな翅を伸ばし始める。あわててポケットに入れていたコンパクトカメラ(リコーGX100)で、撮影を始めた。僅か10分ほどで、翅が伸びきり羽化が完成。しかし、この雨の中で、ちゃんと乾くのだろうか?
雨がひとしきり激しくなり、私とウォータンは退去を余儀なくさせられる。
翌朝、いつもの通り、6時に起きて気になっていた蝉を見に行ったが、もうそこには抜け殻だけが残されていて、姿は見えなかった。無事に旅だったようだ。

アブラゼミは幼虫として地中で過ごす期間が約6年、羽化して成虫として地上で過ごせる期間は2週間ほど。この蝉(アブラゼミ)は持って生まれた寿命を全うできるだろうか?何時になったら梅雨が明けるのか、蝉のためにもこの天候不順を恨めしく思う。

蝉と言えば、松尾芭蕉の次の句が思い出されますね。
〝やがて死ぬけしきは見えず蝉の声〟
端的に〝命のはかなさ〟を蝉に託している。

096s8月1日17時22分
脱殻が始まった瞬間を見たのはおそらく、2分ほど前。翅が直ぐに伸張し始める。






103s同25分。殻から抜けきった瞬間。








112s同29分。蝉らしくなってきた。面白いように翅が伸びていく。








116s同32分。翅がほぼ伸びきる。純白の地に鮮やかな空色のライン。とても綺麗ですね。これがどれほどの時間であのアブラゼミ独特のごてっとした色に変わるのだろうか?

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2009年4月 8日 (水)

犬山祭を見に行く...三段重ねの車山の迫力...桜は満開だったが

4月5日、愛知県犬山市の〝犬山祭(いぬやままつり)〟を見に行った。
犬山城の直ぐ下にある針綱神社の春の例祭で、1635年から行われている歴史ある行事だ。犬山城下の13の町が維持してきた車山(やま)が曳き出され、針綱神社前で〝からくり〟を奉納する。
ちょうど桜の時期ということで、「犬山お城まつり」も併催されていて、とにかくすごい人出だった。
古く趣のある家並みを縫って華麗な車山が進んで行く様は、まことに絵になります。
ここの車山(=山車)は「犬山式」と呼ばれる3段重ねが特徴のようだ(他では2段重ねが多い)。最下段はお囃子衆が入っている。最上層はからくり、中断はその操作部。
この祭りには子供がたくさん参加していて、とても和やかな雰囲気を醸し出していた。

「車山と桜」を写真に、と思ったが、これは難しかった。針綱神社前のからくり奉納の時が同時に撮れるほとんど唯一のチャンスだった。

ついでに国宝犬山城にも入場したかったが、かなりの時間待ちが必要だったからパスした。あの天守閣から見下ろす日本ライン(木曽川)の眺めがとても素晴らしいのだが。

Photo日本最古の犬山城。




Photo_2針綱神社の鳥居前で、各町の車山のからくり奉納が行われる。




Photo_3Dsc_331趣のある古い街並みを車山が行く。




Photo_4〝車山と桜〟
神社前でからくり奉納を終えて方向転換しているところ。



Photo_5Photo_6高みの見物。見ている人物が主役!








33043298近くから車山を見る。高さは迫力を生み出す!








Photo_7車輪に座っている!









3290_2お囃子の子供達。待機中で寛いでいる。考えてみると、狭い車山に乗るお囃子隊は体の小さい子供に限る。







Photo_8Photo_9こんな舟型の車山もあるんですね!?
文字通り豪快に人波をかき分けて進む。



Photo_10Photo_11太鼓爺。








Photo_12Photo_13美しさが花を添える!




Photo_14Photo_15 この子たちも、れっきとした祭りのメンバー...いや、主役かも...

 

 

 

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2009年3月14日 (土)

野良猫、路地猫、ストリート・キャッツ

野良猫のことを最近は〝ストリート・キャッツ〟とも言うのらしい。英語(米)ではalley cat、つまり〝路地猫〟だから、これは例のごとく和製英語だろうか?
なんかすごく品がよい響きになってしまいますね。

私は猫は本来きらいではないが、我が家の犬は猫と見れば敵愾心をむき出しにするので、きやつの気分に染まってしまって、猫には近づくことがなかった。
しかし、街でスナップ写真を撮っていると、野良猫に出くわす機会が結構あり、ついシャッターを切ることが多くなった。被写体としてなかなか面白いのだ。犬はちっとも撮る気がしない。もっとも野良犬なんてまず居ないのだが。

猫に関する本や写真集がちまたにあふれている。ちょっとしたブームだ。
私の手元には動物写真家の岩合光昭の〝ネコを撮る〟という文庫本がある。撮影指南も親切だが、実に多くのしかも驚きの写真が挿入されていて、感心しながら楽しんでいる。

「最近、三毛猫が少なくなった」という人がいたが、先日、鶴舞公園で三毛猫を見つけた。居るじゃないか!
ところで、三毛猫って、原則として「雌」しか居ないのらしいですね。ネコの毛色を決定する遺伝子の作用によるもので、有名な事実のようだ。しかし、染色体異常で希に「雄の三毛猫」も生まれることもある。もし、見つけたとしたら100万円の価値がある。さらにそれが生殖能力を持っていたら1000万円はするだろう...(これはWikipediaからの引用)

以下は、最近撮った猫の写真です(野良だとは思いますが、飼い猫の可能性もある)。

Photoアオキの下に三毛猫が居ました。当然〝雌〟でしょうね。




Photo_2こちらは美しい縞猫




Photo_3茶色の猫...虎猫?




Photo_4三匹競演。
猫の魅力の一つは目の色。黒猫の金目が素敵。



Photo_514時、お昼寝。




Photo_6爪でも研ぐか!




S旅は道連れ 

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2009年3月 9日 (月)

Qちゃんの〝ありがとうラン〟を見た...名古屋国際女子マラソン

3月8日、名古屋国際女子マラソンを見に行った。
高橋尚子さん(Qちゃん)の〝ありがとうラン〟も行われるというので、なんとしても行くつもりだった。たまたま午前中、カルチャーセンターの講義があり、時間がなかったので場所選択の余地もなく、最寄りのコースへ直行した。テレビ塔北の桜通は既に大勢の人たちで埋まっていた。
すぐに先導車が来て、その後からトップグループが見えた。あっという間に通り抜けていく。
人垣から垣間見える程度でとても写真がとれる状態でない。そこで横断ブリッジを渡って向かい側へ移動することにした。ブリッジ上は「停留禁止」で係員が「歩き続けよ」と指導する。ちょうど真ん中辺りで大きな歓声が沸く。見ると黄色いシャツのQちゃんが颯爽と走ってきた。歩きながらブリッジ上からシャッターを切る。
笑顔で群衆に手を振りながら、見慣れたしなやかなフォームで駆け抜けて行った。
コース設定からすると、名古屋城の周りを大きく廻ったあと、再びこの地点を通ることになっているのでそのまま待つことにした。ここは帰路は33km地点になり、その標識を用意していた。
やがて、トップの新谷仁美が単独で来て、その後、藤永佳子とキャロライン・キレル(ケニア)が猛烈に競り合いながらやって来る...あのお馴染みのリディア・シモンもやってきて...それから意外に早くQちゃんが来た。
前列は背の低い女性達だったから余裕で写真を撮れると思っていたら、一斉に両手を挙げて飛び上がって騒ぎ出した。写真が撮れない!!
真ん前を通過する瞬間、めくら滅法シャッターを押した。結局、帰りのQちゃんはこの1枚だけ。それでも奇跡的によく写っていた。
みんなが、「Qちゃんありがとう...」と叫んでいる。後ろ姿に向かって、私も「ありがとう・・・」と声を合わせた。
新聞記事によると、彼女自身も走行中、1000回くらいありがとうとつぶいやいた、と語っている。

Photo帰路33km地点の高橋尚子さん
全コースで笑顔を絶やさなかったという。



Photo_2Photo_3ブリッジ上からQちゃんを撮る(往路)




Photo_4群衆の中のQちゃん (往路)
彼女のために白バイが2台付く



以下は33km地点を主体としたレースの写真です。比較的ましなものを記録として載せておきましょう。
Photo_5新谷仁美が33km地点をトップで通過




Photo_6Photo_7藤永佳子とキャロライン・キレル(ケニア)の猛烈なデッド・ヒート。このあと、藤永が新谷を抜き、優勝。


Photo_15当地点の4~6位グループ。




Photo_8リディア・シモン。高橋のよきライバル。シドニーでは高橋に続いて2位だった。今回の成績は21位。また、Qちゃんは29位だった。



Photo_9前を行くのはジンバブエのタビサ・ツァツァ。
今回は外国人選手はいずれも調子が良くなかった...



Photo_1033kmの標識




Photo_11Dsc_2668Photo_12パワフル&ビューティフル!   




Photo_13Photo_14左;往路の大集団 
右;広い桜通を横断して右折、名古屋城周回へ。


 

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2009年1月26日 (月)

師崎(もろざき)の左義長まつりを見に行った

全国各地で行われる左義長の行事だが、その地それぞれのスタイルがある。
25日の日曜日、写真仲間から誘われて知多半島の突端にある師崎港で行われる〝左義長まつり〟に行ってきた。
どんなものかは次の新聞の記事が簡にして要を得ている(毎日)。

『愛知県南知多町の師崎海岸で25日、大漁や無病息災を祈願する「左義長まつり」があり、下帯姿の若衆が干支(えと)やタイを描いた大のぼりを正月飾りと一緒に燃やした。
旧正月の伝統行事で、第4日曜日に行われる。のぼりは長さ約10メートル、幅約3メートル。家々から持ち寄った正月飾りやお札に火をつけ、その中に何度も大のぼりを倒して一緒に燃やした。
最近は、若衆の減少で大のぼりの数が減ったが、海岸には大勢のアマチュアカメラマンも訪れ、シャッターチャンスを狙っていた。』

補足すれば、師崎海岸沿いに西から東へ5カ所で順次、この行事が行われる。そして、ここの見物は〝大のぼり〟に火を付けることとともに、小振りの〝御輿〟にも火を付けて走り回った上に海中に突入するのだ。

祭りをうまく撮るには、祭りの進行を熟知していなければならないが、初めてだったから何処にいればいいか私には分からなかった。
結果として、肝心の海中突入シーンは人垣に遮られて撮れなかった。大のぼりを焼くシーンは咄嗟に防波堤に飛び乗ってなんとか撮した。

まつりとは別に、師崎港はとても美しく、再度訪れたいと思ったことでした。

R0014939sDsc_2248s美しい師崎港。水もきれい。
繋がれた舟も色とりどりの旗を掲げ、まつりを盛り上げる。


S左義長まつりが行われる広場の遠景。30分前。ぼつぼつ人が集まってくる。



R0014916sDsc_2252s役員が出てきた。








Dsc_2224sDsc_2225s役員が火を付け、正月飾りなどの山が燃え始める。


Dsc_2215sR0014925s御輿に火を着ける。




Dsc_2233sDsc_2228s火の着いた御輿を4人の若衆が持って広場を走り回る。火薬が仕掛けられているようで、凄まじい音と煙が出る。すぐそばに居たから私も煙に巻かれて写真どころでなくなってしまった。
そして、あっという間に海へ突入した。
Dsc_2243sDsc_2245s突入の瞬間の写真は無い。
一人の若衆がなかなか水から上がってこない。言うに言われぬ理由があったようだ。


ここまでが第1部。
第2部は大のぼりを燃やす。
R0014929s
若衆が大のぼりの固定縄を解き始める。これを火の上に倒すのだ。







Dsc_2237sDsc_2238s大のぼりに火が着けられた。師崎版左義長のクライマックス 。



R0014938s第3部は餅撒き。
もらった餅を早速焼いている人もいる(竿からぶら下がっているのが餅)。


☆  ☆  ☆
R0014924sいざ出陣。




R0014942sR0014944s余興?脱線?
元気があっていい!



まつりは演じる人だけでなく、見る人も一様に熱い気持ちにさせる。行って良かった。

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2008年12月13日 (土)

紅葉と黄葉...急遽京都へ!...写真より眼で見るのが一番

季節の進行は早い。当地の紅葉も終わりに近づき、落ち葉が目立つこの頃だ。

もみじ=紅葉&黄葉(辞書、パソコンかな漢字変換) 
赤い紅葉→カエデ(楓)など
黄色い紅葉=黄葉→イチョウ(銀杏)など
日本語は面白いし、ややこしい。語源的には『木々の葉が、秋口の霜や時雨の冷たさに揉み出されるようにして色づき始めることから「揉み出づ」→「もみづ」→「もみじ」→紅葉』ということのようだ。

紅葉の写真を少しばかり掲載しておきましょう(スナップ感覚で撮ってあるので...)。

PhotoPhoto_2この2枚は春日井市の円福寺境内(ウォータンの散歩コース、11月末撮影)。






Dsc_1816Photo_3桜通のイチョウ並木。JRタワーズとミッドランド・スクエアを背景に。
右は名駅近くの小さな神社にて。屋根にずっしりと降り積もったイチョウの落ち葉を払い落としていた。(12月12日撮影)




Photo若宮大通りのブリッジを行く若者達。まだ、イチョウの黄色が残っていた。(12月14日撮影)






以下は京都の紅葉。12月3日撮影。永観堂の紅葉が見頃と、NHKで放送していたのを見て急遽出かけた。永観堂に限らず、どこも素晴らしかった。陽の光をいっぱいに受けたカエデがはでやかに輝き、赤い照明のように辺りを染めていました。
しかしながら、これを写真にどう収めるのか?とても無理な相談。しっかり記憶しておくしかない。
Dsc_1833Photo_5先ずは南禅寺。山門を背景に。








Photo_6永観堂の入り口。紅葉シーズンは拝観料も大幅アップします。



Photo_7Photo_8右は隣接の永観堂幼稚園。カエデやイチョウの葉が舞う中で元気に子供らが遊んでいました。



Photo_9Photo_13真如堂正門と鐘楼。とにかく紅葉は逆光気味で撮りたいのだが!?


Photo_10こちらも京都の代表的な紅葉の名所だ。地元の人によるとここもテレビで放送されたとのことだった。そのせいかとにかく人が多かった。
Photo_11 




Dsc_1929Dsc_1931哲学の道。琵琶湖疎水が赤く染まっている。







Dsc_1932「哲学の道」随一の美しいカエデ。ある写真雑誌にもこの風景が載っていた。

 

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2008年12月 8日 (月)

だるま夕日...地球影...グリーン・フラッシュ

高知県宿毛市では、毎年、「だるま夕日フォトコンテスト」というのをやっている。
「だるま夕日」とは?同市のホームページには次のように書いてある。
『この夕日は、11月から2月ごろまで見られる現象で、気温が低く大気と海水の温度差が大きい日に現れます。太陽が水平線上に沈みかけた時、海面から上がる水蒸気の層を通る光が屈折してもう一つの太陽が海面に映し出され、二つの太陽が接すると、まるで海から「だるま」が顔をのぞかせているように見えることから「だるま夕日」と呼ばれています。
だるまはやがてお椀を伏せたような形となり、あっという間に水平線に隠れます。わずか数十秒間のドラマです。
12月初旬から中旬までは、咸陽島の島と島の間で見られます。
天気の良い日が続き、九州方面に高気圧が張り出しているときが「だるま」になる確率が高いようです。』

この説明が正しいかどうかは疑問ですが、細かいことは言わない。ここで紹介されている写真はとても美しく面白いです。初めての人は見てみるとよい(こちら→)。
1
宿毛市のホームページ。だるま夕日フォトコンテストの案内。


実は私は知らなかった。朝日カルチャーセンターで現在、「雲の形と空の色」と言う講座を受けていて、そこで仕入れた知識だ。旅行好きの人や写真をやる人はみんな知っているのだろうか?

この講座で扱う内容は、とてもユニークで興味深い。
青空の青、夕焼の赤、虹の七色から始まって、地球影、光芒、ハロー、幻日、ブロッケン、彩雲、蜃気楼、グリーン・フラッシュ...と、多彩である。
それぞれどんな現象か、科学的に説明してもらうと同時に、講師が撮影した素晴らしい写真(講師は登山家でもあり高山での写真が多い)も見せていただいた。

ところで、上記に並んでいる現象のうち、私は「地球影」と「グリーン・フラッシュ」は、言葉すら知らなかった。皆さんはどうでしょうか?

まず「地球影」ですが、これは文字通り大空に地球の影が映る現象なのだ。
水(地)平線に太陽が沈み、西の空が真っ赤な夕焼に染まる...しばらくして反対の東の空が赤くなってくる。これは、大気中の水蒸気がスクリーンのような働きをして、地球の影が映っているのだという。夕焼けの赤もそのまま東の空に映るのだ。
この現象は広く開けた場所なら大概見られるというのだが!?

一方、「グリーン・フラッシュ」はとても見るのが難しく、これを見た人は幸せになれるという伝説があるほどだ。現象としては、〝太陽が沈んでいく時、最後の一瞬間に緑の閃光が見えることがある〟というもの。だからフラッシュ(閃光)なのだ。
原理はどうなっているか?
基本はプリズムの原理。沈みつつある太陽からの光は、大気を斜めに突っ切って来るが、大気層の密度は下が濃く、上が薄いから、下向きに曲線を描いて我々の目に入ってくる。この時、赤い光は曲がりにくく、青いほど曲がりが大きくなる。つまり、虹のように分光するのだ。この時、眼に入る角度から、赤が下、青が上というように七色の層が積み重なったように見えるはずだ。ただし、青は途中で散乱し青空を造るために失われるので、最上層(夕日の天辺)は〝緑〟になる。実際にはこの〝緑〟の層の見かけ上の幅は太陽全体の視度直径32秒に対し、僅か0.5秒だから人間の眼で見分けるのは元々困難である。
しかしながら、太陽が水平線に没して行き、このグリーンの部分だけが残るような状態になった時、かつその時の眼に届くまでの大気の経路の状態がある理想的な条件になっている時に、一瞬間(計算上1秒間ほど)〝緑の閃光〟が見られるというのだ。
大気の条件としては、先ずクリアであること、そして海面温度が高くて空気密度の低い層が海面近くに出来ること、加えて蜃気楼が起きると〝緑の層〟が浮き上がり、かつ膨張する...そんな時が理想だと言う。

具体的にどういうものか、英語版Wikipedia等から拝借した写真を載せておきましょう。(どういう訳か、日本での観測例はほとんどなく、一方、外国のサイトにはたくさんの写真があります)
800pxbig_green_flash800pxgreenflash_2800pxinferior_mirage_green_flashグリーン・フラッシュの観測例。
(Wikipedia(英語版)より)


ジュール・ヴェルヌが「The Green Ray(緑の光)」で小説にしているくらいだから、昔から目撃者は居たのでしょうね。
ヴェルヌはこの小説で、もしも太陽が沈み行く時に〝緑の閃光〟が見られたら、その人は「人の心の内が分かるようになる」と書いている。「しあわせ伝説」のルーツです。
とにかく、大空には光による不思議な現象が満ちている。

寒さは増してきたが空は素晴らしく綺麗。この時期は、飼い犬のウォータンの夕方の散歩が丁度日没と重なり、ほとんど毎日、素晴らしいサンセットを眺めることが出来る。ウォータンのお気に入りの高台に立つと、遙か遠くの鈴鹿の峯に真っ赤な太陽が今日も沈んでいく。グリーン・フラッシュでなくとも充分しあわせな気持ちになれますよ。

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2008年11月24日 (月)

愛知牧場では馬術競技、久屋大通公園ではジャンプ・コンテスト!?

スナップ写真を撮るなら日曜日が良い。何かしらイベントがあるし、人も多くて被写体に困らない...以下、11月中に撮った写真から。

その1は愛知牧場(名古屋市東部近郊)。
11月2日、日曜日の写真です。秋、たけなわ。天気も良し。いろいろのイベントもあるためか、家族連れや、若いカップルなどが大勢来ていてとても賑やかだった。
牧場の一角にある乗馬クラブの馬場では、丁度、馬術競技が行われていた。使われている馬はどれもすらりとした姿態、美しい肌色だった。5つも6つもある障害を軽々と越えて行く。初めてだったのでとても興味深く見る。試技ごとに審判員が点数と所要時間をアナウンスするのですが、騎手の上手下手は素人にも一目瞭然でした。馬の動きの滑らかさがまるで違う。
また、子供向けイベントとして、乳牛の「乳搾り体験会」が行われていて、とりわけ女の子に大人気。順番待ちの長蛇の列が出来ていた。
緑の畑、トラクター、コスモス、大規模な牛舎と牛たち...秋の牧場の雰囲気が満喫できました。

Photo牧場と言うより大規模農場の雰囲気。



Photo_2Dsc_1370_2牧場見学ツアーもトラクターで。




Photo_3Dsc_1387s普通のコスモスもあるが、濃色の黄花コスモスの方が素敵だ。



Dsc_1386sPhoto_4黄花コスモスの咲く丘の下には乗馬クラブとその馬場がある。



Dsc_1354Dsc_1356s競技中。馬も騎手もビューティフル。




Photo_5Photo_6 厩舎。




Photo_7Photo_8仔牛!頼りなげな仕草が可愛い。
乳搾り体験会は特に女の子達に人気。



Photo_9 柵越しの交流。





その2は名古屋都心でのスキー&スノーボード・ジャンプ・コンテスト。
11月9日の日曜日、カルチャーセンターを終え、久屋大通り公園を通りかかると、何か大きな構造物が目に飛び込んできた。なんと臨時のジャンプ台なのです。着地地点には別の小さなゲレンデも設置されていた。
私が見たのは本番前の公式練習だった。途中からだったが10数人のジャンプを見ることが出来た。みんなとても上手だった。後で調べてみると出場者は国内のトップライダー達だとのことだった。
〝アースリート・フェスタ2008〟というのがイベントの正式名。
アース=地球(環境保護)とアスリート(プロ級スポーツ選手)の複合造語のようだ。従って環境保護関連の催しも合わせて行われている。
しかしこの取り合わせは何か不自然な感じを抱くのは私だけでしょうか?

Photo_18Photo_19久屋大通公園に設置されたジャンプ台。高さは20mはあろうか?






Photo_11ジャンプ台へ向かう選手。




Photo_12Dsc_1591_2どの選手も上手。高く飛び上がる者、宙返りする者。右写真の選手は後ろ向きにスキーを履いて、後ろ向きに滑り、宙返りもする。






Photo_13Dsc_1584宙返り中!




Photo_14Photo_17着地用ゲレンデはジャンプ台に対して90度の向きに設置されている。このゲレンデではスノーボード体験会も行われていた。


Photo_15Photo_16 環境関係イベントを完全にパスしては申し訳ない。しかし、ほとんど撮っていない。これだけです。


 

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2008年10月21日 (火)

〝挙母祭り〟を見る...紙吹雪に魅せられて

10月19日の日曜日に〝挙母祭り(愛知県豊田市)〟を見に行った。我が家からは愛知環状鉄道で30分あまり。こんな近くなのにまだ見たことがなかったし、どんな祭りかも知らなかった。
以前のブログで書いたが、〝祭りの達人〟という本を見て、これは是非、写真に撮ってみたいと思ってこの日を待っていた。

〝挙母祭り〟のポイントを一言で云えば、「山車+紙吹雪」でしょう。この紙吹雪の量が生半可でない。8台の山車が通過する路地は、撒かれた紙吹雪が積雪のようにたまってしまうのです。見物人も紙吹雪を頭から被りながら間近にこれを見ます。壮麗な山車の上にははっぴ姿の人達が鈴なりに乗っていて、彼らが絶え間なく紙吹雪を吹き出す。吹き出した瞬間に山車は美しい紙吹雪に包まれる。その都度、見物人は〝おーっと〟声をあげる。

祭りの起源については、記録としては1630年まで遡るが、幕末から明治初期にかけて現在のような山車が完成したようだ。詳細はこちらの記事(①→ ②→) を参照下さい。
19日は本楽と呼ばれ(18日は試楽)、
七度まいり (7:00~)  曳き込み(10:00~) 神輿渡御(13:00~15:30) 曳き出し(16:00) 泣き別れ(16:30~)と、行事は進行する。

〝曳き出し〟は挙母神社に集結している8台の山車が神社から曳き出される行事で、これが祭りのクライマックスだ。お囃子が激しく高まる中、圧倒的な量の紙吹雪に包まれて山車が1台ずつ神社を出て行く。
これを写真に収めるべく狙い定めていったのだが、とにかく見物人が多くて良い場所が確保できず、うまく撮れなかった。
しかし、鳥居をくぐって出ていく山車をひたすら追っかけて街中で写真を撮った。むしろこの方が自分の性に合っている。祭りに溶け込んでしまい、気分が大いに盛り上がる。充実したひとときだった。

SS_219日14時30分頃に挙母神社へ行くと、8町・8台の山車が集結していた。



S_3S_4山車の前で、お囃子や千代の舞などが披露される。



R0014272s拝殿では踊りなどが奉納される。



 
S_7S_8Ss曳き出しの時間までしばし休養。






S_5S_6街を周っていた神輿が戻ってきた。



S_9境内に降り積もった紙吹雪で遊ぶ。




S_10S_11山車の1階部分を拝見。脇には紙吹雪の袋の山...



S_1215時30分。曳き出しの時間が迫り、山車に人が乗り準備を整え始める。



S_1316時丁度。熱気が最高潮に!




S_14S_18先頭車が出発。白い紙吹雪に包まれる。ここでUターンして本部前を通って、鳥居をくぐる。本部前ではもう一度異なった色の紙吹雪を盛大に撒くのだが、この位置からは見えなかった。

S_16S_17この車は「黄色→赤」 でした。「すみれ色」を吹き上げる車が一番きれいだったが写真には撮れていない。

R0014291sR0014295s神社を出て街路を行く。電線に触れんばかり。







Dsc_1252sDsc_1260s街路を行く。動く車の上でよく立っていられるものだ。


S_19山車上の人たちもとても気分がよさそう!




S_20山車駅前を行く。




S_28 エール交換。




S_26山車を曳く人々。ここでは女性と子供達だった。


S_27各町の代表が集まって、最後の締めくくり。これ以降、山車は分散して、市内各所を周りながらそれぞれの町へ帰る...〝泣き別れ〟


S_22S_23後には、紙吹雪をどっさり残して...




S_24S_25無心に紙吹雪で遊ぶ子供達が印象的でした。




 

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2008年10月14日 (火)

おいらん道中2008...大須大道町人祭

早いものでもう1年経ってしまったのか。大須大道町人祭の目玉でもあるこの行事、例年同じようなものだが、なごやまつりの英傑行列や各種パレードに比べてはるかにインパクトがあるのは何故か?
〝おいらん〟という独特の非日常的な言葉が脳髄を大いに刺激する上に、この行列は大須のアーケードの中を見物客をかきわけるようにして進むからかもしれない。その気になれば触ることもできるし、写真も1m以内で撮ることもできる。
〝おいらん道中〟の説明については、昨年の記事(→こちら参照)に譲るとして、早速、2008年版の写真を。

R0014230sS大須のアーケード街を行く〝おいらん道中〟







Dsc_1024sR0014220s 至近距離から撮影できる。




R0014225sS_2カツラの調整? 






 
S_3行列の終着点はこの「おいらん宿」



〝大須大道町人祭〟の趣旨は全国の名だたる大道芸人を集め、競演させるものだ。参加チームは50近い。大須の街の路上の、あちこちで店開きしている。こちらはあまり写真は撮っていないが、どんな雰囲気か少しばかり紹介しよう。

S_4S_5ちょっとした広場で入れ替わり立ち替わり芸人が登場。このほか、アーケード通でもいろいろパフォーマンスが行われている。右は大須観音境内の会場。


S_6R0014205sちんどん通信社と名乗るグループ。素朴だが、とても楽しい。



S_10Dsc_0888s左は別のちんどん屋。右は似顔絵を描きながらなにやらパフォーマンス。








Dsc_0884sS_9突然、駐車場に高く赤い玉が上がる。練習中のようだ。
右は独楽回しの芸。











S_11S_12S_13ものすごい人だかりの場所があった。背の高い方の私でも皆目何をやっているのか見えない。カメラを両手で高々と差し上げ撮ってみて、金粉ショーだと分かる。終了後はこんな調子で向こうから寄ってくるが、気持ちが悪い!
S_14大須萬松寺境内では、女性達をターゲットにした○○コンテスト。賞金?万円也!


Dsc_1044s最後に口直し。「えど飴細工」というものらしい。
どんな形でもたちどころに作ってくれる。この子は面白くて面白くていつまでも見つめていました。
このような風物屋台もたくさん。

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2008年9月27日 (土)

津屋川の彼岸花を撮りに行く

今年もまた、彼岸花の季節がやってきた。花のあまりないこの時期、写真愛好家には恰好のターゲットとなる。
何処にでも見られる花だけれど、どうせなら名所と言われるようなところへ行ってみよう。そこで選んだのが、岐阜県南濃町津屋川。養老山系の懐から流れる出る川...その源流はかの有名な〝養老の滝〟です。
ここは水郷的な景観の中で彼岸花が見られるのが特徴で、写真雑誌でもよく取り上げられる。私もその素晴らしい写真を見たことがある。
彼岸の中日の前日、9月22日(月)に出かけたが、ほぼ満開だった。年によっては月末にならないと咲き揃わないこともあるようなので、ラッキーだった。今朝(27日)のNHK地方版でも津屋川の紹介をしていて、まだ間に合うようだ。
彼岸花は種子では増えず、離れたところへは人の手で植えられて広がっていくのが基本である。もちろん株分かれでもその周りに増えていくだろう。津屋川のかくも広大な彼岸花の広がりはどのような過程でできていったか不思議に思える。NHKの紹介では自生だと言っていたけれど正しい表現だろうか?
日本では彼岸花は縁起の良くない花だという説もあるが、この美しい花を楽しまない手はないと思う。〝曼珠沙華〟の名の方がイメージとしてはいいですね。

S養老鉄道美濃津屋駅。後ろの山並みが養老山系。




Dsc_0357sS_2津屋川の土手の内外両側に彼岸花が群生している。



Dsc_0250sDsc_0328s沈船がところどころにあり、アクセントになる。








S_3Dsc_0273sSc_0301これは〝やらせ〟です。




S_4カメラマンも絵になりますね。




R0014028sS_5土手の上にはお地蔵さんやちょっとした祠がありました。







Dsc_0362sDsc_0376sシュールな図柄で!
美濃津屋駅付近のスナップです。






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2008年9月21日 (日)

〝祭りの達人〟になれる本!

〝祭りの達人〟という本が最近出た。「日本の祭りガイド、行きたい、見たい、撮りたい400景」というサブタイトルがついている。
何処でどんな祭りが行われているのか、ほとんど知識のない私には打って付けの本だった。祭りのポイントや撮影の手引きも親切に書き込まれている。何よりも、写真が美しいのが気に入った。コンテストの入選作から選んだもののようだ。

日本には一体幾つ祭りがあるのだろうか?この本では約400選んだようだが、私の知っているもので外れているものも結構ある。選定基準について何も書かれていないが、多分、写真撮影の点から価値のあるものを選んだのだろうと察する。

冒頭に、〝一生に一度は行く・撮る価値のある祭り5選〟というのがある。
  ・壬生の花田植(広島県)
  ・五所川原立ちねぶた(青森県)
  ・西浦の田楽(静岡県)
  ・秩父夜祭(埼玉県)
  ・葵祭(京都)
これは、監修者の芳賀日向氏の選で、解説もついているので、興味ある向きはこの本をご覧あれ。

私が一番興味を持ったのは、表紙を飾っている〝諏訪大社の御柱祭〟だ。これは、解説によると、「7年ごとに行われる日本最大の奇祭、10トン近くの重さにもなる16本の樅の神木が、4つの神社の四隅に建てられる。木遣りが唄われる中で神木が引き上げられる〈御建柱〉が最大の見所。次回、平成22年が待たれる」とある。

我が愛知県では、14の祭りが紹介されている。そのなかには、このブログでも取り上げた〝にっぽんど真ん中祭り(名古屋市)〟も載っている。
当県のリストアップの中では10月中旬に行われる〝挙母まつり(豊田市)〟の写真に強く惹かれた。神社からの山車の引き出し時に舞う紙吹雪が素晴らしいという。近くにいながら未だ見たことがなかった。是非行ってみよう。

祭りをうまく撮るのはなかなか難しいことのようだ。風景とも、スナップとも異なる。
祭りの趣旨や進行を充分理解した上で、なおかつ何度も失敗したうえで、ようやく祭りの写真らしくなるのだそうだ。もっとも、写真よりも先ず楽しむべきだと思うのですが。

Photo〝祭りの達人(タツミムック 9/2008)〟








Photo_2〝挙母まつり〟
今年は10月18、19日に行われる。

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2008年9月 6日 (土)

〝にっぽんど真ん中まつり〟を見た

〝にっぽんど真ん中まつり〟が終わって、はや1週間だ。遅くなってしまったが、若干の写真を掲載しておきましょう。
例年、8月最後の週末、名古屋の街はこの祭りに参加する、華やかな、あるいはびっくりするような衣装をまとった人々で溢れる。
今年で10回目だそうだ。しかし、いつの間にこんなに盛大なイベントになったのだろう?
これまであまり関心が無く、積極的に見たことはなかったので、どんなものなのかよく知らなかった。そこで、カメラを持って実地検分に出かけた。

Wikipediaにも載っていた。それによると、
『よさこい祭、YOSAKOIソーラン祭りとともに、日本三大よさこい祭りの一つ。』
『ルール;踊りの曲の中に地元の民謡の一節を取り入れること。 必ず手に鳴子を持って踊ること。 』
『主催;元は個人(学生達)が始めたものだが、次第に規模が大きくなり、街への影響も増大してきたので、2007年4月に財団法人化された』
などとある。
市内の幾つかの広場を会場として、参加チームの踊りが披露され、コンテストが行われる。また、全チームが市内のメインストリートを踊ってパレードする。
新聞報道によると、全国から207チーム2万3千人が参加し、また、第1日目が雨天だったにも関わらず、140万人の観客を動員した。

私の撮ったのはそのほんの一部で、かつ偏っていると思うが、その雰囲気を感じ取ってもらえれば幸いです。

   ☆   ★   ☆   ★

大津通で踊りのパレードを見る。

Dsc_0068s_4S各チームにこのような先導車がつく。大きなスピーカーが積まれていて、踊りの音楽を流す。



Dsc_0013s_2Dsc_0061s_2 




Dsc_0049s_2Dsc_0031s_2 




Dsc_0058s_2Dsc_0033s_3 

 


Dsc_0075s_2Dsc_0024s_2Dsc_0050s_2   





以下は久屋公園会場の様子。なお、メイン会場は久屋大通(有料)。
S_11Dsc_0093s_2Dsc_0084s_2 




S_12S_13 
 



踊っている人たちはみんな、とても楽しそうで、その眼は例外なく輝いていました。

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2008年8月30日 (土)

写真は、現実や事実を決して写せない(?)

「フォト・リテラシー 報道写真と読む倫理(今橋映子著 中公新書)」を読んだ。堅くて難しそうなタイトルだから、横帯に書かれている〝写真は真実か?そして、写真は世界を救うか?〟という刺激的な言葉が無ければ多分手に取らなかっただろう。
予想に反して意外に読みやすく、また、興味深い事実や指摘が多く含まれていた。

以下に、自分が今後写真を見る上で参考になったところを幾つか挙げてみる。

その1;「決定的瞬間」という言説
カルティエ=ブレッソンの写真集「決定的瞬間」の代表的な写真、あの〝水たまりを飛ぶ男(サン=ラザール駅裏)〟は、実はトリミングがなされていた、と言う事実が2007年にカルティエ=ブレッソン財団によって明らかにされた。(この本にはトリミング前の写真も添えられている)
ブレッソンはノー・トリミングで素晴らしい構図を完成させる、と言う神話が崩れた訳だが、財団の発表によれば、トリミングされたのは僅かに2枚だけだということなので、ブレッソンの天才性は少しも揺るがない。
しかし、この事実を知った途端に、我々の報道写真を見るという行為は自覚的なものへと変わらざるをえないと、この本の著者は指摘する...

「決定的瞬間」という言説が、〝写真=ある物事の動きや構図が最絶頂にある真実の伝達〟という誤った思い込みを、現在に至るまでいかに助長してきたか、著者はこの本の最初に指摘しているのですが、ブレッソンのトリミングの問題もこの中で紹介されている。
Photo
アンリ・カルティエ=ブレッソン
サン=ラザール駅裏、パリ、1932年






その2;写真におけるオリエンタリズム

美術の世界には、古くからオリエンタリズムという言葉があるが、それはヨーロッパから見た異文明の物事・風俗(それらは“東洋”としてひとまとめにされた)に対して抱かれた憧れや好奇心などの事を意味している。
そして、オリエンタリズムは異文明を不気味なもの、劣ったものと見る、ヨーロッパ人の優越感や偏見の現れであるという批判もなされてきた。
この本の著者は、写真においても、〝オリエンタリズム=他者を故意に規定する言説〟についてもっと真摯に議論すべきだと、指摘している。
「写真は、自らと異なる文化の現実を伝達する何よりの道具であり、普通私たちはそれを事実と思いこむ。しかし〝悠久の大地インド〟〝野生のサバンナ〟は現実とどれほど地続きなのだろうか?...」「〝悠久の大地インド〟を実は見たいと欲求するのは読者である私たちかもしれない...作り手と受け手の共犯関係が出来ている」という訳である。

なお、共犯関係が出来ているということで言えば、「ヒューマニズムを取り上げた写真」にも言えると、指摘している。

我々が写真を、見たいものしか見ない、ことになりがちな事態についての警鐘である。

その3;写真が写せないもの
この本の最後で取り上げている問題は、写真には写せないものがあるという議論についてである。ここで紹介している事例が強く私の心に残った。
写真家ジョージ・ロジャーが1945年4月20日にナチスドイツのベルゲン=ベルゼン強制収容所のイギリス軍による解放を目撃したときのことである。
「...写真家ジョージ・ロジャーをたじろがせたもの、それが筆舌に尽くしがたい収容所の光景―萎み切って見分けもつかない生者と死者、虱の大群、赤痢患者の垂れ流す排泄物の凄まじい臭気、生きるため食するために同胞にえぐり取られた内臓―だけではなかった。写真家を心底たじろがせたもの、それはこの情景を構図の整った写真に収めようとした、自分自身の無意識の習慣と行為そのものだった。この情景を前にして〝構図〟に何の意味があるのか?」
彼はこの事件がトラウマとなって、それ以後二度と戦争写真を撮らなかった。

写真に写せないものがある以上、写真は歴史を語る証拠として意味があるのかという議論がなされているわけだが、筆者は、「不可能だが不可欠」―写真は歴史認識に対してそのように関わることができる(それは途方もない知的努力を注入すべき考古学になるだろうが)、と結んでいる。

・・・・   ・・・・   ・・・・
ここでは全体像を紹介できなかったが、なかなか立派な本だと思います。読めば必ず得るところがあるでしょう。

Photo_2


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2008年8月24日 (日)

モネの睡蓮を見て...それから睡蓮を撮りに...トンボがいた

名古屋ボストン美術館で開催中の「クロード・モネの世界」展を見た。モネの作品は22点で、見物は「ルーアン大聖堂、正面とアルバヌ塔(朝の効果)」「積藁、日没」「睡蓮」でしょう。
これらはいずれも連作の対象となったもので、特に睡蓮は200点以上描かれた。したがって、いろんなところで見ることが出来るが、このボストン美術館のは1905年制作のものだ。たまたま、私が美術事典代わりにしている「朝日美術鑑賞講座」のモネの項に、ボストン美術館のこの睡蓮が載っていて、馴染みになっていたから、実物に遭うことができてとても嬉しかった。
モネの場合、池は水と言うより空を映す鏡で、とりわけこの作品では深い青紫から淡い青緑色(ターコイズブルー)が素早い筆致で施されているのが特徴、と解説にある。

ところで、暑かった名古屋の夏もようやく終わりに近づいたようだ。7月11日から43日間続いた真夏日が23日の、ちょうど〝処暑〟の日に途切れた。
あまりの暑さにほとんど外出しなかったが、夏の風物を撮るなら今のうちだ。少し涼しくなったから行動せねば!
そう言う訳で、どこかで睡蓮を撮ろうと考えていたところ、たまたま立ち寄った蘭の館の外庭の池に睡蓮が咲いているのを見つけた。株数はそんなに多くないけれど、ビオトーフ風の池に熱帯睡蓮が色鮮やかに花を咲かせていた。
そして、アメンボーやトンボがたくさん見られた。特に繊細で可愛いイトトンボが睡蓮に群がっているのが面白かった。名前は分からぬが中型のつがいのトンボが産卵する姿も見られた。しかし、池に入る訳にもいかず鮮明な写真を撮るのは難しかった。

Dsc_0357sベージュ系




Dsc_0351sDsc_0355sブルー系




Dsc_0356sレッド系




Withdsc_0388sDsc_0386s_2睡蓮withイトトンボ 
尻尾の輝くブルーが素敵



Dsc_0362sDsc_0368s子孫を残すために 

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2008年8月16日 (土)

名古屋栄界隈のある日・あるとき

最近発行された、昭和30,40年代の名古屋の街角を写した写真集(写真家寺西二郎の見た昭和 名古屋市博物館編)を見ていて、とても懐かしく感じた。街の姿はもちろん、そこに住む人々の生活も大きく変わったことが読み取れる。スナップ写真を撮るということは歴史を記録するのに役立つ行為なんですね。
私も街のスナップ写真を撮るのが好きだけれど、「記録」という意識はおよそ無かった。単純に「面白いと感じたもの」を、撮るだけでした。ちょっと大それた気もするが、今後は「今を記録」しようという意思も持つことにしようと思ったことでした。

以下は、最近、栄界隈で撮った写真です。もちろん、興味の赴くままに。

S_6S_7栄・久屋大通の交差点にて 



S 栄・久屋大通の噴水は豪勢に水を噴き上げるので私は大好きだ。いろんな人たちがここに集まる。

S_4S_5マシュマロのような感触の噴水に惹かれて思わず手を伸ばす...
噴水の脇で、子供が元気に鳩を追い回す...


S_8S_9夕方、観覧車に乗ってみようと行ってみたら、行列が出来ていたのでやめる。乗るより、見るモノかもしれない?
右は三越の隣のラシック。3周年記念にこんなものが置いてあった。



S_10テレビ塔下では、ジャズ演奏が行われていた。ピアノトリオ+2サックス。結構上手だった。



Photo_3オアシス21では、いつも何かしらイベントが行われているが、何もない時の青に染まった空間も素敵だ。



Photo_4S_11ある日の舞台の表裏。




S_12S_13また別の日は...




S_17S_18ナディアパーク南の公園(矢場公園)は、久屋大通とはまた違った雰囲気。






S_16 大須の「快可立(クィックリー)」 
台湾のドリンクスタンド ・チェーン店。黒タピオカを使ったトロピカル・ジュースやティーがお手軽に飲める・・・あるサイトの情報です。

Photo_7微笑ましい光景ですね

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2008年7月 4日 (金)

自分の撮影スタイルについて考えてみよう...「チョートクのデジカメ指南」を読んで

田中長徳著「カメラは知的な遊びなのだ。(アスキー新書)」を読んだ。
語りおろしの形で書かれていてとても読みやすく、一気に読んでしまった。そして何かホッとした気分になった。

「きれいに写る」「ちゃんと写る」というのは、カメラメーカーがしっかりやってくれているし、カメラ・ユーザーの方も、「いい写真」を撮ろうと撮影技術の研鑽に励んでいる結果、世の中には、整形美人のような写真が溢れるようになってしまった。しかし、それでは退屈で詰まらない。個性が欲しい。自分の写真、自分にとって価値のある写真を撮って欲しい。汚くても、ピントがボケていてもいい...そういう感じのことを、チョートクさんは言う。

また、「カメラ指南12箇条」を示して、我々アマチュア・カメラマンを指導してくれる。この中にはとてもユニークな条項もある。
例えば、〝ファインダーを見るな〟。もちろん、ホントに見るなということではなく、構図やアングル、周辺のことにこだわって、肝心のシャッターチャンスを逃すな、ということです。構図を考えすぎると、写真の醍醐味である偶然性を排除することになるになる、というわけです。
〝容量の少ないメモリーカードを使うべし〟〝RAWモードは使うべからず〟という、ドキッとするのもあります。

12箇条の最初は〝常にカメラとあるべし〟で、私もこれがもっとも大切だろうと思う。せっかく歴史的瞬間に居合わせたとしてもカメラがなければどうにもならないのだから。しかし、「重い、でかい」デジイチ(=デジタル1眼レフ)では、オジンには辛かろうから、コンパクトデジカメでもいいのではないか、と示唆している。
そして、〝それぞれのカメラスタイルをつくろう〟では、「コンパクト・デジカメ」と「銀塩クラシックカメラ」の2台を常時携帯することを提案している。

チョートクさんはこれを「右手にライカ、ポケットにデジカメ」と表現している。
偉大なる写真家チョートクさん自身が、日常的にはこんなスタイルで写真を撮っているようなのであり、なかなか説得力がある。
銀塩クラシックカメラを持つ理由は、〝カメラで遊べる、持っていること自体が楽しい、デジカメに比べて失敗が多いからそのリスクを楽しむことが出来る〟ことだという。
なお、チョートクさんはコンパクトデジカメの方はリコーのGRデジタルを使っているようだ。

さて、私自身はどうするか?「銀塩クラシックカメラ」に魅力を感じるけれど、買ってみる勇気はまだ湧いてこない。
いずれにしてもデジイチにこだわらず、コンパクトデジカメをもっと活用しても良さそうだ、と思いました。
先日、写真教室で作品展のため、各個人の年間ベストを先生に選んでもらったのですが、当選したのはコンパクトデジカメで撮ったものでした(その撮影現場ではたまたまそれしか持ち合わせていなかったのです)。デジイチで一生懸命撮ったものが選ばれず、どうでもいいやと気軽に撮ったのが選ばれてしまい、内心忸怩たる思いもありましたが、偉大なるチョートクさんの撮影スタイルを知るにつけ、コンパクトデジカメの作品だからといって卑下することは全くないと悟ったのでした。

以下、最近、名古屋の下町で撮った下手なスナップを...
Photo
円頓寺アーケードにて その1


R0013732
円噸寺アーケードにて その2 「開店です!」


Photo_2
円噸寺アーケードにて その3 「お肉屋さんを覗いたら」


R0013749
四間道の風景 その1
この辺りは名古屋でも数少ない戦災を受けなかった地域で、古い土蔵や長屋がたくさん残っている。

Photo_3
四間道の風景 その2 「くちなし」


R0013746_2
四間道の風景 その3
人通りがほとんど無く寂しかった。


R0013710Photo_5四間道の風景 その4 「江戸うさぎ」という名の店がありました。看板には「江戸着物、芸処、貸座敷」とある。



Dsc_0029Dsc_0073鶴舞公園の蓮池。7月2日現在、まだ数輪しか咲いていませんでした。



0013786Photo_2この2枚は大須にて。
寄せ太鼓の実演。大相撲名古屋場所が間近に迫ってきたことを知る。 
このワンちゃんは大人気。得意げだ。

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2008年6月 9日 (月)

鶴舞公園の花菖蒲コレクション

日曜に鶴舞公園の花菖蒲の様子を見に行った。
満開と言う言葉が適切かどうか分からないが、菖蒲池全体が花で覆われ、その賑々しいこと!まさに見頃だった。前日に雨が降っていることもあって、すごく瑞々しかった。
そう広くもない、いや狭いくらいの池だが、これだけ一斉に花を咲かせると、逆にこれくらいの方が観賞用には良いのでは、と思った。
毎年見に来ているはずなのに、今年はとりわけ綺麗に思ったのは、気のせいか?
子細に見ると、随分いろいろの品種が植わっているようだ。主なものを写真に撮ったので、掲載しておきましょう。
見に行くなら早めの方がいいですよ。

イタリア旅行の報告もしなければならないけれど、旬の情報は早く伝えねばね!

Dsc_0005s 紫は基本色




Dsc_0037s 優雅!




Dsc_0038s開放(F2.8)で撮っているので、水滴の丸いボケが浮き出て面白い。花そのものはピントが少し甘いようだ。



Dsc_0042s素敵な色彩。感心しました




Dsc_0043s黄色はまだ花弁の大きなものが開発されていないようですね。これはその中でも豊か。



Dsc_0044s得も言われぬ、たおやかな美しさ! 




Dsc_0049s 原始的な形、シャガを思わせる。キリキリシャンとしたところがいい。




R0013668菖蒲園全体の様子。比較的人が少なかった。




以上は、私の好みで選んだものです。外にもいろいろあります。

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2008年5月11日 (日)

鶴舞公園は花がいっぱい...バラ、カキツバタ、ナンジャモンジャ、ポピー・・・

鶴舞公園のバラ園が満開だと聞き、写真を撮りに行った。
花の写真は苦手だ。どうやって撮ろうか?写真教室の先生は、「単に花だけじゃだめだよ、何か工夫せよ」、と言う。背景や前景に人間を入れるぐらいが関の山。それだってなかなか絵にならない。
SS_2S_13 先ずは、赤、黄、白。


   

S_5S_4次はピンク系。




S_6遠足の子供達がバラ園を通過。




S_7ワンちゃんもバラ鑑賞?







バラはすぐに飽きたので公園を一回りする。カキツバタ!?の咲いている池があった。「いずれがアヤメか、カキツバタ」...
一方、菖蒲池の方はまったく咲いていなかった。こちらは6月に入ってからだろう。
0067sS_8
やはり花だけでは詰まらない 。人物、特に女性が入るとこんなにも違う。






この池のほとりに白い花をいっぱい付けた大きな木があった。ナンジャモンジャ?一瞬そう思って、写真を撮った。正式名は「ヒトツバタゴ」だ。
S_9S_10 
実は、ナンジャモンジャをこんなに間近で見るのは初めてでした。






公園内の緑化センターの前の花壇には美しいポピーがありました。最近、道路端にもたくさん咲いているのを見かけますが、ここのは特段に輝いて見えました。
S_11




最後に、我が家の庭にひっそりと咲く「ミヤコワスレ」。亡き母が植えたものだ。
S_12
承久の乱に敗れて佐渡へ流された順徳帝が、この美しい紫を見て、京の都を懐かしみつつ、傷心を癒したと言う。(クリックして拡大してみると綺麗ですよ)

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2008年4月 6日 (日)

鯉のぼりの一斉遊泳を見に行く

これも数日前の朝日新聞に紹介されていたものです。
岐阜県垂井町では、毎年3月末から5月初めまで、街の中心を流れる相川の上に、全国から集めた古い鯉のぼり約350匹を、張り巡らしたロープでつるします。
川幅100m、長さ400mにわたって鯉のぼりが、伊吹おろしの強い風を受けて、一斉に元気よく泳ぐ様は圧巻であると言う。

以前は、こういう俗っぽいモノは苦手で近寄らないことにしていたのだけれど、写真の題材には打って付けではある。この週末には相川の両岸の桜並木も満開になり大勢のアマチュア・カメラマンが集まってくるだろうと、新聞にはある。そこでその前の金曜日に行ってみた。

桜を撮るには風がない方がよいかもしれないが、鯉のぼりのためには風がうんと吹いていて欲しい。
当日はおだやかな好天で、果たして当地の風はどうだろうかと心配しつつ、JRに乗った。列車は垂井町駅の手前でこの相川を渡るが、ゆるやかにカーブを描く川の上流を見渡すと小さく鯉のぼりの群れが泳いでいるのを見付け、嬉しくなった。
ここは、滋賀県との境にある伊吹山の麓で元来風が強いところなのだろう。

このイベントは1988年から行われているようだが、趣旨とか経緯については私はよく分からない。しかし、アイデアは面白いし、その希有壮大さで訪れた人々を間違いなく驚かせるだろう。(垂井町のホームページによれば「さくら祭り」の一環として行われているようだ)

それにしても、川の上にどうやって吊しているのか、川の中央で垂れ下がる等と言うことは全くない。支柱は?
このあたりを調査してくるべきだったが、鯉のぼりとこれを楽しむ人々に目を奪われ漫然と時間を過ごしてしまった。もっとも仕掛けを余り穿鑿するのは、詰まらなくするだけのことだから、これでよかったか?

0109垂井駅から数百m歩くと相川に出る。そして最初に眼に入る風景。
ここは岐阜県の西の果て。遠くの雪のある山が伊吹山。その向こうは滋賀県だ。

0129s こんなに元気よく泳いでいた。



0134Photo 鯉の空中一斉遊泳を楽しむ人々。
堤の桜もほぼ満開。
右の写真;どういうわけかこいつだけハチャメチャな動きをするので、子供が面白がっている。



12087R0012096




S配列の妙!
子供達の楽しげな様子を見ていると気分が和む。

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2008年4月 3日 (木)

山崎川の桜...桜の名所百選のひとつだというが

「日本の桜の名所百選」の一つ、〝山崎川四季の道〟へ行ってきた。
この百選というのはどの程度の信憑性があるのだろうか?...リスト(→こちら)を見てみてなるほどと思う面と、こんな所が?とか、あれはどうして入っていないのだ?等と疑問が湧く面もある。
日本には桜の素晴らしい所は星の数ほどあって、評価の仕方も人によって違うだろうから、順番など付けられないと私は思うのですが。
しかし、こんなに手近に百選に入る所があるなら行っておかねばなるまい、というわけで見頃の終盤を迎えている昨日、行ってみた。折しも、今朝の朝日新聞の一面(当地方版のみでしょう)に、ライトアップされた山崎川の夜桜の写真が紹介されていた。

確かに一本一本の桜の木のボリュームもあるし、数も多いので、凄みはありました。それから、街の真ん中を流れる川だから、堀川のように水は汚いかとおもっていたが、意外と澄んでいて底まで見える状態だった。しかも、コイがたくさん放流されていて群遊しているし、カモなども居る。環境面の配慮が行き届いているようだった。

講釈はさておいて、若干の写真を掲示しておきましょう。これは4月2日の状態です。
ほんの少し、ちらちら花びらが舞っていたから、見頃としてはラストチャンスだったかもしれない。

0091 山崎川桜ポイントの中心、〝かなえ小橋〟は花見客でごった返していた。



R0012048これも〝かなえ小橋〟
このあたりの桜は堤下まで枝を伸ばしていて素晴らしい。



0063 河川敷は人工的なのは仕方がないが、それでも人が歩けるように配慮されているのはよい。



Photo_5Photo_2 ところどころ、大きなステージ状の階段が造られている。




Photo_3鯉がたくさんいるのだが、黒ばかり。紅一点はとても目立つ。




Photo_6将来は体操の選手!
こどもたちのために遊園地もあり、大賑わい。

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2008年3月30日 (日)

贅沢な花見...カワセミと対面

金・土と、二日続けて庄内緑地公園(名古屋市)に桜を撮りに行った。金曜日は写真教室として行ったのだが、風が強く、青空もあまりなく、よい写真が撮れなかった。土曜日(昨日)、朝起きると澄み切った青空。再チャレンジしてみようと思い立った。

同じ場所でも1日でこんなにも変わってしまうのかと驚くほどだった。土曜日だったから家族連れの花見客が多く来ていて、前日とは比較にならぬほど賑やかで華やいだ雰囲気なのです。温かい日射しを受けて気分良く、桜とそれを楽しむ人々のスナップをたくさん撮った。

そして予期せぬ授かりものがあった。
ここには、カワセミが来る池があることは以前から知っていたが、忍の一字でたっぷり待たねばならぬのだろうと思いこんでいたから、いつも素通りしていた。
この日は、ゆったりした気分だったので、何回かその池へ立ち寄った。
いつになくカメラマンが多かった。20人以上だろう。いずれも500mm以上の超望遠をがっしりした三脚に据え付けた、重装備のカワセミ・マニアだ。
三度目に立ち寄った時、何となく緊張感が漂っているので、その内の一人に聞くと、「今来ている、茂みの中にいる」と言う。あの鮮やかな青色を頭に描いて一生懸命探すが、なかなか見つからない。保護色になっているのかも知れない。
池には何カ所か、カワセミのダイビングのための留まり木が用意されている。10分ほど待ったが、姿を見せない。しびれを切らして、数分、反対側の池で子供が釣りしているのを眺めやっていたら、急にあたりが水を打ったように静かになったのに気がつき、振り向くと目の前の10数m先の留まり木にカワセミが来ているではないか。
実に綺麗な色だ。それに形が良い。
まさか、写真に撮れると思っていなかったので、心の準備も出来てなく、とにかく夢中で7~8枚撮った。2~3分後、突然ダイビング。あっという間もなかった。隣の人は連写機能を働かせて、カメラを素早く振ったが、うまく撮れたか?
カワセミの方は水中から直接岸の方に飛んだ。その鋭角の飛跡の残像がいまでもまぶたに焼き付いている。その時はよく確認が出来なかったが、後で写真を見るとちゃんと魚をくわえているではないか!(カワセミの辞書には失敗という言葉は無い?)

「だいぶ痩せたな」「頭の汚れがひどい」「これから抱卵だ」「・・・・・」
いろいろな声が飛び交う。みんなカワセミに愛情があるんだなあ。

ここのケースに見るように、近年、カワセミが人里で暮らすことが多くなっていると聞く。とにかく、これだけ大勢の人が見守っている中で、華麗なダイビングを披露してくれるのだから、人を恐れぬというか、信頼しているのでしょう。
その信頼を裏切らぬように大切にしたいものです。 

Photoカワセミが来る池とマニア達。




Photo_2この状態で2分ほど静かに時間が流れる。
300mmでこれが精一杯。



Photo_6池の真ん中の一番見やすい所へ来た。


0677比較的鮮明に写っているのを拡大表示。




Photo_4ダイビング後、別の留まり木へ。
(ぼけているので見にくいが魚をくわえている)



Photo_5
花見を楽しむ人々



PhotoPhoto_2

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2008年2月 6日 (水)

Caplio GX100(リコー)を使ってみて...特にマイ・セッティング機能について

RICOHのCaplio GX100が、雑誌「日本カメラ」の2007年のコンパクトカメラ部門の年間賞に選ばれていた。これを買ったものとしては、まことに喜ばしいことだ。
Caplio


このカメラのレンズは、24~72mm/F2.5~4.4というもので、一般のコンパクトカメラより広角に偏っていて、街歩きのスナップ撮影にとても使いやすくできていると思う。
先頃、南イタリアへ旅行した時には、NIKONの補助用として、19mmのコンバージョンレンズを装着したCaplio GX100を持参したが、記録用としても大変重宝した。

とにかくユニークなカメラで、ほかにもいろいろな特徴がある。
例えば、世界初と銘打っているが、着脱式の視野率100%の〝液晶ビューファインダ〟ー。これは、一眼レフと同じようにファインダーを覗くスタイルで撮影できるものだ。しかも、チルト式で角度を変えれるから、特にローアングル撮影がとてもやりやすい。

さらに、〝ステップ・ズーム〟。これはオンにしておくと、24mm、28mm、35mm、50mm、72mmと段階的に固定できるものだ。例えば28mmに固定しておくと、電源を入れると自動的にズームが28mmに移動する。そしてズームレバーを操作すれば上記の次の段階にポンと移動する。これは単焦点カメラとして使用したい場合を想定しているらしい。

まだまだ、あるのだが、私が最も感心したのは〝マイ・セッティング〟という機能である。これについて、以下に少しく触れてみよう。

《マイ・セッティング》
こんな機能を持ったカメラは他にあるのだろうか。撮影モードダイアルでは、一眼レフと同じようにAUTO、P(プログラムAE)、A(絞り優先)、M(マニュアル)の切替ができるが、さらに〝MY1〟、〝MY2〟という自分仕様のモードにも切り替えれるようになっているのだ。
これがマイ・セッティングと言う奴で、カメラの撮影設定について20数項目にわたり、あらかじめ登録できるものだ。(下表参照)
Photo
マイ・セッティングに登録できる設定項目一覧


手っ取り早く話を進めよう。私が現在、登録しているものは次の通り。(主な項目のみ)
               MY1          MY2
撮影モード      A(絞り優先)   P(プログラムAE)
画質          F3648(10M)   F3648(10M) 
フォーカス      スポットAF      スナップ 
測光方式       中央重点      マルチ
露出補正       -0.3EV     -0.3EV
ステップズーム    オフ、通常          オン(28mmに固定)
ISO感度          AUTO400                  AUTO400
ホワイトバランス        オート        オート  

『MY1』は、NIKONの通常使っている設定に合わせたものです。じっくりと構えて撮る場合です。ISO感度は100、200...と言うように設定できるが、AUTO400に設定。これは被写体の明るさに応じて、感度を自動的にISO400まで拡大して最適露出を決めるものです。この上限値も自分で決めることができます。
『MY2』は、とっさのスナップ撮影用だ。フォーカスが〝スナップ〟となっているが、これはピントをあらかじめ2.5mに固定するものです。ズームも広角サイドに固定してあるので、そのパンフォーカスという性質によって、どんな被写体でもピントはほぼ合ってしまうのです。

ダイアルの1操作だけで複雑な設定がポンと切り替わってしまうのだから、とても重宝です。しかし、どういう設定にしておいたらいいのか?いまだに試行錯誤中...例えば夜間撮影用というのを設定しておくことも有意義かな?と思ったり。

S
Caplio GX100で撮った街角スナップ







S_2Caplioのマクロ機能で近接撮影したもの。最短1cmまで近づける。これは24mmの広角で撮ったが、望遠サイドでも可能。
近くの植物園の水仙。

S_3さすが植物園。モクレンが美しい紫の花を咲かせていました(温室内)。

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2007年11月12日 (月)

京都西陣を歩く (その3 千本釈迦堂ほか)

西陣を西に進み千本通りを突っ切って狭い道を行くと「千本釈迦堂」がある。もう北野天満宮は目と鼻の先だ。また、すぐ南には京都最古の花街「上七軒」もある。

千本釈迦堂は正式には大報恩寺といい、鎌倉時代初期の1227年に、求法義空上人により釈迦念仏の道場として創建されたが、応仁の乱にも焼けることなく、創建当時のものがそのまま残っている。洛中最古の建物ということで国宝になっている。
それもさりながら、この寺を有名にしているのは、“おかめの物語”である。
境内には「おかめ塚」があり、傍らに立つ木札の説明が面白かったので、以下に書き写します。

おかめ塚由来
鎌倉時代の初め西洞院一條上るのあたりで長井飛騨の守高次という洛中洛外に名の聞こえた棟梁とその妻阿亀が住んでいました。
その頃、義空上人(藤原秀衡の孫)が千本釈迦堂の本堂を建立することになり、高次が総棟梁に選ばれ、造営工事は着々と進んでいきましたが、高次ほどの名人も"千慮の一失"というべきか、信徒寄進の四天柱の一本をあやまって短く切り落としてしまったのです。
心憂の毎日を過ごしている夫の姿を見た妻の阿亀は古い記録を思い出し、「いっそ、斗枡をほどこせば」という一言。この着想が結果として成功をおさめ、見事な大堂の骨組みができあがったのです。
安貞元年十二月二十六日厳粛な上棟式が行われたが、この日を待たずして阿亀は自刃して果てたのです。女の提言により棟梁としての大任が果たし得たということが漏れ聞こえては・・・「この身はいっそ夫の名声に捧げましょう」と決意したのです。
高次は上棟の日、亡き妻の面を御幣につけて飾り、冥福と大堂の無事完成を祈ったといわれる。
この阿亀の話を伝え聞いた人々は貞淑で才知にたけた阿亀の最後に同情の涙を流して菩提を弔うため、境内に宝筐院塔を建立し、誰言うと無く「おかめ塚」と呼ぶようになった。
(「斗枡をほどこす」というのは、柱を短くなったものに切り揃えて桝組(ますぐみ)を入れて高さを合わすということ)

そして、おかめの徳は"災いを転じて福となす"という招福信仰となったというのです。おかめ=お多福...この話が原点と思えばいいのでしょうか?

本堂が国宝だというから拝観することにした。そこで思いがけず、素晴らしいおかめ人形のコレクションに出遭った。

PhotoPhoto_2 
千本釈迦堂。
右は、本堂から千体地蔵塔を見る。


Photo_3
おかめ塚はなかなか立派。土台石には「阿亀多福像」と銘打たれている。両脇の御幣の形の飾りは、おかめ物語の象徴でもあろう。


Photo_4
本堂内のおかめ人形の展示。ひとつひとつがとても個性豊かで、驚くほど美しく、かつ思わず吹き出したくなるほどコケティッシュ。


Photo_5Photo_6
写真がうまく撮れたものを幾つか掲載しておきましょう。



Photo_7Photo_8




Photo_9Photo_10




Photo_11Photo_12





以下は、西陣、上七軒界隈の狭い路地を歩きながら撮ったものです。
上七軒は、北野天満宮再建の際に、その門前に7軒の茶店を作ったのが始まりで、その後、西陣との結びつきで花街として繁栄したという。
Photo
西陣の路地。古い風情のある町屋建築のある界隈。



Photo_2Photo_3
北野天満宮へと続く上七軒の町並み。郵便局も全く違和感がない。


Photo_4Photo_6
「上七軒歌舞練場」への入り口。芸妓たちが舞踊のワザを磨くところのようだ。





Photo_7Photo_8Photo_11 
屋根の上が面白い!


Photo_9    
今回の終着地点、北野天満宮には大勢の学生が訪れていた。賑やかに、おみくじを見せ合う女学生が微笑ましかった。

   

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2007年11月 9日 (金)

京都西陣を歩く (その2 釘抜き地蔵ほか)

西陣地区の西寄りに、石像寺またの名「釘抜き地蔵」というのがある。
地蔵堂に安置されている石造地蔵菩薩像は弘法大師の作と伝えられ、元は諸々の苦しみを抜き取るという信仰から「苦抜地蔵(くぬぎじぞう)」と呼ばれていたが、それがなまって「釘抜地蔵(くぬぎじぞう)」となった。
一説には手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた恨みの釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれるようになったとも伝えられる...案内の木札にはこのように書かれていました。

お地蔵様を安置する小振りの本堂の外壁には、“八寸釘2本と釘抜きを取り付けた絵馬”がぎっしりと隙間無く張り巡らされていて、見る者を圧倒する。
言い伝えにちなみ、お地蔵様にお参りをした後に、御利益があったときだけ、この絵馬の奉納が許されるのだという。
そう聞いて、こんなに大勢の人が幸せになったのか、と感心しきり。わたしもとりあえず不老長寿を祈念...ちょっと待てよ...これが成就したことを確認しようと思うと...?
Photo_13 Photo
釘抜地蔵の参道から正門へ。



Photo_3Photo_2本堂の前にシンボルの大きな釘抜きが置かれている。






Photo_4Photo_5 
本堂の周囲の壁には、願成就御礼の絵馬がぎっしりと掲示されている。





以下は、順不同でスナップ的写真を...

Photo_6Photo_8左は妙顕寺の境内に密やかに咲いていた秀明菊の寄せ植え。 
右は芙蓉のある寺。






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本法寺の山門から覗くと、若いお坊さんが携帯電話しながら出てきた。


Photo_9Photo_10左は石材店だが、なんだか魅惑的。 
右は「たんきり飴」の店。



Photo_12むむむ...







続く ...

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2007年11月 7日 (水)

京都西陣を歩く (その1 白峯神宮ほか)

急に京都へ行きたくなった。さて、どこへ行こうか?
地図をしばし眺めて、そう言えば西陣はまだ行ったことがない、と、深く考えずに決めた。京都ならどこでもよかった、ということでもある。
朝10時から午後3時までかかって、地下鉄今出川から北野天満宮まで、あちこち寄り道しながら歩いた。スナップ写真を、と思ったが、ウィークデーのせいか人通りも少なく、成果はかんばしくなかった。しかし、行っただけのことはあり、楽しめるスポットが幾つかあった。特に、白峯神宮、釘抜き地蔵、千本釈迦堂が面白かった。
以下、写真で見てみましょう。

まず、白峯神宮。ここにはサッカーの守護神が在す、ということでフィーバーした。どういういきさつでそうなったのか?
白峯神宮そのものは、保元の乱で讃岐に配流されてその地で歿した崇徳天皇を祀ったものであるが(後に淳仁天皇を合祀)、当神宮の社地は、蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地であり、地主社に蹴鞠の守護神である精大明神が祀られているのだそうだ。
境内には「蹴鞠の碑」もある。石の鞠が埋め込まれていて、これを回すと球技が上達する!また、500円で「闘魂守(球技全般に効果あり !?)」を求めることが出来る。
Photo_2
白峯神宮の境内。



Photo_7
蹴鞠の碑
「蹴鞠保存会」が建てたもののよう。


Photo_8Photo_10Photo_11   
私もバレーボールをやっていたから、気持ちがよく分かる!


Photo_5Photo_6 
有名人も。
高原、ラモス...



Photo_12西陣の地図。
今出川(御所近く)から北野天満宮まで、この地図に出ている赤い観光スポットはほとんど回った。


白峯神社の次に行ったのが人形の寺、宝鏡寺。詳細は省略するが、境内の傍らに和傘が天日干し中で、とても美しく思えたので写真を撮った。
Photo_13Photo_14
境内にある人形塚。







Photo_15S 
和傘天日干し中につき触れないように、との注意書きあり。




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宝鏡寺の門前にある和傘の工房。






続く...

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2007年10月22日 (月)

「おいらん道中」再現!...大須大道町人祭

私は名古屋近郊に住みながら、名古屋の行事にはかなり疎い。近すぎて関心が湧かなかったのが原因のひとつでしょう。
「大須大道町人祭」が今年、30回を迎えるというのにまだ一度も見ていなかった。この20、21日がそのメインの日だということを骨董市へ行った時に知った。これも何かの因縁と思い、ほかに用事もあったが少しだけ覗いてみることにした。

この祭りは一口で言えば大道芸の祭りである。今年は、二日間で50組250人もの大道芸人が全国から参加したとのこと。
「舞台の上ではなく、大須の町中の路上に芸能を散りばめ、あちこちで笑いの渦を起こし、時には見てはならぬものを見てしまったあやしげの想いを抱かせる芸人達のワザ...まさに芸人と庶民が一体となって創りあげる祭り...(ガイドブックより)」

この祭りのもう一つの呼び物は「おいらん道中」です。一般公募で選ばれた女性達が艶やかな花魁のふん装で登場し、傘持ちやお供の男衆、禿(かむろ)、新造を引き連れて街中を練り歩くのです。
花魁とは江戸時代の吉原遊郭の中の位の高い遊女のことで、客に呼び出されて遊女小屋から茶屋まで着飾って高下駄を履いてシャナリシャナリと歩いていく...何とも言えぬ優艶さを漂わせて...これが花魁道中ですね。
大須は元は寺町で、寺参りの人たちのために芝居小屋などが出来てある程度賑わっていたが、明治になって大須観音の裏に遊郭が出来たのを契機に一大繁華街になり、大正時代に遊郭が移転するまでその大賑わいは続いたとのこと。
この往事の賑わいを取り戻そうと願って、「おいらん道中」を祭りの出し物にした、とガイドブックに書かれている。

私は20日(土)のお昼過ぎ、オープニング後間もない頃に行ったのだが、もう凄い人波だった。東西に長く延びる二本のアーケード通り(万松寺通、仁王門通)の50m間隔ぐらいで大道芸人達が店開きしていて、その周りにはぎっしりと人の輪。見るだけならいいが、写真を撮るのは容易でない。各ポイントは時間刻みで芸人が変わるので、入れ替わりの休憩時間に場所取りすればよいのだが、私には時間が無い。おいらん道中の行列も見なければならないし。
そういうわけで写真は僅かしかないが、一応掲載しておくことにしましょう。

Photo_4
少女達は踊る。若さに圧倒される。
このほかにもストリートダンスなどもあったようだが?

PhotoPhoto_2
「東京マッド」の体当たりパフォーマンス。






Photo_7Photo_8 
男女ペアジャグラーの「プーリィ・ウーリィ・カンパニー」と、チャップリンの即興パントマイム「チャック」
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「ちんどん通信社」は音が魅力。


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「アルカマラーニ」のベリーダンス。カメラを高く差し上げて盲滅法シャッターを切った。


Photo_16Photo_17
このカウ・ボーイはなんだろう。通行人に紛れていたが?
七味唐辛子売りは口上が面白い。がまの油売りもいるはずだが、見られなかった。




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「火付盗賊」のファイア・ダンス。


Photo_31Photo_32Photo_33   
このまつりは、文句なしに子供達にも楽しめる。





以下は「おいらん道中」
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これが花魁(おいらん)。お供の男衆に手を預けている。


Photo_21Photo_22   

禿(かむろ=遊女見習い中)





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このとおり通路は人でいっぱい。
おいらん宿と書かれたところが行列の拠点。

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2007年10月20日 (土)

大須観音骨董市で遊ぶ

名古屋の大須観音では毎月18日と28日に骨董市が立つ。そのことに意識もなく、ふらりと大須に寄ったら、門前からいろいろな店が並んでお祭りのような雰囲気。境内に入ってやっと骨董市だと気がついた。
午前中だったがもうたくさんの人たちが、掘り出し物を求めて真剣なまなざしで品定めをしている。私はちょうどいいからスナップ写真を撮ろうと人並みの中へ...しかし、面白いモノがいっぱいあるので、引き込まれて写真どころでなかった。

ところで、「骨董」とは何か?意外と定義が難しいようだ。
語源としては、平凡社の百科によれば、『明代の文人董其昌の《骨董十三説》に,骨董と呼ぶべきものとして金,玉,書画墨跡,石印,鐫刻(せんこく),窯器,漆器,琴,剣,鏡,硯(すずり)などがあげられており,日本で用いられてきた骨董の語もおおよそこの意味に沿いながら,日本的に変容されたものというべきであろう』と、ある。
日本では古来、美術品といえば茶道具であり、骨董といえば古器類を指していたようだ。その後いろいろな道具類も含められるようになった。
しかし明治以降、西洋美術が入ってきて以来、骨董の位置づけがおかしくなってきたのだ。西洋では絵画が一番上で彫刻、版画、工芸と順位が下がるのだ。
「書画骨董」という言葉も使われるようになったが、この場合、書画=美術、骨董=非美術ないし亜美術という感覚なのだ。日本の伝統から言えばこれはおかしいのではないか、と平凡社の百科は指摘している。

ちょっとくどくなったが、大須の骨董市に並べられているものを見ると、骨董という言葉の揺れが改めて確認できました。
一点36万円の歴史のありそうな「ひょっとこのお面」から、200~300円のちょっと古くなっただけの玩具までが並んでいるのです。
講釈はこれくらいにして、どんなものがあるか、写真でとくとご覧あれ!

Photo
大須観音本殿から骨董市が行われている境内を見る。



Photo_2
これは逸品だと思う。



Photo_3
この九谷買おうよ!



Photo_4
アクセサリーになりそうな小物を探す女性達。



Photo_5
男の見るものは。



Photo_6Photo_7 
懐かしいラジオ。我が家にもあったなあ。真空管がちゃんと着いていた。
このロボットのレトロな味は堪らない!

Photo_8Photo_9左は昔の道具類。何に使うのかよく分からないものも。
右は何か由緒のあるブロック。この人達が購入したようだ。





Photo_10Photo_2雑貨のオンパレード。
こんなミニ人形も古くなれば価値が出る。






Photo_11Photo_12熱心に古銭をチェックしている人。
誰も見向きもしない鎧武者人形。



Photo
店番はおねむです。



6チベットの秘蔵の小物。ガラス箱の中は高額品ばかり。最高60万円也。100万円以上のものは店にありますとのこと。



Photo_3私が一番欲しかったものは、この中央の「ひょっとこのお面 」 。お値段は36万円でした。



Photo_4Photo_5Photo_6カメラのブースも幾つかある。二眼レフには久しぶりにお目にかかった。独特の形がいい。

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2007年10月15日 (月)

名古屋まつりのパレードを撮る

名古屋まつりのパレードは13、14日の二日間にわたって行われた。13日の見物人は36万人とのこと。私が出かけた14日はどうだったろうか。
私としては10年ぶりぐらいだ。どんなものか予想が付くこともあって、最近は足が遠のいていたのだが、今回は写真を撮るという目的があったのです。

名古屋の人には説明不要だが、ブログは全国区だから少しばかり内容を記しておこう。
「まつり行列」は例えば、名古屋の中心、栄交差点では11:30頃から14:30ぐらいの約3時間の間に、ほとんど切れ目無く数多くの行列が続く。大きくは6種類で、①山車揃え、②神楽揃え、③子供会みこしパレード、④姉妹友好都市親善パレード、⑤フラワーカーパレード、⑥郷土英傑行列である。実際にはそれぞれにブラスバンド、鼓笛隊、踊り衆などが付随していたりするので、とても長大なものとなるのです。

最大の呼び物は「郷土英傑行列」。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康がそれぞれ鎧武者や足軽隊など、総勢700人を従えて練り歩く。栄地点などでは、戦闘場面を再現したアクションを演じてくれたりする。
戦闘場面では白煙筒による煙が充満した緊迫した雰囲気の中で、鉄砲隊の一斉射撃や殺陣が繰り広げられる。戦闘員のアクションがとてもキビキビしていると思ったら、陸上自衛隊員が200人も参加していると、紹介があった。

「山車揃え」も大いに注目に値します。通常はそれぞれの祭事に使われものが、この際、一挙に見られるわけだから。参加するのは9台。このうち3台は1600年代、5台は1800年代に制作され、長い時を越えて受け継がれてきたものだ。

この二つは是非見たかったので、結局、最初から最後まで付き合うこととなった。
以下、写真を見てください。(姉妹友好都市親善パレードは昼食で見逃した)

Photo06410646 左から、紅葉狩車(1818~30)、鹿子神車(1674)、神皇車(1824)。



Photo_3

Photo_2

Photo 山車は栄に集結。順次からくりの演技を披露した。



Photo_4

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見物客の様子。赤ちゃんには退屈だろうね。






Photo_6
ブラスバンドのチューバに注目。バンドメンバーの写像が見える。

Photo_7Photo_8子供の鼓笛隊もある。 





Photo_9Photo_10 
フラワーカーパレード。麗しいミスがほほえむ。



Photo_11Photo_12Photo_13

三英傑。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。


Photo_14Photo_15Photo_16

それぞれに奥方や、お犬様が付き添う。


Photo_17Photo_18Photo_19   
鉄砲隊。対峙して打ち合ってみせる。


 
Photo_20Photo_22Photo_23   
戦闘シーンおよび殺陣。アクションもかっこよく決まっている。


Photo_240784 
英傑行列の合間に現れた沖縄の踊りグループはとても魅力的だった。


Photo_25Photo_26 
あちこちの会場でいろんなイベントが行われていたが、行列が終わった後に久屋大通の会場を通りかかると、ゴスペルグループが出演していた。

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2007年10月10日 (水)

名残の夏...賞味期限が切れないうちに!

撮影済み写真が増えてどうしょうもない。
デスクトップに撮影日付が付いたファイルが30余りも並んでいる。だんだん鬱陶しくなってきた。カメラの記憶メディアから一応選抜しているので、各ファイルは20~30枚程度だ。出来の良い写真は少ないから、さらに整理できるはずだけれど、時間がもったいないし、愛着もある。
パソコンは買い換えたところだからハードディスクには十分余裕があるのだけれど、このまま行くと末恐ろしい。順次、DVDに移しているのだが、それも面倒くさいので、外付けハードディスクを導入することにした。
結構、古い写真を見たり、使用したりすることがあるから、その方が良さそうだ。最近は何でもUSB接続できるから手間暇はいらない。

一気に秋が来て、賞味期限が切れそうな写真を急いで何枚か掲載します。出不精で遠出はしないから身の回りの写真です。

PhotoUfo東谷山フルーツパークの釣り池。噴水がとても美しい。UFOのように姿を変え、釣り人の目を楽しませる。
(10月6日 NIKON D80)


Photo_3Photo_2落合公園の池で男の子達が大騒ぎしていた。橋の上から一人飛び降りてしまった。
(10月9日 Caplio GX100)






SPhoto_4Photo_5
これも落合公園。水辺は子供達の天国だ。(9月18日 Caplio GX100)

 Photo_6Photo_7
フルーツパークでは、この日イベントがあり、大道芸人がなかなか素晴らしい技を披露していた。これは5本の火の着いたトーチでお手玉。(10月6日 NIKON D80)


Photo_8Photo_9露店のひとつに蜂蜜のコーナーがあり、ミツバチの巣箱と天敵「大スズメバチ」のサンプルが展示されていた。
「坊や!それ何の葉っぱ?」

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2007年10月 7日 (日)

「あいちのかおり」収穫中!/案山子は美人だった

高蔵寺ニュータウンの周りは家が増えたが、少し離れるとまだまだ田園が残っている。久しぶりに稲田の道を車で通過したら、あちこちで収穫が行われていました。
カメラはリコーのCaplioしかなかったが、とりあえず何枚か撮影したのでブログに載せておきましょう。
収穫作業中の農家のヒトに聞くと、「今年はできがいい」と、にっこり。品種は何ですか?と聞くと、「“あいちのかおり”じゃ、コシヒカリ、あきたこまちの次ぐらいにうまいぞ」との答え。
私の家は、もう十数年来、“あきたこまち”だった。惚れ惚れするほど見事に実った、黄金色の稲穂を眺めているうちに、何故ほかの県の米を食べるんだ、これを是非食べなくっちゃ、と思い直したことでした。

ところで愛知県ではどんな米が作られているのか?この答えは「春日井市立神屋小学校のホームページ」を見るのが早い。あいちのかおりが35%、コシヒカリが27%、祭の晴が14%...の順だそうだ。地域分布図も出ていて、とても興味深い。
PhotoPhoto_2Photo_3 
収穫作業は大変ではありましょうが、農家の人たちはみんな表情がとても明るい。
写真も気持ち良く撮らしてもらえた。





Photo_4Photo_5Photo_6   
同じ場所で、彼岸花、コスモス、すすきが見られるのは贅沢だ。
以上、すべてリコーCaplio GX100で、10月7日撮影。

この付近では本格的な案山子は少ないようだ。あまり鳥たちに効果がないからだろう。光るテープやカラスの死体を模擬したと思われる黒いビニールの切れ端は至る所で使われている。そんな中でユニークなのをひとつ見付けたので、ここに載っけておこう。
ネットを調べてみると、案山子の写真のギャラリーがあった。ちょっと古いけれど、面白いものがたくさん紹介されている。しかし、こんなのは無い。最新型だろうか?ひとつは道路をむいて立っているのは、鳥よりも我々に見てもらうことを想定している?
Photo_8
この写真のみ9月6日、ニコンD80で撮影。
勝手に美人案山子と呼んでいるのだが!?

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2007年10月 4日 (木)

動物写真は難しいが、楽しい

写真教室は基本を学ぶコースだから、毎回テーマがある。9月には「動物写真」というテーマが設定されていて、名古屋の東山動植物園へ実際に撮りに行った。
私はペットの犬を飼っていてよく写真を撮るが、同じような写真ばかりで面白みがない。その延長で動物写真を考えるから正直言ってあまり気が進まなかった。
講義では、動物を撮るのなら、「動物を人間になぞらえてその表情なり行動なりを捉える、あるいは光の具合を観察して動物の体毛や皮膚が美しく見える瞬間を捉えること...」といった指導を受けた。また、撮影には300mm程度の望遠レンズは必ず持っていくこと、という注意もあった。
動物園での撮影というのは、実際やってみるととても難しいことだった。ネットや柵が邪魔をするし、暗い陰に居ることも多い。
結果を先に言うと、先生の指導内容からはほど遠く、事前に危惧したとおり、ほとんどが動物図鑑的な写真になっているようだ。
しかしながら、何十年ぶりだろうか?なんだか楽しくて、制限時間の2時間があっという間に過ぎた。
とりあえず、ここでは多少なりとも面白そうな写真を少しだけ紹介することにしよう。

PhotoPhoto_2 左、ツー・ペンギンズ。
 右、ぷかぷかペンギン。 
 (正式名;フンボルトペンギン)






Photo_3Photo_5 左はシャワーペンギン。光の具合が悪く水滴が見えないのは失敗。
右はジェットペンギン。とても美しいフォルム。最大速度40Km/h。(正式名;キングペンギン)




Photo0434 
左;物想う頃  右;対話
(ももいろペリカン)


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インドサイのサッカー。地響きを立てて走る。迫力満点だ。
Photo_13Photo_14 

キリンのおしゃれな縞模様には誰もが惹きつけられる。





Photo_15
ヒトに近すぎて嫌いな人も多いが、観察していると面白い。何を考えているのだろうか?


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3時半はアシカのえさやりタイム。アシカたちは15分ほど前から大騒ぎ。子供達がおっかなびっくりで魚をつかんで投げる。Photo_17

何の変哲もない写真だが、堂々たるアフリカ象で締めくくりましょう。



これを書きながら、“自然の中”でこんな動物たちを撮れたら凄いだろうな、と思った。プロの動物カメラマンが多数存在する意味がよく分かる気がする。
たとえば、「佐野高太郎の世界 すべては究極の一枚のために」というホームページの写真はとても美しく素敵だ。
佐野氏が次のように述べているのが印象的です。

『...僕はストロボを使いません。かつてその理由は「かわいそうだから」でした。子供のころから動物が好きだった僕は、動物にストロボの光を浴びせると眩しそうな顔をされて、嫌な顔をされる事に我慢が出来ませんでした。写真は被写体あってのもの。被写体に嫌われたらいい写真が撮れない、と思っていました。
いまでもそう思いますが、ストロボを使わない理由はすこし変わりました。写真を撮り続けているうちに、自然光の美しさを知ったからです。自然界の光源はひとつの太陽であって、それが昇ったり沈んだりすることで、明るくなったり暗くなる。
朝陽が差し始めたときの、陽の光が当たるところと当たらないところの露出差の世界。日が沈んでからでもわずかに残っている光を長時間露光で拾う光の美しさ、そのなかで当たり前に生活する動物たちこそが、僕のとりたいモノだ!と気づき、それが僕の自然光を求めるスタイルになりました。
自然光の演出で僕がこだわった風景。例えば南アフリカのカラハリ砂漠。景色だけを見ていると永遠に続くだけの単調な景色。砂漠を何千キロと走っていれば、そんな景色には飽き飽きしてきます。しかし動物たちが走って砂埃を立てそれに朝夕の光が当たる時、風景に命が吹き込まれます。動物によって生きてくる景色、そんな光景がたまらなく好きです。
そういう自然光にこだわった自分の世界を大切にこれからも撮影したいとおもいます。』

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2007年9月29日 (土)

堀川に架かる橋 その5 掘留は今...

9月22日に「第5回堀川ウォーターマジックフェスティバル」が開催された。これは、国土交通省中部地方整備局と名古屋市、中部経済連合会、市民団体で作る実行委員会が、堀川の浄化のアッピールと流域の活性化を目的に03年から続けているものだ。
納屋橋周辺でいろいろなイベントが開催されたが、その一つに、堀川沿いの観光スポットをつなぐ無料水上バスの運行があった。名古屋城脇から名古屋港のイタリア村まで回ると言うからきっと見応えがあったでしょう。私は是非乗ってみたいと思っていたが、実現せず残念に思っています。次の機会には必らず...

さて、このブログでの堀川行は、朝日橋を残すのみとなった。
朝日橋までが船の運航が可能で、橋詰めに水上バスの桟橋があり、また水上バスの繋留地ともなっている。見ると、なんとも華やかに彩られた船体が6艘繋がれていました。
福島正則が初めて開削した時、ここが掘留だった。朝日橋のたもとには名古屋市が作った掘留の碑がある。その内容をここに紹介してとりあえずの締めくくりにしましょう。

『堀川は慶長15年(1610年)、城下と熱田の浜を結ぶ輸送路として福島正則によって開削されたと伝えられている。当時は名古屋城近くのこの地で掘留になっていたが、天明4年(1784年)に行われた大幸川の付け替え、明治10年(1877年)の黒川治愿による黒川の開削、さらに昭和初期の改修を経て現在の姿になった。
朝日橋は、天明5年(1785年)に架橋され、昭和初期まで橋の下には苔むした石積みの落差工があった。その水音から「ざーざー橋」と呼ばれたり、お堀の水の落とし口近くにあったことから「辰の口橋」あるいは橋の上を歩いた時の音から「ドンドン橋」とも呼ばれ、人に親しまれていた。
かつて、巾下御門に通じるこの地には多くの船が行き交い、今の州崎橋付近に至る渡船が始まる萬延元年(1860年)頃には名古屋の交通の中心でもあった。また満ちてくる潮に乗って鰹や鰯がこの付近までさかのぼって来たと伝えられている。
-昭和59年9月名古屋市-

Photo_12
朝日橋のたもとにある
堀川掘留跡の碑

 Photo_6Photo_7Photo_8 
左は上流川から朝日橋を見る。橋のたもとに人待ちの青年が居た。

 Photo_9Photo_10
左;朝日橋と一体になった桟橋。
繋留されている水上バスの名前は、織田信長、豊臣秀吉など。堀川開削の祖、福島正則の名もある。

Photo_4Photo_5  左;朝日橋から上流を見たところ。急に川幅が狭くなる。船は通れない。70mほど先には大幸橋。
右;さらに50~60m上流には鷹匠橋。ここからはお城の天守閣が見える。

堀川に架かる橋は全部で35である(リスト参照)。今回はこのうち10橋の写真を撮った。予定はしていなかったが、残りもまわりたくなった。そのうちまた、ブログで報告します。
Photo_11
これは昨年暮れに、御陵橋と白鳥橋の間で撮ったもの。この辺りは水鳥が多い。手前の黒いのは川鵜。白いのはユリカモメ。


(参考)堀川に架かる橋のリストアップ(北から南へ)。
稚児宮人道橋
猿投橋
志賀橋(環状線)
北清水橋(国道41号)
金城橋
城北橋(大津通)
中土戸橋
筋違橋
朝日橋
巾下橋(国道22号)
小塩橋
景雲橋(外堀通)
五条橋
中橋
桜橋(桜通)
伝馬橋
錦橋(錦通)
納屋橋(広小路通)
天王崎橋
新州崎橋(若宮大通)
岩井橋(大須通)
日置橋
山王橋(山王通)
古渡橋
尾頭橋
住吉橋(八熊通)
旗屋橋
旗屋小橋
熱田記念橋
御陵橋
白鳥橋(国道1号)
大瀬子橋
紀左ヱ門橋(東海通)
きらく橋
港新橋(国道23号)

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2007年9月26日 (水)

堀川に架かる橋 その4 堀川に棲む生き物たち

堀川は生き物の棲める環境になっていることは間違いはなさそうだ。

もう過去の話になってしまったが、「オオサンショウウオ騒動」があった。
特別天然記念物でもあるオオサンショウウオが堀川上流部の猿投橋付近で見つかったのは2005年11月。地元のダイバーが見つけ撮影した。名古屋市等が保護のため捕獲作戦を実施したが、見つからず。そしてちょうど1年後の2006年11月17日に猿投橋から10km下流の大瀬子橋付近で体長1m、6.5kgのオオサンショウウオが死んでいるのが見つかった。鑑定結果によると死後1日経過していたということなので、1年間はこの堀川で過ごしたことになる。ホリちゃんと、名前までつけて市民も歓迎した。剥製にされ、今は、東山動物園に大切に保管されている。
いかに綺麗になったとはいえ、元々堀川に棲んでいたとは考えられないから、多分、庄内川の上流に居たものが、流されてきて、堀川に迷い込んだのではないか、とされているようだ。現実に、庄内川の支流蛇ヶ洞川(愛知県瀬戸市)はオオサンショウウオの生息地として知られる。
それにしても、1年間生きていたというのは、堀川の環境が良くなった証であろうと、堀川に清流を取り戻そうと努力している人々を大いに勇気づけたのでした。(関連記事参照

名古屋市のホームページによれば、堀川にはいろいろな生物がいるようだ。
魚ではギンブナ(全域)、オイカワ、コイ(上~中流)、ナマズ、タモロコ、カマツカ(上流)、カダヤシ(中・下流)、ボラ(河口付近、納屋橋まで上がってくることもある)。
また、鳥では、カワセミ、マガモ、カルガモ(上流~白鳥=下流近く)、コサギ(上流)、ゴイサギ(中流)、ユリカモメ(下流)。

今回の私の堀川行では、生物のことはあまり頭になかく、川の中までは積極的に見なかった。しかし、偶然、亀が泳いでいるのを見つけ写真を撮った。場所は小塩橋のすぐ上流。川端が駐車場になっているところがあったので、そこから水面を覗くと...10数cmはあると思われる亀が真下をゆったりと泳いでいた。なんだか愛おしく感じ、姿が見えなくなるまで見つめていました。
Photo_6




さて、堀川に架かる橋の続きに移りましょう。前回は五条橋までだった。その上流は、景雲橋、小塩橋、巾下橋、朝日橋と続く。オリジナルの堀川はここで終点、掘留が朝日橋付近にあったのです。 Photo_2
手前は五条橋。その後ろの高速道路があるのが景雲橋。
水面がとても美しく輝いていた。


 PhotoPhoto_16
景雲橋は2階建て。現代を象徴する橋の形。
右は道路側(外堀通り)から景雲橋方向を見る。


Photo_4Photo_5   
小塩橋。



Photo_7Photo_8 小塩橋のすぐ上流の川端が駐車場になっているところにヘチマが植えられていた。曇天でセピア色の風景の中にひときわ鮮やかな花が浮かび上がる。この辺りで亀を見つけた。
 Photo_11Photo_12Photo_13   
国道22号線が通る巾下橋。こんなところで読書とは!
橋の下に目をやると気になるものが見える!
 Photo_14
巾下橋のたもとで見つけた爺と孫。とても上品で仲むつまじい様子。一服の清涼剤。
長くなったので、以下次回へ。

続く...

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2007年9月23日 (日)

堀川に架かる橋 その3 木曽川の清流を導水中

河川の環境基準はBOD等の指標により、AA、A、B、C、D、Eの6ランクで評価されるが、堀川はDランクまで落ち込んでいたようだ。
堀川の水量枯渇を防ぐ目的から、庄内川から毎秒0.3トンを導水してるが、庄内川自体がCランクだから改善効果は少ない。それでも一時、毎秒0.5トンまで増やす実験を行ったりしている。
水質改善の決め手はAランクの木曽川の水を導入することだと、随分以前から指摘されていた。そして国において毎秒3トンの導水の計画が立案されたが、水利権の問題や、海の汚染に対する漁業者の危惧などで、実現しなかった。
しかし市民の要望が強いこともあり、木曽川から上水道用水を取水している名古屋市が「社会実験」という名目で、毎秒0.4トンを堀川に供給することになった。
この待望の木曽川導水は本年4月22日から始まり、先頃、第1回の水質調査結果が報告されたところである。詳細は、関連ホームページを参照していただくとして、量的に少ないこともあり、改善はされてはいるが、その度合いは十分とは言えないようだ。特に、上流部は改善効果が出ているが、下流部は海水の逆流もあって効果が見られないと、報告されている。
この実験導水は3年間の予定のようだから、まだ始まったばかりだ。今後の調査結果に注目しましょう。

今回の木曽川導水の方法は、名古屋市が独自に木曽川から取水して鍋屋上野浄水場に持ち込んでいる水道用水を分流させるものだ。堀川に流れ込む雨水主体の大幸川が浄水場の近くを通っているので、ここへ200mの連絡管を敷設した。

少ないとは言え、堀川に木曽川の水が今現在、流れているということは、まことに感動的なことです。そして、関係者の方々の努力に頭が下がる思いです。
         ☆----☆
写真の方は前回、桜橋までだった。その次は中橋、五条橋と続く。この二つとも堀川が最初に掘られたときに出来た「七橋」に入る。
そのせいか、この付近には古い町並みが多く残り、また神社や寺もある。
        
Photo_9Photo_10 
左;中橋を下流から見る。右;上流から。優美で特徴ある橋だ。付近の民家も絵になる。


PhotoPhoto_3Photo_4中橋を渡って50mも行くと神社にぶつかる。また、中橋と五条橋の間には古い家並みが続く。
Photo_8 Photo_5 材木屋さんがあった。かつては堀川から木材を運び入れていたことを物語る階段が水面まで延びている。

Photo_60278Photo_7 
五条橋。右写真の奥が円頓寺商店街のアーケード入り口。
Photo_9
五条橋詰めに立つ表示。イラストで昔時の姿を想像できる。


Photo_11Photo_10
五条橋を渡り、アーケードを入ったところに円頓寺がある。


続く...


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2007年9月20日 (木)

堀川に架かる橋 その2  堀川はどこから流れて来るか?

今回、堀川を歩きながら、この川はどういう歴史をたどったのか、大いに興味が芽生え、ネットで調べてみた。ずいぶんいろいろと情報があり、知らなかったのは私だけだったかと思うくらいだ。重複を承知で少しばかり触れてみよう。

堀川は現在、一級河川に指定されている。
堀川が1610年に出来たときは、現在の朝日橋の辺り、すなわち名古屋城のお堀の西南端が終端の行き止まりの水路だったはずだ。
しかし、実際には北区の黒川地区に延び矢田川の下をくぐり庄内川に接続しているのだ。庄内川との接続点には、元杁樋門という取り入れ口がある。
(さらに、矢田川と交差する辺りに黒川樋門がある。これについては別途触れる。)

明治10年(1877年)に黒川治愿がこの延長部分を造った。このため、当初、この部分は黒川と呼ばれていた。彼の構想は雄大で、さらにはるか北部に位置する木曽川から尾張北部を経て名古屋の堀川へと、船が通れるようにしようと計画したのだった。
木曽川から庄内川までの水路は「新木津(こっつ)用水」として知られる。もちろん水運だけでなく、農業用水の確保も大きな目的だったようだ。

Hori1_2 Kottuyousui
この絵は名古屋堀川ライオンズクラブのホームページから借用しました。







納屋橋関係の追加写真。川端はプロムナードとして整備され、オープンカフェもある。午前中だったから、まだ準備中?納屋橋の由緒書きと、中央部の湾曲した欄干。
Photo_3PhotoPhoto_2 







前回は錦橋までだった。続きを。
錦橋から上流は急に緑が濃くなる。Photo_14




錦橋の次は伝馬橋。これも堀川七橋のひとつ。この辺りで、雨が本降りとなり、雨宿りする。主として堀川左岸の道路を歩いたが、伝馬橋付近で撮ったスナップも。
Photo_4Photo_5Photo_6Photo_7   







伝馬橋の欄干越しに次の桜橋を臨む。Photo_9




桜橋は名古屋を代表する大通りの桜通に架かる橋。それにふさわしく照明灯がとても立派だ。駅前の超高層ビル群も間近に見渡せる。
Photo_10Photo_11



Photo_12
この辺りまで来ると川沿いは普通の民家が多くなり、家と家の間が開いていて、堀川に出れるところもある。






続く...
 

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2007年9月17日 (月)

堀川に架かる橋 その1 堀川七橋

堀川は名古屋の市域中心部を北から南に縦貫している人工河川だ。歴史は古く、1610年、名古屋城築城に併せて掘られたものだ。熱田の海から名古屋城や市中へ物資を運ぶ役割を持っていた。
現在の総延長は16km。当然のことながら、たくさんの道路と交差するから、無数に(実際は30ほど)橋が架かっている。しかし、堀川が最初に作られた頃は七つしかなかった。それを、「堀川七橋」と呼ぶ。もちろん当時は木橋であった。今はコンクリートなどに変わっているけれど、名前だけはそのまま残っている。    
Nanahasi_zu_2
左は「堀川七橋」のイラスト
「堀川1000人調査隊2010」のホームページから借用させてもらった。このホームページには堀川のことなら何でも載っている。
(なお、2010年は堀川掘削400年に当たる)
Photo
現在の五条橋たもとに立つ説明の木札。当時の様子を示すイラストが添えられている。


私自身は、長年、名古屋の近郊に住みながら、堀川のことはほとんど知らず、積極的に見てみようなどと思うことも、ついぞ無かった。それが、最近、写真を撮ろうと市内を歩く機会が多くなり、堀川が意外に魅力的に思えるようになったのです。
水がとにかくきれいになった。透明感はまだ無いが、ゴミはほとんど無いし、ヘドロの存在も全く感じさせない。いつの間にこんなにきれいになったのか?
とかく無機的になりがちな都会の風景に、「河川=水」の存在は計り知れない潤いを与えてくれる。

ある公的資料によると、「堀川再生」は大勢の市民の熱烈な後押しもあって、関係当局が、排水規制、下水道整備、さらには「清流ルネッサンスⅡ」等によるヘドロしゅんせつ、合流式下水道の改善、庄内川からの導水などの対策を、集中的かつ継続的に行ってきたことにより実現した、とある。

ACCの教室が柳橋にあったこともあり、すぐ近くの納屋橋(堀川)あたりをうろうろしていたところ、橋のたもとにある旧加藤商会のビルの一角に堀川を紹介するギャラリーがあることに気がついた。そして、ここの展示を見ているうちに、堀川を歩いてみようという気になり、とりあえず、納屋橋から名古屋城直近の朝日橋まで歩いてみた。
以下は、そのときの写真である。台風接近のため、天気が目まぐるしく変わり、民家の軒下で雨宿りを余儀なくされたりしたけれど、なかなか楽しかった。

橋の名前は通過した順に(南から北へ)、次の通り。
納屋橋~錦橋~伝馬橋~桜橋~中橋五条橋~景雲橋~小塩橋~巾下橋~朝日橋
アンダーラインは「堀川七橋」で、このあたりに集中しているのは、当時も城下の中心部だったからだろう。
PhotoPhoto_2広小路通りに架かる納屋橋のたもとにある旧加藤商会の建物(昭和6年築、登録有形文化財)
この地階が「堀川ギャラリー」


Photo_4Photo_5納屋橋。左;下流側から。右;上流側から。
欄干は大正時代のものがそのまま使用されている。


S_2Photo_6次は錦橋。居酒屋の巨大な獅子が橋を見守る。ひょっとしたら堀川随一の写真ポイント?
橋の上は錦通り。このあたりから雨が降ってきた。

Photo_7
錦通りの中央分離帯に彼岸花を見つける!
今年もそんな季節になったか。

続く...

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2007年9月14日 (金)

「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」を見て

WOWOWで「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」が放映された。
93歳のアンリ・カルチェ=ブレッソン(以下、ブレッソンと略す)が自身の半生と作品について、淡々と語った映像である。彼が親しくつきあった劇作家アーサー・ミラーや写真家、女優達が貴重な証言を行っている。
先頃、東京で行われた展覧会「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」を見ることが出来ず、残念に思っていたが(8月19日付け記事参照)、このドキュメンタリーではブレッソンの多くの作品の鮮明な画像が見られ、とても嬉しかった。
42インチの薄型TVの画面いっぱいに作品が写り、ブレッソン本人がその一枚一枚にまつわる思い出を語る...贅沢このうえない!

たとえば、「ベルリンの壁、西ドイツ、1962年」。3人の男達が高い台の上に並んで壁の向こうを眺めている...
女優のイザベル・ユペール曰く、「台座に乗ってる写真はおかしげな風刺がある。彼の写真の特徴でもある」
しかし、ブレッソンは説明する。『彼らは建物の窓を見ている。両親が合図を送るからだ』
その言葉で、この写真が私にとって一層、感銘の深いものになった。
Photo




このドキュメンタリーは、ブレッソンが1枚の写真を示して、「これだ...人の配列が楽しい...完璧な構図だ」と述べるところから始まる。
そして、エンディングでのブレッソンの言は、バーンと、銃で撃つ真似をして、「一瞬で決まる!」である。
(本編でも、しかるべき配列と構図こそ最も大切なもので、感情はおのずと現れてくる、と述べている)
ブレッソンの信念であり、写真家魂である。

このドキュメンタリーで述べられていることは、我々が写真を撮ったり見たりする上でもとても参考になるものだと思う。しかし、事細かにここに示すのもどうかと思うので、私が特に印象深かった、いくつかの証言を掲げるにとどめよう。

〈写真家フェルディナンド・シアナ〉
『「目と頭と心の照準を合わせて写真を撮れ」と、ブレッソンは言った。私は自分や同僚の写真をこの基準で判断している。
彼の写真の中でも、目だけを使って形にこだわったものは、コンセプチュアル・アートのようだし、感情が入りすぎると、政治色がより強く主張される写真になる。
美しさと形式ばかりに凝ると、彼の言葉で言えばパターンになってしまう。
だからこそ彼の言葉がバランスのとれた写真かを判断する手段となりうるのだ。』

〈女優イザベル・ユペール〉
『写真って不思議。人と事物の間にある奥深くて謎めいた関係を瞬時に捉え、人々の人生まで想像させる。被写体になった人物の過去も未来も1枚に収めてしまう。』

〈写真家エリオット・アウィット〉
『ブレッソンのこの写真を見てすべきことが分かった。モデルなど手を加えなくとも観察力だけでいい写真がとれる...そして思った...知識が多いからと言って写真家になれるわけではない。必要なのは「見る」ことだ、と。』

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2007年9月 9日 (日)

ファンタジックな空間 ルーセント・アベニュー

ルーセント・タワーが竣工したのは、本年1月のこと、もう8ヶ月も前のことだ。このビルの、月を想わせるフォルム(ホントはヨットの帆を模した)も魅力的だが、名古屋駅からこのビルまでの地下通路「ルーセント・アベニュー」が開通当時、ずいぶん話題になったものだ。写真教室でも多くの人が写真を撮って来て披露してくれた。それ故、後塵を拝してもつまらないと思って、そこまで行っても見るだけにしていた。
数日前、カメラを持って円噸寺方面から名古屋駅前へ歩いた折り、この地下通路を通過し、初めて写真を撮った。旧聞になってしまうけれど、私の写真もここに載せることにしたい。

290mも無味乾燥なトンネルが続けば人は不安な気持ちになるだろう。
そこで開発事業者は学習院女子大学清水敏夫氏をアートディレクターに招き、快適で楽しい歩行者空間を創りあげたとのことである。
地下通路全体に、「都市、草原、森、空、海」等の9つのゾーンが設定され、歩行者は様々な空間を経験できるようにした...(ルーセント・タワーのプレスリリースより)

通ってみて、確かに290mもあるとはとても思えないし、地下通路だということを完璧に忘れさせる。楽しんでいるうちに終点に到着してしまう。
いろいろな動物などの絵も楽しいが、何といっても赤、青、黄の光で満ちた空間そのものがとても素敵だ。透明感と煌めきのせいか、とてもお洒落な感じがする。
この色彩は照明だけで実現できるものだろうかと疑問を持ったが、調べてみると、ガラスの上にカラーフィルムを貼るなどのテクニックが使われているようだ。

この種の長い通路の装飾は全国各地にあるが、これは間違いなく天下一品だろう。お金もかかったろうが、ルーセント・タワーというビルはそれだけ重みのある存在ということを意味するでしょう。
ちなみに、このビルはオフィスに特化しており、当地域を支える多数の企業とその従業員等6000人(?)を収容している。

Photo 
ミッドランド・スクエアの展望台から見たルーセント・タワー(右下)。小さく見えるけれど、40階180mある。ここから手前の名古屋駅まで290mを地下通路ルーセント・アベニューでつなぐ。

Photo_2Photo_3 290mの通路はゾーンごとに異なる色彩と壁画で飾られている。特に、このブルーとレッドのゾーンが美しい。歩行者のゆったり寛いでいる雰囲気が伝わってくる。


Photo_4Photo_5ここは、正確にはルーセント・アベニューとは言わないだろう。続きのルーセント・タワーの地下部分。鏡のような壁面と足下からの照明が織りなすファンタジー。   

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2007年8月27日 (月)

シルクロード...「道のある風景」を撮りたい

6月に実施されたオランダ・デンマーク撮影旅行の写真展が再度行われることになり、その打ち合わせに写真サロンに顔を出したところ、たまたま全日写連シルクロード撮影隊の写真展が行われていた(関連記事参照)。天山山脈にまで足を踏み入れて撮影されたシルクロードの風景、その地域に住む人々の生活などの写真は大変見応えがあった。

この写真展を見ているうちに、私が4月に訪れたイラン北西部の「美しくも荒涼とした風景」を思い出しました。
当然、イラン(昔のペルシャ)もシルクロードの経過地域であるわけですが、どういう訳かそのことを意識しないでツアーに参加したのでした。そして現地でこのルートはシルクロードですよと言われた時、ハッと気づくと同時に何ともいえない感激の波が押し寄せてきたことを思い出します。
もちろん、中央アジアとイランでは住んでいる民族は違うし文化風土も異なるけれど、私の心に出来上がっていたシルクロードの風景がそこにはあったのです。
イラン旅行記(5月6日)でも書きましたが、私たちのイラン人ガイドは自分でもツアーを企画実施していて、北京~イスタンブール48日間のシルクロードツアーをやったところ、お客さんは全行程を通じて、このイラン北西部の景色がもっとも美しいという評価だった、と話していたことを思い出しました。
残念なことにバスの車窓からではうまくとらえることが出来なかったのですが、たとえば次のような写真があります。
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イラン北西部の景観。シルクロードの一部である。



荒涼とした台地を道路がどこまでもうねって行く、あの光景はとても素晴らしかった。この写真で、もし道路が写っていなかったら、詰まらないものになってしまうでしょう。
そうだ!「道のある風景」を撮影テーマに据えるのもいいかも知れない...シルクロード撮影隊の写真を見ながらそんなことを考えていました。
そしてその帰りに書店でチェックしたら、そのものずばりの写真集がすぐに見つかった。
ベルンハルト M.シュミッド氏の「道のむこう」「道のつづき」「道のかなた」の3部作です。かなり人気があるようで版を重ねている。素晴らしく美しい写真集だ。風景の美しさと共に、主役の「道」が存在を強烈に主張している。
『私の夢にはいつも、開けた道が出てくる。写真を撮る瞬間、私は道そのものよりむしろ、新しい場所や、風景、都市の景観、これから出会う人々や友人、未知への冒険の気配を感じている』と、シュミッド氏は言っている。氏は日本在住だが、世界中をまわってこれらの「道」の写真を撮った。
Photo
ベルンハルト M.シュミッド 写真集「道のむこう」



とてもシュミッド氏のような写真は撮れないけれど、私も「道のある風景」をテーマの一つにしてみようと不遜にも考えています。

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2007年8月19日 (日)

ロベール・ドアノー写真集を楽しむ

8月12日まで東京で、アンリ・カルティエ=ブレッソンの展覧会が開かれていて、心引かれつつも、ちょっと無理だなと思っていたら、東京の友人から展覧会を見ての感想と共にカタログを頂いた。このカタログには27点のブレッソンの素晴らしい写真が載っていて、とりあえず私の心を満足させてくれたのでした。
これによって、ブレッソンの代名詞でもある「決定的瞬間」をとらえた写真とはどんなものか、ある程度、味わうことが出来た。35㎜カメラによるスナップ・ショットの先駆者と言われるだけあって、1930、40年代の早い時期の作品でも撮影技術は驚くほど高度で感嘆してしまう。 「日常のなかの一瞬の光景を、忘れがたいイメージへと結晶させる」という感性は確かに並外れていると思いました。
展覧会を見てきた友人は、ブレッソン自身がプリントしたビンテージ・プリントが素晴らしかったこと、ポートレート写真に魅力的なものが多かったこと、が特に印象に残ったようでした。

話変わって、最近、ロベール・ドアノーの写真集(TASCHEN社)を購入した。ロベール・ドアノー(1912-1994)もブレッソンと同じくパリの写真家である。
丸善の写真のコーナーに山積みにして、「売れています」となっていたのと、表紙がとても魅力的だったので、何の前知識もなかったけれど、手に取ってしまった。
たくさんの彼の写真が収容され、解説もある。おまけに1500円と写真集にしては安い。そして、掲載されている写真を見ていくと...これがとても、とても面白いのです。
この本の解説によると、「ドアノーの遺したものは印画紙に封じ込められた数分間の永遠だ。この数分間の驚きと感動を通して詩的情感とユーモアのこもった物語を語りかけてくる」のだ。
彼の写真の一番の特徴はユーモアなのです。しかし、チャップリンがそうであるように、その笑いの下にはほろ苦いもの、悲しさが隠れている、と言う。
ドアノーの場合、これはという被写体に出会うと、同意を取り付けてから撮影をする。そして被写体と連携して作品作りをする。いわば演出された作品なのだ。
だから被写体となる人物はレンズを意識しているし、むしろ積極的に撮られようとしているのだ。おそらくブレッソンの決定的瞬間をとらえる作品作りとは根本的に違うようだ。同じパリを撮りながら、両巨匠のその落差がまた面白い。

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ロベール・ドアノー写真集(TASCHEN)の表紙と裏表紙。表紙の写真のタイトルは「市役所前のキス」で、ドアノーの代表作である。




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  左端はPicasso's Fingerloavs 。ほかのは何も説明は要らない。とにかく面白い写真が満載。

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